ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

SEの育成

2004年10月19日 | IT・情報化・コンサルティング
こころのあしあと さんにコメントをいただいていたのをベースにblogを書きます。

こころのあしあとさん曰く

>社員を研修させる暇も余力もなく、安月給でこき
>使わざる得ない状況になります

な状態な企業に勤めている私とては、
そうなんだよー。(T_T)
てな状態です。

ここまで落ちると、後は登るだけなので、日々
馬場さんの教えを実践して、一刻も早く脱出しな
きゃなぁ。。。

とおっしゃっていたコメントへの返事+猫の放言です。

馬場さんはIBMで人材育成に携わっていらっしゃったスーパーSEの方です。
(馬場さんをご存じない方はクリックして先に馬場さんのバックヤードを読んでみて下さい)

馬場さんのような凄い方であったり、エクセレントカンパニーと呼ばれる(た)IBMであっても、SEの教育というのはいかに大変で、教育コストや本人の努力、上司や会社の注意や忍耐が必要なのだということが良く分かります。

こころのあしあとさんが、一刻も早く、今のスキルアップのコストや時間を負担できない会社から脱出なさることを祈っていますが、実際に、そういうスキルアップの舞台にならない企業は非常に多いように思います。(転職理由としてそういう内容が多いようですし)

きっといろんな会社は新入社員を採用するときに
「研修も充実していますし、文系の方でも大丈夫ですよ」
とおっしゃっていると思います。
しかし、今の状況を見るに、そんなことを実現している企業はそんなに多くないでしょう。
また、適正はともかく採用という企業はITバブルの頃は、レベルの低い仕事を安価に受けることを主な生業にしたりしていました。

もし本当に研修が充実しているなら、どうしてわが国の政府はエンジニアの育成に、力を入れなければいけない状況になったり、業界でスキル不足が叫ばれたりするのでしょうか?

きっと研修がしっかりしているという人か、経済産業省か、スキルが足りないと思う顧客や業界関係者の誰かがウソをついているんですね。(問一 嘘つきは誰でしょう? 配点10点)

また
「SEとして即戦力で活躍してもらいたい」
とかも言うかもしれません。

しかし、IBMのような企業が選別した新卒でも最初から軌道にのるわけでもないのに
そういうことを平気で言う企業の「一人前」ってどんなレベルなんでしょう?
吉野家で牛丼作るのも「料理人」というなら、一年目がやる仕事も「SE」でいいかもしれない。

けど、僕はSEという仕事は、やはりもっとプロフェッショナルとしての重みがある言葉であると思うし、そうであって欲しいと思う。

しかし、僕が以前いた支店では、まさに
「牛丼を盛り付けていて「料理人だぞ、<(`^´)>エッヘン!!」とやっているような
取るに足りない普通のオペレーションを「スキル」と呼んでいたり、
「ソフトウェア開発技術者」すら受からないようなスキルで「上流工程SE」と言っていたり。
もちろん、新卒段階で資格を持っている必要は無いのですが、3年程度でそのレベルに達しないなら、適正不足か、努力不測か、会社との相性を疑うべきでは?と思ってしまいます。

一応、名の通った企業なので、採用されている人の頭はいいので、そういう低いスキルなども含めて言い訳は上手なんですよね。
そういうレベルの低いところで即戦力で満足なら、それもまたひとつかもしれませんが・・
でも、研修制度は整備されているんですよね。
足りないのは、優秀で厳しい先輩と、実戦の場、相対的に高い能力を持つものへの組織からの敬意、そして、各自のプロフェッショナルとしての高い倫理観や誇り、高い目標などです。
(これは経営学の大家のミンツバーグが
「(MBAの)教室でマネージャーは養成できない」
とする立場と同じ根っこの問題意識だと思います)

もし優秀な人材を集めたとしても、たかだか2,3年で身につく技術をもって「一人前」
だといっているなら、ずいぶんと底の浅い、表面をひっかいたような仕事だなぁと思います。

一人前の職人さんや漁師になるには10年かかるというのに、SEは新卒が即戦力ですか?
はぁ・・・

馬場さんは、そういう安直な感じを戒めてくださる方ですし、企業として人を育てていくことの長期的スパンの必要性や、その難しさなどを書かれています。

また顧客との折衝の難しさや奥深さなども書かれています。

ご興味のある方は、ぜひともご一読ください。
あぁ、こういう仕事をしたいな。とプロフェッショナルに思わせるだけの内容を書かれていると思います。

補足:
たいした人材育成もできないくせに「研修完備」とかいう人事は人として恥を知りなさい。
そういう所作は、いまや貴重なリソースである優秀な若者の無駄遣いであり亡国的です。
馬場さんのようなスーパーSEやIBMであっても、人材育成に悩んでおられるのに、たかだかと称される企業の癖に、大風呂敷を広げるという企業が多すぎ。
このような研修制度がありますとかいわずに、3年でこういうレベルに達していますと実績ベースで話をしましょうよ。>人事、新卒相手のセミナー担当者

