今日は体調が悪いので、午前中は会社を休んだ
本当は5時に帰って、
「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」
http://www.geocities.jp/supersamgha/
に参加して、
→
護国寺でサガダワに参加
という予定だったが、職場を出たのが6時半で宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会 は断念。
かわりに、賛同のメールを送っておきました。
# 日記の末尾に転載
この僧侶の会の声明文がとても素晴らしいのです
http://www.geocities.jp/supersamgha/seimei.htm
もうね、職場でウルウルしちゃいました
で、護国寺の法要についたのが8時ちょっと前。
ギリギリ最後のところに滑り込んだ感じ
人権リレーに行っていたメンバーが合流するというので、かなり体調が悪いのを押して、飲み会に参加
いまにいたる。
明日も仕事じゃ
まずいので、風呂に入って寝ます
以下、猫から僧侶の方々への賛同文
このたびのご決断、心より敬意と謝意を申し上げます
私は、アジアの仏教国が好きで、特にラオスやビルマのような上座部仏教の国を旅行しております。
この1月にもラオスの山の方で夜はろうそくで過ごすような所にも行ってまいりましたが、そうしたところでも、仏教への信仰は強く深く根付いており、朝の托鉢が生活の一部として溶け込んでいます
そしてそれが、単なる形式化した儀式ではなく、人々の深い信仰によっているということに、渡航するたびに、感動しておりました
人々は来世のために現世を生きていると言い、徳を積むために生きていて、本当に美しく生きていると感じさせます
そうした国々を旅行すると、人々をこれほど美しく生きさせる仏教とは何かと興味を持ち、パーリー経典やジャータカなどを読むようになりましたが、仏教徒として日本のお寺をお参りさせていただくこともあまりありませんでした。
それは、、日本では仏教は葬式仏教と揶揄されるように、信仰は儀式化してしまい、仏教が深い信仰心の対象として人々の生き方、態度に良い影響を与えているようには感じていなかったからだと思います。
旅先でも日本人は同じ仏教徒だからと歓迎されることに居心地に悪さを感じていました。
しかし、チベットでの騒乱以降、圓教寺の大樹玄承様、善光寺様、そして今回の僧侶の会の皆様が示されたのは、まさに慈悲の心であり、私たちに、弱きもの、正しきものの側に立って歩む勇気を持つことの尊さを示されたと思います
本当に素晴らしいことです。みなさまは、この国で人として歩むべき道をお示しくださいました。
ありがとうございます。
本当は5時に帰って、
「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」
http://www.geocities.jp/supersamgha/
に参加して、
→
護国寺でサガダワに参加
という予定だったが、職場を出たのが6時半で宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会 は断念。
かわりに、賛同のメールを送っておきました。
# 日記の末尾に転載
この僧侶の会の声明文がとても素晴らしいのです
http://www.geocities.jp/supersamgha/seimei.htm
もうね、職場でウルウルしちゃいました
で、護国寺の法要についたのが8時ちょっと前。
ギリギリ最後のところに滑り込んだ感じ
人権リレーに行っていたメンバーが合流するというので、かなり体調が悪いのを押して、飲み会に参加
いまにいたる。
明日も仕事じゃ
まずいので、風呂に入って寝ます
以下、猫から僧侶の方々への賛同文
このたびのご決断、心より敬意と謝意を申し上げます
私は、アジアの仏教国が好きで、特にラオスやビルマのような上座部仏教の国を旅行しております。
この1月にもラオスの山の方で夜はろうそくで過ごすような所にも行ってまいりましたが、そうしたところでも、仏教への信仰は強く深く根付いており、朝の托鉢が生活の一部として溶け込んでいます
そしてそれが、単なる形式化した儀式ではなく、人々の深い信仰によっているということに、渡航するたびに、感動しておりました
人々は来世のために現世を生きていると言い、徳を積むために生きていて、本当に美しく生きていると感じさせます
そうした国々を旅行すると、人々をこれほど美しく生きさせる仏教とは何かと興味を持ち、パーリー経典やジャータカなどを読むようになりましたが、仏教徒として日本のお寺をお参りさせていただくこともあまりありませんでした。
それは、、日本では仏教は葬式仏教と揶揄されるように、信仰は儀式化してしまい、仏教が深い信仰心の対象として人々の生き方、態度に良い影響を与えているようには感じていなかったからだと思います。
旅先でも日本人は同じ仏教徒だからと歓迎されることに居心地に悪さを感じていました。
しかし、チベットでの騒乱以降、圓教寺の大樹玄承様、善光寺様、そして今回の僧侶の会の皆様が示されたのは、まさに慈悲の心であり、私たちに、弱きもの、正しきものの側に立って歩む勇気を持つことの尊さを示されたと思います
本当に素晴らしいことです。みなさまは、この国で人として歩むべき道をお示しくださいました。
ありがとうございます。