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ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

フリーターの賃金 下層社会

2005年11月20日 | 就職・フリーター・ニート
『下流社会』という本が売れているようです。
自分は未読なのですが、カトラーさんの杉村太蔵が炎上している? ~見えてこないニートたちの怒り~のblogの中にグラフを見て思ったことを述べさせていただきます。

このグラフでは縦軸に対外コミュニケーション力、横軸に生産性・効率性をとっています。
確かに、その生産性を個人が1時間でできる仕事という意味での生産性を取ればその通りだと思います。

しかし、誰にとっての生産性や効率性かという観点がフリーターを語る上では必要ではないかと思います。

雇う側から見れば、1000円あたりの生産性を気にするわけです。
ある社長が、「わが社は社員に高い給料を払う。優秀な奴の生産性は普通の奴の2倍や3倍以上あるが、高い給料なんて、せいぜい2倍以下だ」 といっていたのを読んで、まったくその通りだと思いました。

フリーターの層が行うコンビニやファストフードの店員の仕事というのは、アジアからの留学生のアルバイトと生産性を競っているようにすら思います。

誰だって高い給料のほうがいいですが、高い給料を払うためには、その人の仕事が高い利益を上げている必要があるのは言うまでもありません。
たとえば、製造業で「高い賃金を支払うことができ」、かつ、「支払うに値する」仕事は、「他人にできない高度な生産技術が必要な仕事」で、かつ、「生み出された商品に高い付加価値のついている」仕事だと思います。

パソコンなどのようにハイテク機器っぽいものですら、今は中国やマレーシアの工場で生産され、日本のフリーターの賃金で工場を運営していては赤字になってしまい、採算がとれない状況になっています。

では、競合する中国の大卒の10倍以上の高い給料がもらえるように高い生産性を誇る工員になるべく、厳しい修行を5年ぐらい続ける気があるか?というと、フリーター諸氏にはその覚悟はないようです。

結局、今フリーターをしている人たちに年収500万円を支払うに見合う仕事をさせる方法が思いつかないのは、弱肉強食にすると叩かれる自民党だけじゃなくて、民主党も共産党の一緒だろうと思います。
自民党や経団連的な発想であれば、国民が沢山稼いでGNPをあげてくれた方が嬉しいわけですが、いまや年収500万円のプログラマーの仕事は中国に流れつつあります。
以前
民主党による貧富の格差の拡大というblogを書きましたが、その中で書いたように、


もし日本の競争力がどんどん低下して、日本で働きたいという人も減り、出稼ぎ労働者も来なくなればひょっとしたら貧富の差は縮まるかもしれません。
激しい上昇志向を持って成功に憧れる途上国の人たちをたくさん見てきました。
僕なら、日本のダメな人よりも彼らを雇います。

「ワタシハ ニホンジンヨリ ヤスイキュウリョウデ イッショウケンメイ ハタラキマス」
という人たちの倍の給料を貰うことを正当化できる論理がない限り、貧富の差は進み続けるでしょうし、それはまさにEU統合でヨーロッパの先進国で起きていることです。』

と今でも思っています。

アジアやアフリカではタクシードライバーや車をチャーターしたときの運転手がレンタカーを使っているなんてことがあります。職業的運転手が車を保有できないのです。
しかし日本では大学生でも車を持っていたりします。
日本のような恵まれた高いレベルの生活水準を維持しようと思ったら、日本が他国よりも経済的に勝ち続けるしかないのだろうと思います。
しかし、そういう強さに陰りが見えてきている今日では、生産性の低い人、他国の人に生産性でかなわない人の賃金が、グローバルスタンダードな値に近づいていくのは必然で不可避的だと思います。
そして国力を支えるのは、他国よりもリードできる技術を開発したり、特許紛争を解決できたり、他国の開発や投資の交渉が行えて高い利益を上げられるエリート層であり、この層をを叩いて他国に流れることになれば、沈下はさらに加速度的に出て行くでしょう。
そんな社会の行き着く先は、「農民も工場労働者も研究者も、共産党員以外は全て平民だ」という社会にしかならないように思います。

