『下流社会』という本が売れているようです。
自分は未読なのですが、カトラーさんの杉村太蔵が炎上している? ~見えてこないニートたちの怒り~のblogの中にグラフを見て思ったことを述べさせていただきます。
このグラフでは縦軸に対外コミュニケーション力、横軸に生産性・効率性をとっています。
確かに、その生産性を個人が1時間でできる仕事という意味での生産性を取ればその通りだと思います。
しかし、誰にとっての生産性や効率性かという観点がフリーターを語る上では必要ではないかと思います。
雇う側から見れば、1000円あたりの生産性を気にするわけです。
ある社長が、「わが社は社員に高い給料を払う。優秀な奴の生産性は普通の奴の2倍や3倍以上あるが、高い給料なんて、せいぜい2倍以下だ」 といっていたのを読んで、まったくその通りだと思いました。
フリーターの層が行うコンビニやファストフードの店員の仕事というのは、アジアからの留学生のアルバイトと生産性を競っているようにすら思います。
誰だって高い給料のほうがいいですが、高い給料を払うためには、その人の仕事が高い利益を上げている必要があるのは言うまでもありません。
たとえば、製造業で「高い賃金を支払うことができ」、かつ、「支払うに値する」仕事は、「他人にできない高度な生産技術が必要な仕事」で、かつ、「生み出された商品に高い付加価値のついている」仕事だと思います。
パソコンなどのようにハイテク機器っぽいものですら、今は中国やマレーシアの工場で生産され、日本のフリーターの賃金で工場を運営していては赤字になってしまい、採算がとれない状況になっています。
では、競合する中国の大卒の10倍以上の高い給料がもらえるように高い生産性を誇る工員になるべく、厳しい修行を5年ぐらい続ける気があるか?というと、フリーター諸氏にはその覚悟はないようです。
結局、今フリーターをしている人たちに年収500万円を支払うに見合う仕事をさせる方法が思いつかないのは、弱肉強食にすると叩かれる自民党だけじゃなくて、民主党も共産党の一緒だろうと思います。
自民党や経団連的な発想であれば、国民が沢山稼いでGNPをあげてくれた方が嬉しいわけですが、いまや年収500万円のプログラマーの仕事は中国に流れつつあります。
以前
民主党による貧富の格差の拡大というblogを書きましたが、その中で書いたように、
『
もし日本の競争力がどんどん低下して、日本で働きたいという人も減り、出稼ぎ労働者も来なくなればひょっとしたら貧富の差は縮まるかもしれません。
激しい上昇志向を持って成功に憧れる途上国の人たちをたくさん見てきました。
僕なら、日本のダメな人よりも彼らを雇います。
「ワタシハ ニホンジンヨリ ヤスイキュウリョウデ イッショウケンメイ ハタラキマス」
という人たちの倍の給料を貰うことを正当化できる論理がない限り、貧富の差は進み続けるでしょうし、それはまさにEU統合でヨーロッパの先進国で起きていることです。』
と今でも思っています。
アジアやアフリカではタクシードライバーや車をチャーターしたときの運転手がレンタカーを使っているなんてことがあります。職業的運転手が車を保有できないのです。
しかし日本では大学生でも車を持っていたりします。
日本のような恵まれた高いレベルの生活水準を維持しようと思ったら、日本が他国よりも経済的に勝ち続けるしかないのだろうと思います。
しかし、そういう強さに陰りが見えてきている今日では、生産性の低い人、他国の人に生産性でかなわない人の賃金が、グローバルスタンダードな値に近づいていくのは必然で不可避的だと思います。
そして国力を支えるのは、他国よりもリードできる技術を開発したり、特許紛争を解決できたり、他国の開発や投資の交渉が行えて高い利益を上げられるエリート層であり、この層をを叩いて他国に流れることになれば、沈下はさらに加速度的に出て行くでしょう。
そんな社会の行き着く先は、「農民も工場労働者も研究者も、共産党員以外は全て平民だ」という社会にしかならないように思います。
では、そいう社会主義的な非効率と悪平等と、先進国が直面しつつある高い賃金格差との社会の中庸はありえるのか?
