猫@現実逃避中です。
記事の質が安定しない日経BPの記事ですが、記者の眼を読んでのコメントをblogで書いていこうかなと思います。
高すぎたデジタル・サービスのお値段
として、プッシュ料金が高いという話をしているのですが、この主任編集員殿は、高いものは悪いことだという単純なロジックでしかものを見ないようです。
この記者、独占だとか国際的なとか競争とかいっていますが、
日経BP社は世界に類を見ない合法カルテルである、再販制度で守られた出版業をしていて、しかも日本の書籍は世界に類を見ない高価格だということは認識していてもこういう記事がかけるほど厚顔無恥なのか、それとも単なる無知なのか・・・
と思います。
記事の内容についてですが、私も月々390円のプッシュ料金は私にとって高いと思うので、特に契約していませんでしたが、この記者が言うように限りなくゼロだというのは、どうかと思う。
50年前においては高度な技術であり、ユーザにとっても代金を払う価値のあるものであったものが、今まで残ってしまった、というのが本当のように思います。
こういう経路依存というのは、今だけ見てもわからないものです。
たとえばCDなどでも今でこそ破格のメディアですが、商用化当時は開発元のソニーですら、均一な生成がうまくいかず、歩留まりも恐ろしく低く、ソニーの向上にはできそこないのCDが山積みだったと聞きます。
どんなものも立ち上げ時には、苦労やコスト高があり、そのタイミングで決まったルールを後から批判するのは用意ではあるが、それはモノを深く考えない子供の論理か、実務家でなく批判だけをしていればいいメディアの論理でしかない
と思います。
たとえば、僕の嫌いな道路公団や官僚組織も、アメリカの国際法違反の無差別空爆で都市のインフラを破壊されつくした日本が再建するには、有効な仕組みであった時代があったのです。
電力会社やガス会社、国鉄や電話会社に、不景気になると雇用対策として人を政府が半ば強制的に採用させていた時代もあるのです。それを今になって、人が多すぎる、と無邪気に批判するのは歴史を知らないか、厚顔無恥かのどちらかだと思うのと同じ根っこの問題です。
そういうことは、まさに経路依存性であると思います。
(日本の再販制度も経路依存の問題です)
そして、日本の電話技術は後進国であったにもかかわらず、世界で最も安定した電話サービスを離島や山間部にも提供し、停電時にあっても電話を家庭から利用できるというインフラを提供していて、そういう高価なものを国民も期待していた時代があったのです。
そういう高品質・高価格がダメだというなら、それこそベンチャーが低品質・低価格なものを出せばいいのであって、NTTに矛先を向けるのは間違っているように思います。
地震があっても電話が通じるだろうと思うほど、日本人は電話サービスに期待をしているのですが、それは高いサービスだというのは当たり前ですよね?
記事の質が安定しない日経BPの記事ですが、記者の眼を読んでのコメントをblogで書いていこうかなと思います。
高すぎたデジタル・サービスのお値段
として、プッシュ料金が高いという話をしているのですが、この主任編集員殿は、高いものは悪いことだという単純なロジックでしかものを見ないようです。
この記者、独占だとか国際的なとか競争とかいっていますが、
日経BP社は世界に類を見ない合法カルテルである、再販制度で守られた出版業をしていて、しかも日本の書籍は世界に類を見ない高価格だということは認識していてもこういう記事がかけるほど厚顔無恥なのか、それとも単なる無知なのか・・・
と思います。
記事の内容についてですが、私も月々390円のプッシュ料金は私にとって高いと思うので、特に契約していませんでしたが、この記者が言うように限りなくゼロだというのは、どうかと思う。
50年前においては高度な技術であり、ユーザにとっても代金を払う価値のあるものであったものが、今まで残ってしまった、というのが本当のように思います。
こういう経路依存というのは、今だけ見てもわからないものです。
たとえばCDなどでも今でこそ破格のメディアですが、商用化当時は開発元のソニーですら、均一な生成がうまくいかず、歩留まりも恐ろしく低く、ソニーの向上にはできそこないのCDが山積みだったと聞きます。
どんなものも立ち上げ時には、苦労やコスト高があり、そのタイミングで決まったルールを後から批判するのは用意ではあるが、それはモノを深く考えない子供の論理か、実務家でなく批判だけをしていればいいメディアの論理でしかない
と思います。
たとえば、僕の嫌いな道路公団や官僚組織も、アメリカの国際法違反の無差別空爆で都市のインフラを破壊されつくした日本が再建するには、有効な仕組みであった時代があったのです。
電力会社やガス会社、国鉄や電話会社に、不景気になると雇用対策として人を政府が半ば強制的に採用させていた時代もあるのです。それを今になって、人が多すぎる、と無邪気に批判するのは歴史を知らないか、厚顔無恥かのどちらかだと思うのと同じ根っこの問題です。
そういうことは、まさに経路依存性であると思います。
(日本の再販制度も経路依存の問題です)
そして、日本の電話技術は後進国であったにもかかわらず、世界で最も安定した電話サービスを離島や山間部にも提供し、停電時にあっても電話を家庭から利用できるというインフラを提供していて、そういう高価なものを国民も期待していた時代があったのです。
そういう高品質・高価格がダメだというなら、それこそベンチャーが低品質・低価格なものを出せばいいのであって、NTTに矛先を向けるのは間違っているように思います。
地震があっても電話が通じるだろうと思うほど、日本人は電話サービスに期待をしているのですが、それは高いサービスだというのは当たり前ですよね?