ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

反原発 この国の民主主義とは何か?

2012年06月23日 | 政治・経済・社会現象
再稼働撤回求め官邸前でデモ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2058332&media_id=2

反原発のデモに1万人近く集まったそうです。
いつものように、主催者側は、物理的に入らない人数を参加者として発表しているようです。

民主主義国家ですから、合法的なデモが行われる環境・雰囲気は大切だと思います。

そうした国で、なぜ、関西や大飯町では、地元住民による大きなデモが無いのか、考えてみるべきです。
白票を投じることが意思表示であるように、デモをしない、デモに参加しない ということもまた、意思表示です。

関西や原発立地地区の人がデモをしないのに、
関西を停電させるデモを東京で行い、人数が集まれば関西を停電させられるのだ
と信じるのは如何なものかと思う。

関西でも、大飯町でも、福島でも、反原発はまったく盛り上がっていません。
関電の前で、ずっと座り込んでいる好青年たちが数人いますが。

自らはデモに参加するだけで、あとは高みの見物。
停電も、雇用や経済的影響も、全てのデメリットを他人だけに強いることを要求しているデモが
正当な要求をしているとは到底思えません。

本当に4万人もいて、心から反原発を願っているなら、都内では遥かに多くのソーラーパネルや
家庭用のコジェネレーターが売れているはずです。
しかし、実際はそんなことはない。
反原発が進まないのは、結局、反原発を自称する人たちですら、反原発に向けた生活をしていないからです。自宅のエコ化や、自宅の発電、燃料費上昇の負担の歓迎、新発電所を立てるための誘致活動、それらに協力している人が、4万人(自称)のうち、何人いるのでしょう?

そんな人は、ほとんどいません。

たとえ、主体性のない、他人任せの要求であっても、反原発が震災復興や消費税・社会保障問題よりも優先する国家課題なら、それを争点に解散総選挙をするべきです。
その結果、反原発政党が与党になれば、原発を即時停止で良いし、その痛みを国民は享受すべきです。
逆に、脱原発派である、民主党と自民党で過半数を取れれば、従来通り、ドイツのような中期計画での脱原発を進めるべきです。



そして、左翼は自分たちのダブルスタンダードには気づいていません。

もし、関西の民意なしに停電を東京が決められるなら、沖縄の米軍基地を現地の意向を無視して東京で決めていいことになる。

関西の住民に、「電気のない生活に耐えろ!」、「もっと減らせるだろ?!」 と 世論が求められるというのなら、生活保護受給者の支給額を限界まで減らす世論さえあれば、左翼が反対する理由はなくなる。
彼ら左翼は、夏場に電気を使う権利は、国が保証すべき健康で文化的な最低限度の生活には含まれていないと叫んでいるのですから、まずは、生活保護受給者から、エアコンやテレビなどを使用する権利を保障しないと世論が言っても反対できなくなるはずです。

デモは確かに示威行為ですが、この国の民主主義とは集まった人数を水増しして、威圧することではなく、議論を行い、議席をとり、法案を通すことです。

現行法は原発の再稼働を支持しており、再稼働を禁じる法改正のための解散総選挙を世論が求めていないのですから、今の政府の対応は民主主義国家として当然の対応です。

そして、私は、夏の日中にエアコンや扇風機に電気を使うのは、生活保護受給者も含めて、健康で文化的な最低限度の生活の権利だと思っています。
その権利を、デモによって私たちから奪おうという人たちとは、民主的な手続きで戦うべきだと考えています。

東京の人間が、福島や大飯町や関西の人間の運命を自由に決められると思うのは傲慢です。

そして、反原発の活動家が、福島の被災者と手を携えて、創造をしている という姿は見えてきません。
福島の人たちにも、反原発のデモを冷ややかに見ている人も多くいます。

すでに反原発派にとっては、福島は自分たちのイデオロギーを正当化するための道具でしかなくて、共に歩む同胞として接していませんから、当然です。

嬉々として風評被害を流し、多くの放射線を浴びた人も無事でいることを喜べないような連中が、国会で過半数を取れるとは、私は思いませんが、もし取れれば、私も、安定した電気を使う権利を放棄することに、同意します

# たぶん、ボーナスで、家庭用の蓄電池や発電機とか買うけどね。

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1 コメント

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this way (noga)
2012-06-23 12:58:23
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
12歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。

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