ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

関東大卒フリーターを放置プレイすべき理由

2007年05月27日 | 格差社会を考える
mixiの「格差社会を考える」コミュに投げた文章の加筆です

>つまりね、○○さんの言うような生き方は、まさに今この瞬間においては正しいといえるかもしれない。だけど将来的に何かあったときに、その生き方の責任を自分で背負って生きられるほど、人間は強くないんですよ。
そして他人も、苦しんでる人間を「自己責任だろ」と放置するほど強くない……と、少なくとも僕は信じたい。そうなったときに迷惑なのは、彼らのような放置できない善良な人間たちなんです。



それが戦後民主主義といわれるものの行き着く先ですよ。
大人:「いつまでもフラフラしてないで、ちゃんと働け」
若者:「俺たちの自由ジャン」

大人:「定職についてないのに、バイクをローンで買うなんて。そんなんだから、ネットカフェに住むことになるんだよ」
若者:「俺たちの自由ジャン」

何してようが、「俺たちの自由ジャン」で済んじゃうわけでしょ?
「年金を払わないのも、自由」「新卒でフリーターになるのも自由」「フリーター漂流にあるように、正社員にならないかと声をかけられても、今は好きにしたいですからと断り続けるのも自由」

本来、公教育とは、子供が社会が規範や価値観に従って生きていけるように、教育を施すという意味もあるはずです。
公教育を通じて公人として振舞えるようになる
しかし、それを公教育側が自らリベラルと称して放棄しました。

努力を積んで、収入を上げて、贅沢を慎み、貯金する
という美徳は、「するもしないも自由」になってしまいました。

今の社会では、受験勉強するのも、ゲームするのも自由です
たぶん、授業中に席を立ったり、低偏差値高校だと授業を中退してアルバイトに行くのも「自由」みたいです。

その自由の代償は本人に帰着しないとつじつまが合いませんよね?
社会が責任を取る必要があるとすると、その行動の矯正機会を社会が与えられている場合に限ると僕は思いますよ。

たとえば、酒で身を滅ぼすとか、ギャンブルで身を滅ぼすとかいう人たちがいるとする。
基本的に本人の責任で回避できるから、酒もギャンブルも「成人」しかしちゃいけないことになっているんです。
酒やギャンブルの責任を自分でとれないような「幼児大人」が本当に世の中にいるとしたら、「大人」として許される行為を免許制にしないといけないですね。

とりあえず、パチンコ屋とかは年収証明を見せて年収300万円以下立ち入り禁止とかね

フリーター、ニートは正社員の椅子を確保できる人以外は選択禁止
シベリアで強制労働とまではいわないにしても、政府が決めた職場で労働して衣食住を保障されるとか

でも僕たちはそういうことをよしとしない
職業選択の自由もあるし、住居の自由もある
でも、仕事がない島に住む自由を認める代わりに、その島に移住して仕事がなくても自己責任ですよ。
それはあらゆる場合に適用されるルールだと思うんですよね


それは、この日本社会は自立的に思考して行動できる人たちによって構成されている という建前的前提にたっているからです。
その建前を放棄しないかぎりは、放置プレイでいいんじゃないですか?

ここを下手に救済すると、本人たちもその後輩たちも
「なんだ自分たちには「遊び免許」があるんだ」
と錯覚してしまいます

いまだにフリーターでいいや という人が結構いるのは、勘違いしている人が多いからです

彼らには「遊び免許」などなかったのですから、職業訓練という「社会人免許講習」をすることはあっても、無免許運転を追認してはいかんと思うのです

自分の好きにならないから「生きにくい」なんて雨宮処凛氏の言うように思っている人たちを追認して社会にいいことがあるとは思えません
いままで「自由ジャン」だと思ったいたのが、どうも年を食って学校の庇護から外れると思うようにいかなくなる。それを「生きにくい」と感じる。
それは、自由の代償や自由の責任を取る能力を若いうちに身につけなかったからです。



あと、本当に、ギャンブルの年収証明や貯金残高証明は必要だと思います
与野党ともに、ギャンブルに利権があるようで口にしませんが、フリーターが日当1万円の仕事を二日して、レストハウスに帰ってくる途中に全部パチンコですってしまう なんて異常です。 まぁそういう人だから家なき子なんだろうけど・・


そんなに選択の責任が取れるのか?という疑問を持つ人もいるでしょう。
もし、責任が取れない人がいるようなら、政府に身を任せていわれたとおりに行動するかわりに衣食住を保障してもらう 保護 制度が必要だということですよね。

まぁそれは住む場所から仕事まですべて政府組織が決めてくれる、共産主義 なのかもしれません。

仕事に就く能力とか

2007年05月24日 | 格差社会を考える
世の中で仕事を得ること

格差コミュ経由のマイミクさんで、30歳超えフリーターだった人もあまり給与は高くないようですが、正社員に登用されているし、僕はその人はとてもしっかりした人だと思っていたし仕事も見つかるだろうと思っていました。