では、そいう社会主義的な非効率と悪平等と、先進国が直面しつつある高い賃金格差との社会の中庸はありえるのか?
他国との経済競争がある以上、難しいだろうなぁと思います。

補足:
やっぱりこの問題を語るなら標準的な議論の出発点としてギデンズの第三の道ぐらいはは読まないといけないだろうなぁ。

少しがっかり ビッグイシュー

2005年10月27日 | 就職・フリーター・ニート
こんばんわ。

最近はblogの更新が遅れ気味なのに、見てくださる方々ありがとうございます。

僕のblogで時々書いているビッグイシューですが、先日はこの関連でちょっといいことがありました。

一つはビッグイシューの応援団としてPodCastinで応援ラジオをやっている人がいて、インターネットの可能性を信じたい身として、かなりジーンときました。

しかもその管理者さんに

ビッグイシューについて書かれたblogを沢山読みましたが、本blogの意見が最も建設的だと思いました。「誰でもホームレスのような不幸と困難を背負う可能性はある」には全く同意します。

とおっしゃっていただき、ちょっと感激。
でも、今日はビッグイシューへの苦言です。

でももうひとついいお話は続きます。

僕は大学の授業を受けるために都庁にいく途中でビッグイシューを買っています。
急いでいるときなどで買えないときに目があうとちょっと悲しそうな顔をされたので、もう顔はお互いに覚えているのかもしれません。


そんなんで最近買えていなかったので、36号と37号を買いました。
最近寒くなってきましたが、まだ冬というほどではありません。
でも、ビッグイシューの販売員の方がダッフルコートを着ていたので
「風邪はひかれていませんか?」
と聞いたら、力強く
「えぇ、大丈夫です。ありがとうございます!!」
と応えてくださいました。

そういう人の心を気遣うというのも会社の同僚ぐらいまでで、気遣ってそんなにお礼を言われることも珍しく、不思議といい心持でした。
買った後しばらく歩いて後ろを振り返ると、深々と頭をさげていらっしゃいました。
時々話をしても、社交は苦手そうな方だっただけにちょっと隠れた一面を見た気がしました。

36号のビッグイシューでは無事にホームレスを脱出してアパートぐらしになった方の話も書かれていて、その記事が僕の最近での一番お気に入りの記事でした。

ところが、36号を見て、やっぱりビッグイシューが赤字で売れ行きが伸びないのはわかる気がするなぁという記事もありました。
テーマ改革という記事なのですが後半を抜粋して転載します。

中略

トモ子 「ともかく不安を煽っておいて、”断固”、”決然”とか言いながら、『変えられるのは俺だけだ』みたいな男気を示す人は、信用できないわね。そういう人に限って、裏で偉い人にゴマすってたりするし」
カズ男「どこの会社でもいるよな。熱血漢の岡田さんもいるし、したたかな神崎さんも、福島さんも、志位さんもいる」
トモ子 「そうね。それで、あたながいた会社は改革できたの?」
カズ男「変ったのは、人間関係。みんな憎悪と怨念にまみれた」
トモ子 「まぁ、もっと春風のような明るい改革を望むわ」

以上です。
どうですか?これって、民青(共産党の学生組織)が大学の構内でばら撒くプロパカンダのビラみたいだと思いませんか?
中身がなくて、与党の党首の人格批判だけです。
私はこういう批判は「ホームレスは怠け者だ」という世間の人と同様に、無思慮な発言だと思います。
ましてや、僕は自分がお金を出してこんな筆者のエゴ丸出しの幼稚な政治談議を聞かされるのは苦痛です。かなりムッとしました。

R25のようなビッグイシューよりもお金がかかっていて、記事も中身は薄いけど面白く読めるものが無料で配布されています。完成度も高いです。
でも、ビッグイシューはやっぱりボランティアベースな匂いが抜けなくて、時々アマチュアだなぁと思うことがあります。それ自身は仕方ないですし悪いことではありません。

僕が問題だと思うのは、腕の技巧の稚拙ではなくて、
「この記事を読んだお客さんは喜んでくれるか?」
ということに対する真意な問いができないアマチュアが書いていることです。
そしてそんなコラムを載せてしまうデスクの仕事の怠慢です。
ホームレスの人々の自立を助けたいと願う大志があるならば、その雑誌を買ってくれた人が手にとって「また買おう」と思える紙面づくりに注力して、自分たちの政治的思想を押し付けるのは我慢するべきではないのでしょうか?