日本のトッププログラマーはレベルが高い

2004年10月19日 | IT・情報化・コンサルティング
前回書いたIT業界におけるヒエラルキーで書いたblogの記事に誤解があったかもしれませんが、私は日本のトップクラスのプログラマーは世界的にも高いレベルだと思います。
たとえば、KAMEプロジェクトUSAGIプロジェクトでFreeUNIXのIPv6実装を牽引してきたわけですし、TRONなども日本発の組み込み系OSとして世界を制する可能性もあります。

では、なぜ日本でIT産業が健全に発展していないと私が考えるかというと、とにかく層が薄いのです。また、三流がプロフェッショナルの顔をできるのもこの業界の特徴です。
 日本のITが冴えないように見えるのは、このようなトップ集団のプロジェクトは高いレベルであっても、通常の開発業務に投入されるプログラマーやSEのレベルが低いからという点につきると思います。

ソフトに関しては二つの観点で考えたいと思います。
ひとつは特定顧客のために開発されるソフト。ひとつはパッケージソフトです。

前者の開発プロジェクトでは、フリーソフトなどでも日本語ソフトで十分に品質も使い勝手も問題ないように、日本人のプログラム開発は、問題ないと思うのですが、それがいざ会社の業務となると、前回のblogに書いたような状況で、口だけ達者て技術の知識の乏しい「上流工程」が無茶な絵を放言してきたことを「IT土方」と揶揄される現場のSEやプログラマーなどの開発者が穴埋めするという異常な構図があります。
 また、そのような状況では、仕上がってくるコードのクオリティーも低いものとならざるえず、プロの仕事とはいえないようになってしまいます。
 そういう状況では、開発者も自らの誇りに自身を持てなくなり、仕事へのモチベーションもどんどん低下します。(もちろん国内系ITコンサルなどには、現場と一緒に汗を流してくれるコンサルもいます。)

またパッケージソフトでは、一太郎なども良いソフトだったのですが、マイクロソフトの卑怯な価格攻勢でつぶされてしまいました。一太郎全盛の当時、マイクロソフトは乗り換えキャンペーンと称してOfficeを一万円程度で販売していましたが、一太郎が脱落してからはそれを数万円にあげています。(私もOffice4.3Jを一万円程度で購入した記憶があります。)
 TRONに関しても当時は日本発OSでいいところまでいけそうだったのですが、アメリカの外圧やそれに便乗してソフトバンクのソフトビジネスで設けたい孫正義らの。TRON潰しで、パソコン用OSとしては日の目を見ることはありませんでした。(孫という男は、儲けはうまいが、日本の情報産業の健全な発展などは興味が無いのでは?)
 このようにアメリカ政府とソフト産業でタッグを組んで日本のパッケージソフトもアメリカにつぶされたと私は見ています。今でもアメリカはマイクロソフトの利権を守るような外交をしますし、あながち穿った見方ではないと思います。

 ただし、日本のパッケージでいうと、ゲームソフトの一部は強いですね。
 また携帯電話に入っているソフトも日本の物は優れていると思います。
(高度な機能を持っていて、信頼性も高いのですが、マーケティング的にはNOKIAやサムソンに負けてしまっていますが。)

 以上を踏まえて、私が主張したいのは、優秀な人材が存分に活躍できる場がソフト産業では乏しいのではないか?ということです。
 前述したKAMEやUSAGIにしてもTRONにしても、フリーソフトウェア作者にしても、何を開発するかという意思決定は全て本人たちの手にあったことが成功の要因だと思います。
 携帯やゲーム機にしても開発規模的にはプログラマーが開発の意思決定に参加することは可能なレベルだろうし、自社内の開発であれば、意思疎通はそんなに悪くないだろうと思います。
 

 特定顧客向けソフトの開発では、本来ソフトウェアの開発自身はとても創造的だと思いますが、意思決定を上流工程に取られてしまったIT土方状態では、創造性が発揮されることはめったにありません。・・・・ ということで、やはり
「ITコンサルが日本の情報化をダメにしている。」という猫のお決まりの結論に落ちついちゃんですよね。
 だいたい、ITコンサル(の一部)が出すアウトプットは、無茶で非合理的な設計なのに派手な飲み会や派手な女遊びをしていて、実際にもの作りに携わる人々は徹夜で会社に泊まりこみ、しかも薄給だという状況で、地方のソフトハウスのエンジニアは何を希望にソフトウェア書けと言うのでしょう?
 社会的な仕組みの中でソフト産業をあれだけ買い叩いておいて、だれがプログラマーの育成や成長のためのコストとリスクを取れるのでしょう?

 実際に手を動かしてものを作り出す人が一番偉いんだという、日本人が今の繁栄を築いたベースにある考えを、アメリカナイズされているIT業界でも再度取り戻したいと思います。
 そういうことを論理的に主張できるようになるためにもMBAでしっかり学びたいと思います。
上流下流といわずに左右にすればいいとおっしゃる方がいて、そうだよなぁって思います。どっちが偉いって話じゃないんですよね。

大学院で習ったアーキテクチャー論で見ると、メインフレーム系とオープン系ではまた少し違ったソフト産業の見方もできそうなので、このblogに反響があれば、次回(あるのか?)書いてみたいと思います。

コンサルを志望なさる方や、コンサルの方、また思うことがある方などからの骨太の反論をいただければと思います。