本当に無事に決まってよかった。

反面格差社会を考えるコミュにいて、書き込みを見ていると
「だから君は給与が高い仕事に就けないんだよ or 正社員になれないんだよ」
と思う人が結構いる。

ある意味、正社員として登用しない企業の人事は見る目があるなぁと。

企業は求める人材の水準を能力・人格ともに高い水準においている一方で、労働市場に新規に参入する人たちは、能力・人格は下がっているように思う

人格ってうそつきとかじゃなくて、対人能力とか積極性とか知的好奇心とか誠実さとかそういう感じ。

僕がビッグイシューを買う販売員さんは僕の顔を覚えていてくれるので、遠くから頭を深々とさげて迎えて下さる
話をしていても丁寧な受け答えをしてくださる。
話を聞くと雨の日以外は販売しているそうです。

今日は早く帰ったので、僕が前回お願いしておいた「富野さんのガンダム」の号を買って帰りました
# でも相変わらずビッグイシューは読むところが少ない

その販売員さんはビッグイシューで毎号一人ずつ販売員さんを紹介しているコーナーに出ていて生い立ちも拝見しているので、昔は荒れていたのが信じられない紳士ぶりです

生い立ちの記述が事実だとすると、人は境遇や経験や人との交流で大きく変化していくことがあるんだなぁと思う。

そういう人に「再チャレンジ」がある世の中であって欲しいと思う。
僕はその販売員さんが、ホームレスを抜け出して販売員さんじゃなくなる日がくるといいなぁと思います

若い再チャレンジが必要な人も、販売員さんのように、何か大きな機転が必要じゃないかなと思います。
チャレンジしようにも、まずは自分自身が変わらないと、昔就職できなかったのに、今なら昔のままの自分でも就職できるべきだ なんてことにはならないと思うんですよね。

平和は子供笑顔から

2007年05月14日 | 格差社会を考える
知人の日記を読んでいて

『世界の武器を楽器に変えよう。』

武器があるから争いは起きる。
武器がなければ争うことができなくなる。

ってのがあって、考えてしまった

実は僕はこのセリフ嫌いなのです
一見善意に見えるこういうセリフに悪意を感じちゃうんだよね。
悪意というより無邪気さ


なんというか、内戦にある人たちって、銃があるから内戦しているのでしょうか?
彼らが僕たちよりも野蛮だから戦争をするのでしょうか?

アメリカがイラクを空爆したように、中国がチベットを占領しているように、ロシアがチェチェンの人々を殺すように、イスラエルがアフガニスタンの人々を殺すように、一方的にできるなら確かに武器が・・ということはあるかもしれない。

しかし多くの内戦では一方的なんてことはなくて、ベトナムに介入したアメリカですら、自国の兵士の死に怯えていたのです

争いがなくならないのは武器があるからじゃない
争いがあるから鉄の塊に魂を入れて武器にするのです

同胞同士で内戦になってしまっている人、独立戦争をしている人、そういう人たちに「すべての武器を楽器に」というのは愚かで無慈悲です

そういうのって自分たちが他人の暴力による死にさらされていない人の無邪気さだと思うんですよね。

平和なときには何だって言える。
でも、もし内戦になれば人は素手でもそのあたりにある石でもつかんでも戦うでしょう

平和ボケってどうも僕はついていけない。

だから変わりに仏陀の言葉で閉めましょう
「戦いは憎しみによってやまず、愛によってのみ止む」

これは大戦後に、スリランカが日本をかばってくれたときの外相の言葉です

http://blog.goo.ne.jp/fuutennnoneko/e/97b18e243be423c00ab36c4836c12f8d

やっぱり戦争が極力ない世界を目指したいと思う。

でも、そういう方向を目指すときに、憲法や武器を捨てようということが適切な方向かというのは悩みますね。

僕の日記にも書いたけど、武器を楽器にってのは実は嫌いです
9条マンセーな連中も当然嫌い

じゃあ、どうしたら戦争が無くなるかっていうと、世界から絶望するほどの貧困をなくしていくこと、世界を民主化していくことだと思っています

アマルティア・センがいうように、大戦以降、民主主義国家同士が戦争をしたためしはない。
朝日なんかはそういう事実は言わないですが、アジアでの戦争はだいたい片方は共産主義国家です。
ソ連とアフガニスタンとか、ラオスやベトナムや朝鮮戦争とか。

もう一つは、国民が自分の人生や自分の子供の将来に希望が持てる社会では戦争を抑止する圧力はぐっと高くなるはず。
満ち足りた人たちは戦地に行きたがりませんし、子供が未来をもって育つ社会では、大人は今の平和を守ろうとしますからね。

だから、僕はユニセフとかに募金をしています

「俺の住んでいる時代は酷い社会だが、この子はきっと将来幸せになる」と思えば、大人たちは平和を守ろうとすると思うんですよね。
そして子供の幸せを信じられれば大人たちは社会に絶望したりしないと思う。