37号での小泉氏圧勝への批判的記事は冷静な分析で読むに値していましたが、36号のような幼稚なものを紙面に載せるようなことを続けたらやはり冊数は売れないだろうと思います。

僕は自分のblogでは僕が好き勝手書いていますが、それは無料だからです。
そして読者の方々が気に入らなくて読んでくれなくなると、猫はかなしくて酒を沢山煽るかもしれませんが、困る人はいません。
でも、ビッグイシューが売れないと、本当に困る方々がいるはずです。

ビッグイシューのライターが書くべきは、安価とはいえ、有料で買ってくれた読者が満足する記事です。ライターのエゴで言いたい放題書くのは、やっぱりまだまだアマチュアだなぁと思います。
神は細部に宿る といいます。こういう小さな記事でも丁寧に書いていく心構えがなければ、クオリティーは上がらないだろうと思います。

今後も、左派だけで内輪盛り上がりのようにホームレスの方の抱える問題を論議し続けていくならそういうやり方もありでしょうが、僕のような保守論者の立場でホームレスの方々の自立を応援したいという人たちもいるのです。
このライターはそういう人たちは蚊帳の外においておくつもりでしょうか?

左派的主張は悪いとは思いませんが、人を小馬鹿にしたような政治評論なんて読んでいて気持悪いですし、そんなものを金を払って読むほど僕はお人良しではありません。

僕もあと半年で卒業で新宿にはあまりいかなくなるので、ビッグイシューが今のままの記者がいいたいことを書いたものが散見されることがあるようであれば、4月以降は買わないつもりです。

しかし、できれば4月以降も買いたくなる雑誌であるように頑張って欲しいなと思います。。

僕は36号にあったような自立した人の記事は素敵だと思うし、そういう記事を見ると電車の中でも涙ぐむような涙もろいのです。
そしてそういうちょっといい話を読むためだけで、僕は200円払っちゃいます。

個人的にはこれからの寒空の下で一生懸命うってくれるであろうホームレスの人々のために、彼らデスクの猛省を期待いたします。
買った人がまた読もうと思える紙面づくり、頑張ってください。
大事なのは技量じゃなくて、真心だと思います。

そしてこのblogの読者の方は猫が紙面がダメだと言っていたなんていってビッグイシューを買わないなんていわないで、ちゃっと一度は手にとって見てください。
いい記事も多いですよ。
(水の話とか、英国ホームレス事情とかアフリカネタとか良質でした。)

年収で思うこと

2005年07月21日 | 就職・フリーター・ニート
某匿名掲示板の就職板あたりで見ると、年齢×20万円の年収があると、一応、勝ち組サラリーマンらしいです。
22歳 440万円   30歳 600万円  40歳 800万円
ってところでしょうか?ただ、外資系などで退職金がない場合は、これ以上貰わないとダメな気がします。

さて、日経BP のIT PRO の記事で従業員の平均年収ランキングという記事で「NRIの平均年収が1000万円台に、キヤノン販売、セゾン情報が躍進」と書いてありました。(登録しないと読めないかもです。)
一位のNRIの1030万円(平均年齢35.7歳)電通国際情報サービス908万円(35.6歳)。。と続きます。

これを見て思うのですが、年収の比較なんて意味ないよなぁと思います。
NRIでこの平均よりも年収が高い知り合いがいて、僕の年収の倍ぐらいあると思いますが、仕事の勤務時間も僕の倍はある気がします。
それこそ徹夜から、土日まで勤務で夏休みは?ってな感じです。
(来年ぐらいには過労死するんじゃないかと・・・ という勢いです)

