ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

チベットの平和を祈念する僧侶の会とか、サガダワとか

2008年06月19日 | 徒然なるまま(日々雑事)
今日は体調が悪いので、午前中は会社を休んだ

本当は5時に帰って、
「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」 
http://www.geocities.jp/supersamgha/
に参加して、

護国寺でサガダワに参加

という予定だったが、職場を出たのが6時半で宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会 は断念。

かわりに、賛同のメールを送っておきました。
# 日記の末尾に転載

この僧侶の会の声明文がとても素晴らしいのです
http://www.geocities.jp/supersamgha/seimei.htm

もうね、職場でウルウルしちゃいました

で、護国寺の法要についたのが8時ちょっと前。
ギリギリ最後のところに滑り込んだ感じ

人権リレーに行っていたメンバーが合流するというので、かなり体調が悪いのを押して、飲み会に参加

いまにいたる。

明日も仕事じゃ
まずいので、風呂に入って寝ます


以下、猫から僧侶の方々への賛同文


このたびのご決断、心より敬意と謝意を申し上げます
私は、アジアの仏教国が好きで、特にラオスやビルマのような上座部仏教の国を旅行しております。

この1月にもラオスの山の方で夜はろうそくで過ごすような所にも行ってまいりましたが、そうしたところでも、仏教への信仰は強く深く根付いており、朝の托鉢が生活の一部として溶け込んでいます
そしてそれが、単なる形式化した儀式ではなく、人々の深い信仰によっているということに、渡航するたびに、感動しておりました
人々は来世のために現世を生きていると言い、徳を積むために生きていて、本当に美しく生きていると感じさせます

そうした国々を旅行すると、人々をこれほど美しく生きさせる仏教とは何かと興味を持ち、パーリー経典やジャータカなどを読むようになりましたが、仏教徒として日本のお寺をお参りさせていただくこともあまりありませんでした。

それは、、日本では仏教は葬式仏教と揶揄されるように、信仰は儀式化してしまい、仏教が深い信仰心の対象として人々の生き方、態度に良い影響を与えているようには感じていなかったからだと思います。
旅先でも日本人は同じ仏教徒だからと歓迎されることに居心地に悪さを感じていました。

しかし、チベットでの騒乱以降、圓教寺の大樹玄承様、善光寺様、そして今回の僧侶の会の皆様が示されたのは、まさに慈悲の心であり、私たちに、弱きもの、正しきものの側に立って歩む勇気を持つことの尊さを示されたと思います

本当に素晴らしいことです。みなさまは、この国で人として歩むべき道をお示しくださいました。
ありがとうございます。



チベットの平和を祈念する僧侶の会とか、サガダワとか

2008年06月19日 | 徒然なるまま(日々雑事)
今日は体調が悪いので、午前中は会社を休んだ

本当は5時に帰って、
「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」 
http://www.geocities.jp/supersamgha/
に参加して、

護国寺でサガダワに参加

という予定だったが、職場を出たのが6時半で宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会 は断念。

かわりに、賛同のメールを送っておきました。
# 日記の末尾に転載

この僧侶の会の声明文がとても素晴らしいのです
http://www.geocities.jp/supersamgha/seimei.htm

もうね、職場でウルウルしちゃいました

で、護国寺の法要についたのが8時ちょっと前。
ギリギリ最後のところに滑り込んだ感じ

人権リレーに行っていたメンバーが合流するというので、かなり体調が悪いのを押して、飲み会に参加

いまにいたる。

明日も仕事じゃ
まずいので、風呂に入って寝ます


以下、猫から僧侶の方々への賛同文


このたびのご決断、心より敬意と謝意を申し上げます
私は、アジアの仏教国が好きで、特にラオスやビルマのような上座部仏教の国を旅行しております。

この1月にもラオスの山の方で夜はろうそくで過ごすような所にも行ってまいりましたが、そうしたところでも、仏教への信仰は強く深く根付いており、朝の托鉢が生活の一部として溶け込んでいます
そしてそれが、単なる形式化した儀式ではなく、人々の深い信仰によっているということに、渡航するたびに、感動しておりました
人々は来世のために現世を生きていると言い、徳を積むために生きていて、本当に美しく生きていると感じさせます

そうした国々を旅行すると、人々をこれほど美しく生きさせる仏教とは何かと興味を持ち、パーリー経典やジャータカなどを読むようになりましたが、仏教徒として日本のお寺をお参りさせていただくこともあまりありませんでした。

それは、、日本では仏教は葬式仏教と揶揄されるように、信仰は儀式化してしまい、仏教が深い信仰心の対象として人々の生き方、態度に良い影響を与えているようには感じていなかったからだと思います。
旅先でも日本人は同じ仏教徒だからと歓迎されることに居心地に悪さを感じていました。

しかし、チベットでの騒乱以降、圓教寺の大樹玄承様、善光寺様、そして今回の僧侶の会の皆様が示されたのは、まさに慈悲の心であり、私たちに、弱きもの、正しきものの側に立って歩む勇気を持つことの尊さを示されたと思います

本当に素晴らしいことです。みなさまは、この国で人として歩むべき道をお示しくださいました。
ありがとうございます。

今週末の過ごし方 やっぱり子どもが好きだなと思った

2008年06月09日 | 格差社会を考える
土日は、のんびりと温泉にでも行こうと思っていました

えぇ、確かに、思っていたし、そう書きました

が、土曜日は上野で薬師寺展を見てきました
日曜日は50人のチベット展へ行ってきました

薬師寺展は本当に良かったです
もうね、いい仏像が大好きな僕としては、いくら見ていても見飽きないのです
たぶん、1時間以上眺めていました

上野に受胎告知が来たときも、平日にもいってずーっと眺めていました

いや、幸せ。


で、今日は50人のチベット展へ行ってきました
http://tibet-daisuki.at.webry.info/200805/article_6.html

チベット好きの人が写真を一枚ずつ飾っての写真展なのですが、本当に美しい場所だと思える写真でした
そしてやっぱり子どもを撮っている人が多いです

とても素直でいい笑顔の子供達

こういう子達の未来に希望がありますように と切に思います

自由が欲しいという、
ダライラマの肖像を持っている

たった、それだけで、人が殺されるような時代が21世紀にもなって常任理事国の国の中でおきています

世界中の子供達の未来が、自分の力で切り開けますように。

それはチベットの子供達だけではありません
たとえば、世界には、貧しく、地域にコミュニティーや教育、知識がないために買春宿に売られる子供達もいます。
ということで、カンボジアで児童買春と向き合って活動をしている「かものはしプロジェクト」もよろしくです。
# 最近はチベットサポーターが多いのですが、僕はもともとチベット以外にも途上国の子ども支援に強い興味と関心があるのです

22日は総会があります
ご興味がある方、ぜひとも一緒に行きましょう!!
http://www.kamonohashi-project.net/news/japan/20080603_426.php

まぁ、いつものお約束なのですが、
カンボジアが今のような悲惨な状況になっているのは、ポルポト共産主義が字の読み書きができる、外国語ができるなんていうインテリを皆殺しにしたから。人口の3分の1ほどをマルクス虐殺した。おかげでいまだに国内にはエンジニアとかがほとんどいない。

チベットが悲惨な状況になっているのは、毛沢東共産主義が侵略戦争をしたから。

もしマルクスがいなかったら、この世界はもっと素晴らしかったと思う。

でも、僕たちはそういう現実の社会に生きてしまっているのだから、一人でも多くの人、特に子どもの将来が開かれたものであることを願っているし、日本人がその手助けをして、感謝され尊敬されることを願っています。