そういう子供たちの将来に希望をともすことが、「たとえ明日世界が滅びようとも、今日ここにりんごの木を植える」ことだと僕は思うし、それは決して、武器を楽器にとか9条マンセーとかのお花畑の住人の発想ではない、意味のある変革だと思っています

うーん、デモは期待はずれ

2007年05月01日 | 格差社会を考える
不安定生活限界だ フリーターら「生存メーデー」叫ぶ(朝日新聞) - goo ニュース

僕はもともとフリーターがデモを行うことには賛成だったし期待もしていました

mixiの格差社会を考えるコミュにも次のように書き込みました


○○ぽんさんデモ参加お疲れ様です

○○ぽんさんのように、ちゃんと正社員の椅子に座ってから、後続の後輩のために行動できる人こそが世の中を変えていくのだと思います。

世論を形成する共感や賛同は当事者性や視点の低さや自己犠牲がおそらく必要なので、教職員や窓口公務員たちが「格差社会許さない!!」とか言っても説得力が皆無なわけです。

それならば、本人たちが自分たちで「俺たちは不当な目にあっている」ということを述べて世論を形成していくのがたぶん必要だと思いますね。

自己犠牲として炊き出しも募金もボランティアもしないような共産主義者なんかに期待したって世の中かわりませんよ。

上野でホームレスの人に炊き出ししているのは、マルクス主義国家では虐殺されちゃう、教会の方々だったりするわけですからね。

僕はそういう実際の行動を僕は尊いと思うし、インテリが上から無知な人間を煽動して世の中を煽動して思うように変革しようとすることは軽蔑する。

そうやって声に出すことで、不当なことを行いにくい雰囲気を作っていくことは意義あろうと思います
それは搾取とかではなくて、主張はなされなければ、言わずとも分かってもらえるというものではないと思っているからです。

まずは、次回のデモが今回よりも多い人数でよりインパクトや説得力があるものであることを期待しています

お疲れ様でした

もう一つの書き込みは


一部の論調にあるような
「フリーターやニーとは被害者だ」
という出発点は止めて
「フリーターに深夜勤務手当てを払わないのは違法だ」
「フリーターやパートにも失業保険を」
「フリーターやパートにも年休や病休を」
「雇用の継続をしやすい環境や次の職の斡旋などの安定を提供して欲しい」
「医療制度を改革して欲しい」
「低所得でも安心して子供が生める環境を」

といった、違法を糾弾し、妥当な権利要求をする運動やデモなら広く支持されるんじゃないかと思います。

僕は東京のフリーターを見ていて被害者だとは思わないけど、彼らがフリーターだからといって、不当だったり不法だったりする扱いを受けるのは腹立たしいし企業をとっちめてやれと思う

中国の奴隷的労働者でもできる仕事が薄給(それでも中国の工場労働者の10人分ぐらい)なのは、もう中国と鎖国でもしない限りは不可避です。
しかし、同じ日本人同士で社会保障制度や法整備で社会に温情を作るのはまた別の問題

低賃金であっても、つつましい生活を営めるように社会保障制度のありようは変えていく必要があろうと思いますし、デモなどがそういうことを考えるきっかけになり、いつか各党の具体的なマニフェストになるといいですね。

# 格差社会許さない とか格差社会を正す は公約じゃないから。あれはスローガンとかプロバカンダです

とも書きました

ようは、フリーターやニートの人が具体的な要求をする場としてのデモが世論を動かす原動力の一つになるという期待をしたのですが、完全に期待はずれ

朝日の記事を読む限りは単に、無能な僕たちも時給2000円は欲しいぜ。
って言っているようにしか見えない

子供のわがままと一緒

映像はみてないけど、映像をみたらし人のblogハナの独身生活によると、「マックに住ませろ」とかもうわけのわかんないこといっているようだし。

なんか、その程度の要求しかできないから、キミタチは企業から正社員で働いてくれって要求される人材にならないんだよ

と思う。
少なくとも時給2000円をもらうのにハンバーガーをいくつ売る必要があるか、企業の利益とかも計算してからいってみようよ
と思います

なんかなぁ、このデモ見る限りは、ダメな奴は何をやってもダメ
を立証しているようにも思う。
これじゃワーキングプアーの悲惨さ伝わらないしね。だって楽しそうだもん

雨宮嬢が「最低賃金1500円以上よこせ」「過労死から逃げろ」「住む場所をよこせ」「生きさせろ」」
とか読み上げているらしい。

これじゃ共感なんて得られないと思うし、まぁ、この記事どおりなら、無戦略にストレス発散するためのデモ以上の意義は見出せないと思います。

「生きさせろ」
とかって闘争の用語としてはありそうだけど、別にフリーター死んでないじゃん。
そういうアジテーションはフリーターで死者がでた追悼デモとかで主張するもんだ
とか思う