僕は自分の時間を売っているという意識が強いので、年収よりも時給のほうが大事です。
正直言って、体壊すほど働いて僕より給料安い若いコンサル会社の人とか、僕とはまったく異なる就業感だなと思います。

最近はフリーターや派遣社員の年収があっちこっちで話題になりますが、その時給がずーっとあがらないで安いままということが重要な課題だと思いますが、たしかに、若いバイトと30歳のバイトが同じ仕事していたら、同じ時給というのは当然だと思いますし、だからこそ、フリーターを快く思わないおじ様たちはスキルアップしろというのでしょう。

話を戻して、同年代でたくさん稼いでいる人と話をすると、僕のような立場も羨ましく見えることがあるそうです。
ITバブルの頃は、成功物語を見聞きして浮かれた学生たちが、ハイリスクハイリターンだといって、コンサル会社や外資系の厳しい会社に好んで就職しましたが、3年で残っている人がわずかという世界では、確かにハイリスクです。
それに対して、僕が今いるような会社はローリスクミドルリターンだと思います。

そのハイリスクハイリターンの世界で生き残った、30才前後のコンサルや外資金融の人たちは、それでもまだ将来が不安になるらしいです。
生き残ったが、かといって、これより上にいけそうもないし・・・
と言っています。
そして、我々のようなローリスクミドルリターンの会社で、管理職になっていく方が、生涯年収が多いといって、コンサルの知人は本気で給料半額の中途採用の公務員試験を受けていました。

私は、安い給料で自由気ままというのもいいとおもうし、ハイリスクハイリターンも、そのリスクを背負ってもいいとおもうなら好きにすればいいと思うし、僕はその真ん中をとったわけですが、年収というものを全面に出すとそういう多様性が見えなくなってしまいます。
ですから、年収だけを見ずにどうゆう人が、どんな働き方をしてもらっているのかを見ないと、わからないことがたくさんあります。

多くの金を稼ぐということは当然、多くのものを犠牲にしているんだということを、年収の多い人をひがんだりする人は思うべきだろうなと思います。

ホームレスの家の公園からの撤去

2005年07月07日 | 就職・フリーター・ニート
こんばんわ。

よく拝見しているブログ版☆ 「東京ホームレス」 村上知奈美の名古屋「白川公園」。を読んでのblogです。
こうして、万博開催のためにテントを撤去したところで、そこにいた皆さんは、シェルターの他に、どこか別の場所で
野宿生活を送り始めている訳で…
こんなやり方では、ホームレス問題が解決されないということは
間違いありませんね


と書かれています。これはその通りで、追い出しても解決しないというのはその通りだと思います。
しかし、公園にいるからといって、何かが解決したとも思わないし、市の公園行政が改善するとも思えません。

ということで、自分の場合はblogでビッグイシューの紹介をしたりする程度でホームレスのことは村上さんほど存じ上げていないので、実情とは違うのかもと思いながら、批判させていただきます。

名古屋で働いていたときには白川公園を通ることもありましたが、やはりホームレスがいる公園というのは異常な感じがします。上野も知っていますが、上野と異なり、ホームレスの町としてしか機能していない異常な感じでした。

私はそういう印象の白川公園に関して、シェルターなど一時的に住むところを提供しての撤去は、納税者のニーズを満たす、必要な措置の一環だと思います。

無論、こんなのでは解決にならないというご意見もその通りかもしれないと思いますが、シェルターなどに入って、一定期間でホームレスから抜け出して欲しいし、そうあるべきだ、という行政のあり方もまたまっとうだと思います。
ホームレスを追い出すことで解決にならないとしても、ホームレスが公園で生活する「権利」を認めても、やっぱり解決しないように思います。