他国との経済競争がある以上、難しいだろうなぁと思います。
補足:
やっぱりこの問題を語るなら標準的な議論の出発点としてギデンズの第三の道ぐらいはは読まないといけないだろうなぁ。
自分は未読なのですが、カトラーさんの杉村太蔵が炎上している? ~見えてこないニートたちの怒り~のblogの中にグラフを見て思ったことを述べさせていただきます。
このグラフでは縦軸に対外コミュニケーション力、横軸に生産性・効率性をとっています。
確かに、その生産性を個人が1時間でできる仕事という意味での生産性を取ればその通りだと思います。
しかし、誰にとっての生産性や効率性かという観点がフリーターを語る上では必要ではないかと思います。
雇う側から見れば、1000円あたりの生産性を気にするわけです。
ある社長が、「わが社は社員に高い給料を払う。優秀な奴の生産性は普通の奴の2倍や3倍以上あるが、高い給料なんて、せいぜい2倍以下だ」 といっていたのを読んで、まったくその通りだと思いました。
フリーターの層が行うコンビニやファストフードの店員の仕事というのは、アジアからの留学生のアルバイトと生産性を競っているようにすら思います。
誰だって高い給料のほうがいいですが、高い給料を払うためには、その人の仕事が高い利益を上げている必要があるのは言うまでもありません。
たとえば、製造業で「高い賃金を支払うことができ」、かつ、「支払うに値する」仕事は、「他人にできない高度な生産技術が必要な仕事」で、かつ、「生み出された商品に高い付加価値のついている」仕事だと思います。
パソコンなどのようにハイテク機器っぽいものですら、今は中国やマレーシアの工場で生産され、日本のフリーターの賃金で工場を運営していては赤字になってしまい、採算がとれない状況になっています。
では、競合する中国の大卒の10倍以上の高い給料がもらえるように高い生産性を誇る工員になるべく、厳しい修行を5年ぐらい続ける気があるか?というと、フリーター諸氏にはその覚悟はないようです。
結局、今フリーターをしている人たちに年収500万円を支払うに見合う仕事をさせる方法が思いつかないのは、弱肉強食にすると叩かれる自民党だけじゃなくて、民主党も共産党の一緒だろうと思います。
自民党や経団連的な発想であれば、国民が沢山稼いでGNPをあげてくれた方が嬉しいわけですが、いまや年収500万円のプログラマーの仕事は中国に流れつつあります。
以前
民主党による貧富の格差の拡大というblogを書きましたが、その中で書いたように、
『
もし日本の競争力がどんどん低下して、日本で働きたいという人も減り、出稼ぎ労働者も来なくなればひょっとしたら貧富の差は縮まるかもしれません。
激しい上昇志向を持って成功に憧れる途上国の人たちをたくさん見てきました。
僕なら、日本のダメな人よりも彼らを雇います。
「ワタシハ ニホンジンヨリ ヤスイキュウリョウデ イッショウケンメイ ハタラキマス」
という人たちの倍の給料を貰うことを正当化できる論理がない限り、貧富の差は進み続けるでしょうし、それはまさにEU統合でヨーロッパの先進国で起きていることです。』
と今でも思っています。
アジアやアフリカではタクシードライバーや車をチャーターしたときの運転手がレンタカーを使っているなんてことがあります。職業的運転手が車を保有できないのです。
しかし日本では大学生でも車を持っていたりします。
日本のような恵まれた高いレベルの生活水準を維持しようと思ったら、日本が他国よりも経済的に勝ち続けるしかないのだろうと思います。
しかし、そういう強さに陰りが見えてきている今日では、生産性の低い人、他国の人に生産性でかなわない人の賃金が、グローバルスタンダードな値に近づいていくのは必然で不可避的だと思います。
そして国力を支えるのは、他国よりもリードできる技術を開発したり、特許紛争を解決できたり、他国の開発や投資の交渉が行えて高い利益を上げられるエリート層であり、この層をを叩いて他国に流れることになれば、沈下はさらに加速度的に出て行くでしょう。
そんな社会の行き着く先は、「農民も工場労働者も研究者も、共産党員以外は全て平民だ」という社会にしかならないように思います。
では、そいう社会主義的な非効率と悪平等と、先進国が直面しつつある高い賃金格差との社会の中庸はありえるのか?
他国との経済競争がある以上、難しいだろうなぁと思います。
補足:
やっぱりこの問題を語るなら標準的な議論の出発点としてギデンズの第三の道ぐらいはは読まないといけないだろうなぁ。