厳しいですが、時限付のシェルターなどに移り住んでもらって、その環境下で仕事探しや職業訓練などをしてもらうというのが正論ではないかと思うのです。

ホームレスの人たちの仕事がないという実情も想像つきますし、集団生活をシェルターなどで送るよりは、公園生活の方がいいという人もいるかもしれません。
しかし、無職の人が公園に住む権利なんて、どこにも法制化されていないのです。
もし、ホームレス支援者の人々が強制撤去を不当だと思うのであれば、「ホームレス永住法」なる法律を作ってくれる議員候補を擁立して、当選させるべきなのです。
そういった世論の後ろ盾がないまま、行政を批判するのはやはり筋違いのように思います。

また、何の解決にもならない、という観点からであれば、私は素晴らしいと思う炊き出しなどのボランティアだってホームレス問題の解決にはなっていないと思います。
(たとえば若い人がそれを当てにして働かなくなったりすることもあるようですし)

私はホームレス支援者の人々の善意は信じますが、ホームレスの権利拡大や、公園の定住化や福祉のただ乗りなど既得権益の拡大には反対です。

この名古屋の公立病院で女医をしている友人と飲んだときに
「夜勤をしていると、ホームレスの人が救急車で来ることがあるの、でも、別にどこも悪くなくて、寒さをしのぐためにくるんだけど、ホームレスの医療費は自治体が出すことを知っているから、大きな態度でくるの。でも、生活保護を受けている人は医療費は払わないといけないから、重症になるまでこないから、あと3日前に来てくれていれば・・・・という状況も良くあるの。でも、そういう人は、「お金が無いから極力お金のかからないように治療してください・・・」っていうんだよ。
それにホームレスが帰ったあとの外来は、くさくて使い物にならない」
と言っていました。
彼女は国公立の医学部を出た人は、公立病院で安い給料でしばらく働いて社会に還元すべきだと考えていましたし、ジェンダー論では僕と論争するようなリベラル派だったので、決して差別論的な人でも、保守派でもありませんが、そういう人が、ホームレス批判をするほど目に余る現状もあるのです。
おそらくは救急医療を必要とする人を押しのけて寒さしのぎにくるホームレスへの怒りは、医療人としての正義感だと想像します。

こうした例以外にも、公園という公共財を私有化しても恥じない強硬派のホームレスには憤りを感じますし、公園は地域社会から撤去を求められるまでの暫定的な住処であるべきだと私は思っています。
だいたい、公園を強制撤去すると支援者は左翼が多いので行政に矛先を向けるが、地元住民のホームレス立ち退き反対という署名活動があったなんて話は聞かないわけですし、地元住民の暗黙も支持があると考えるのが妥当だと思います。
さらに、支援者は、だいたい休耕地なんて日本にあるんだから、ホームレスでも自給自足できる共同体でもつくればいいのにとも思います。

そうした理由で、私はこれ以上、ホームレスのために行政による支出や権利拡大をする動きとは敵対するだろうなと思います。
たいして、ビッグイシューのように自立を促す取り組みには積極的に支援したいし毎号買うようにしています。
ですから行政が、職業訓練や、必要資金の貸付などにお金を使うことには、精査した目的であれば大賛成です。

子供の医療費を払えずに、重症になってしかつれてこれない救急外来に、寒さしのぎやってきて高笑いするホームレス。そういう人たちが白川公園に住んでいたことを、ホームレス支援者には強く言っておきたい、と思います。

結局誰の権利を重んじるかはバランスの問題であって、公園を正常に使う権利を我々は有していますし、シェルターに移住してもらって、その間に自立を促す、というのは、社会のバランスのありようとして、一つのあり方だと私は思います。

本当に仕事は無いの?

2005年07月04日 | 就職・フリーター・ニート
最近は仕事が少ないとも、若者の失業率が高いともいいます。
しかし、さくら水産松屋へ行くとアジアの若者が働いています。

昔は日本の学生やフリーターの仕事だったように思いますが、すっかり海外の若者に職をとられてしまったように見えます。
日本語があまり堪能でない人々からすら仕事を奪えない若者たちが、仕事が無いから働かない と言われても、実際にどんな仕事なら彼らに任せらるのかわかりません。

諸外国の留学生と比べて、使えないとされた日本の若者にさせるべき仕事なんてそうそうないと思うし、さすがに世の中そんなに甘くはないと思いますが、どうなんでしょう?

メディアや学校の教師に、「好きな仕事をしろ」「いい給料をもらおう」と踊らされた結果、自分の能力とつりあう仕事をすることが精神的苦痛になっている人もけっこういるんじゃないかと思います。

「ボクノ ホウガ シッカリ ハタライテイルノニ キュウリョウハ ニホンノ ガクセイヨリ ヤスイ」 といわれるような日本の学生にすらアルバイトの面接で負けた人は、そのアジアの人の給料よりもさらに安く働くしかないと思うのですが、いかがでしょうか?

会社のやめ時 愚痴モード

2005年06月16日 | 就職・フリーター・ニート
今日は、上司と面談だったのですが、毎回話している私の処遇について話すと
やっぱりそのうち西日本に送られてしまうらしいです。
向こう側からの引力がかなり強いらしく、こっち(研究所)としても長くは引き止められないらしいです。

かねてより大阪に平社員でいくなら辞める と言っているのですが、そろそろリミットなのであ1,2年で今の会社を辞めるかどうかの決断をしないといけないようです。

私の戻される会社は就職活動中の学生にもそこそこ人気のある会社のようですが、人には合う合わないがあるので、私には合わないようです。
マズローの欲求でいうところの、生理的欲求とか安全とかを満たしてくれても(給与と安定雇用と福利厚生)、わめくだけの団塊オヤジの丁稚奉公や、ぬるま湯にそまってさえない若手と一緒に、自己実現とは程遠い仕事をするのはもうゴメンなんですよね。

入社前はもう少し優秀な人が多いかと思ったのですが、会社を四つにわけたときに、一番ダメな人が残った会社のような気がする・・・(というか周知の事実ですが)
研究所と違って、強力な民主党系の労働組合があって、若手は民主党の事務所で無償奉仕させられたり、オヤジたちのために家で持ち帰り仕事なんて状況の、団塊のオヤジ%働かない人パラダイス だったので、なんか、お前らにはつきあってられんは・・・ という感じですね。
(ただし、どこの会社にいる人と話をしても、自分の会社はダメだ というケースの方が多いので、実はそんなにダメなのではないかもしれませんが)

とはいっても、戻され先の海外派遣に募集しているので、明日締め切りの小論文を書かないといけません。
もし行かせてくれて、行っている間に昇級が遅れないなら、戻ってもいいかな。
うーん、合格させて

まぁ、世の中仕事なんてたくさんあるわけで、たまには別の会社の空気を吸ってみるのも良いと思うので、思うようにならない転勤だったらとっととやめてしまおうと思います。

そうしたら半年ぐらいは世界を放浪したいですね。
その際にはあこがれのニートになってみます。

綺麗な海や空を眺める生活を半年ぐらいしたいなぁ。 ← 結局、働くことに飽きているとも言う。

今の上司は、まぁ、どうにかするように交渉するよ。
といいながらも、○○の会社なら幹部しっているから行きたいなら話しをするよ。
なんて本気か冗談かわからない話をするのですが、まぁ、辞めるとなってもつまらない引止めはしなさそうなので、何よりです。

ということで、会社を辞めてもしばらく食べていけるように、アパートは今の安アパートのままにします。引越しはやめですね。
年収300万円時代でいっているように、給与を多く稼ぐためにあくせくするのも嫌なので、生活は小さくしておいて、金なんかいらないから、お前らとはつきあわんん!! と言えるのが、ストレスを感じない秘訣のように思います。
たくさん稼がないといけない生活は、きっと疲れるし、仕事やめられなくなりますからね。
(貧乏でも平気な奥さん希望)

さて、明日は必死で小論文作成なので、そろそろ寝ます。

就職学生さんたち

2005年06月13日 | 就職・フリーター・ニート
最近、出張などで街に出ると、少なくなったとはいえ、街を歩いている就職活動中の学生さんたちが目に付きます。

長丁場の就職戦線できっと苦労しているんでしょうけど、すぐに就職あきらめて、ニートやフリーターになる学生が多いといわれる中で、頑張って続けている人たちにエールを送りたいなと思います。

女の子のリクルートスーツ姿はかわいらしいし、男の子のリクルートスーツは若くてほほえましいですね。
(誰があんな変なスーツを考案したんだろう??)

今年は採用数も増えているようですね。
まだ内定が取れない人たちも、何が失敗要因だったのか、自分のエントリーシートは人が私に会いたいと思うような内容なのか?、自分ができそうなことの中で何がしたいのか? いろいろ考えて、来年の春には笑って卒業できるようになっていているといいなぁと思います。

努力は報われるとは限らないが、努力せず成功することはない。
そうです。頑張れぇ!!

就職戦線「慶応圧勝」の理由 企業の慶応好き、早稲田いや

2005年06月03日 | 就職・フリーター・ニート
就職戦線「慶応圧勝」の理由 企業の慶応好き、早稲田いやを再度読んで。

この記事はアエラの2004年の年末の記事で、雑誌で立ち読みしたのですが、
再度読んでみて思うのは、早稲田に縦横のつながりがないという下りが気になります。

いぜん、学生の人のエントリーシートを添削したときに思ったのですが、
僕とやりとりをする中で、書いてくる内容が見違えるほど良くなるし、
本人の話が、論理的に筋が通って、思い込みじゃなくて、しっかり考えているという話し方に変わってきました。

そういう、人と話をして、自分の考えに確信をもったり、疑ったり、
そもそも人に自分のことを聞いてもらうことが楽しいと思うようになったり、
そういう作業を通じて、社会に出て行く際の自分を相対化できるのだと思います。

なのに、あれほどのマンモス大学でそういう話をする先輩も、仲間も見つけられなかったとしたら、
人生ってきっとつまらないだろうなぁと思うし、働く辛さも楽しさもわからないまま就職活動をするんだろうなって思います。

人と相対化できないなかでは、きっと自分が社会の中でどう生きていこうとしているのかも、わからないのだろうと思います。

なんか、ちょっと、かわいそう。サークルの先輩とかが、就職の相談にのってあげるのは、過去の時代なのかなぁ。

学生向けデモ

2005年03月17日 | 就職・フリーター・ニート
最近、研究所を訪れる人向けのデモに僕が開発したセキュリティゲートウェイが狩り出される率が跳ね上がっているのですが、先日は入社検討中の学生さん向けのデモでした

4つのグループのうち二つのグループにデモをしたのですが、8人ぐらいのグループでも二つのグループは全然雰囲気が違いますね。
やっぱり誰かが緊張していると緊張が伝播するのか、他のデモンストレーション担当者に聞いてもおとなしかったグループはやっぱり他の部屋でもおとなしかったらしいです。

別に僕たちに採用を左右する権限なんてまったくありはしないのに、あんなに気をつかっていた学生さんたちがちょっとかわいそうですね。

また、かなり専門的かつ的確な質問をしてくる学生も数人いて、技術水準とセンスの良さは目を見張るものがあるなと思いました。

そういう人にはぜひとも入ってもらいたいからだと思いますが、内定承諾前の学生さんは基本的にVIP扱いです。
学生の方々も就職活動は大変だと思いますが、採用する側も優秀な学生の争奪戦で結構大変なんだって事はわかってほしいなぁと思います。

富士通も通年採用を始めたようですし、採用する側も効率性を無視してもリクルータ制度以外の一般学生の採用もがんばっていますし、採用を通年にしてとりこぼしていた公務員落ちや資格試験落ちの学生も採用しようとしています。

採用される側もする側も、昔にないぐらいの真剣勝負になっているように思います。

さて、先日説明した学生さんの何人かは入ってくれるとうれしいなぁ。

プロ意識

2005年03月01日 | 就職・フリーター・ニート
仕事をしていると、会社の論理と自分のプロフェッショナルの論理がバッティングするときがある。

たとえば、顧客に不利益なことがわかっていても、うりつけないとノルマを達成できない営業やコンサルがいるときに、最後に、自分のプロとしての良心にしたがって、
「これを買っていただけると私は助かりますが、しかし、きっとお客様の役に立つものは他にあると思います」
と言えるかどうか。

もし言えないなら、どんなにスキルが高くてもそれはプロではなくて、会社員としての能力だろう。

いま、若い人から中年まで、就社ではなく就職だ と言われているが、実際に、そういう覚悟でプロとして仕事をしている人がどれほどいるだろうか?
実際は、会社にコビを売れる程度のスキルを身につけて、それをプロの仕事だといてっているのではないだろうか?
そして就職関係や資格取得を薦める人たちもそんなプロ意識とは別に、たんに経営者に雇われるための技術をプロと呼んでいるのではないだろうか?

私の言うことに少しでも、そういう見方もあるかも、と思った方はドラッカーの
プロフェッショナルの条件を読んでみてください。

プロフェッショナルの条件は一つしかない
「知りながら害をなさない」
しかし、これを法律家の立場であれ、医師の立場であれ、政治家の立場であれ、マスコミの立場であれ、貫き通すことはとても辛く険しい道です。
しかし、その道を貫き通せないひとは、プロフェッショナルではなく、技術を持った会社(組織)の犬でしかありません。

自分の仕事を「神々が見ている」と思って、それに恥じない仕事をしているかどうか?

そして、ITバブルの頃に花形とされた仕事や、今も花形とされている仕事のいくつかは、組織や金の奴隷ではあっても、決して、「知りながら害をなさない」というソクラテスの誓いを貫き通せないプロフェッショナルのまがい物だと思います。

就職活動や転職ビジネスの人々。花形職業の人々の問いたい。
あなた方のいうプロの仕事は、神が見ているとしても、正義の羽と天秤にかける最後の審議に自分の魂を差し出せる重さがありますか?
そして、知識のない顧客や患者、国民に対して、「知りながら害をなさない」といえますか?

そういえない人が、原発で事故を起こし、医療事故を隠蔽し、顧客を不幸にするコンサルティングを行い、そして、役に立たないものを消費させ続けているのです。

私自身、神々が見ている、といわれたら、穴に入って隠れていたい。
そして、たとえば
かものはしプロジェクトのエンジニアと比べたら、ひょっとしたら僕のほうが技術はあるかもしれないが、プロフェッショナルとして、そして仕事を「神が見ている」としたら、きっと私よりも重い心臓を神の前で正義の羽との天秤にかけられるだろうとも思う。

最近のプロフェッショナル志向には、そういう自らの力をもって、社会に善を成すという覚悟が薄いように思います。
おそらく今のプロフェッショナル志向は金銭に結びついたものであり、大志や社会の善とは関係が薄いものでしょう。
学生のいう夢も、30代前の転職ブームも、そういう軽薄なものが多いように感じる。
しかし、本来のプロフェッショナルとは技術と、自らの職業倫理の向上の世界であり、職業倫理があるからこそ、自らがよき仕事を成すために技術をつけていくものだと思います。

そして、まだ未熟で十分な技術や能力がない人であっても、誤ったことを誤っているといい、正義に反することを正義に反するということは勇気だけがあればできます。

しかし、今あふれる企業の不祥事は、プロになれずに社蓄になった人々の所作です。
優秀であることは、正しくあることよりも遥かに簡単だ と私は思います。
しかし、最後の問われるのは、プロとしての技術ではなくて、プロとしての職業倫理だと私は思います。


補足 プロフェッショナルの条件100ページより
フェイディアスの教訓
ギリシャの彫刻家フェイディアスの話だった。紀元前440年ころ、彼はアテネのパンテオンの屋根に建つ彫刻群を完成させた。それらは今日でも西洋最高の彫刻とされている。だが彫像の完成後、フェイディアスの請求書に対し、アテネの会計官は支払いを拒んだ。「彫像の背中は見えない。誰にも見えない部分まで彫って、請求してくるとは何ごとか」といった。それに対して、フェイディアスは次のように答えた。「そんなことはない。神々が見ている。」