ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

学生の頃の思いって何だろう、情報通信の社会インフラって何だろう?

2011年01月30日 | IT・情報化・コンサルティング
先週は大忙しだったけど、金曜日の朝一番で行った、
「次年度の研究の重点分野案」の大ボスへの説明は、宿題はもらって厳しいコメントも貰ったけど、にこやかでした。

「議論をして、考え抜くのが大切だ」
ということだそうで、
「方針さえ決まれば資料なんて一週間で書けるのだから、もっと議論しなさい」

ということで、いわれたのは、
「自分たちがやっているのは、社会インフラを作るということで、将来(2015年)に、技術が進んでいくときに、自分たちが何を提供しようとするのか」
ということを考えろということだそうです。

結局、ジェロントロジーにしても、センサーNWなどのよるスマートシティーなども、それをやるのは、よしだけど、それをどう、サービス性、ビジネス性を持たせるかというのを考え抜いて研究開発しろ
ということなのだと思います。

学生の頃は、社会を変えるのだ!! という思いの強い学生の人たちとゆるーーくつながっていたので、約10年前に、会社員になるのを決めたときには、どうして企業なんかで働くの?
と聞かれたのだが、当時は、「自分が偉くなったら、企業の協賛とかで貢献することもできると思うし、思いがある人が、みんなNPOやNGOで食おうと思ったらスポンサーつかないでしょ?」

という話をした覚えがある。

たぶん、そういう時の気持ちというのは、比較的残っていて、とりあえず、チベット支援だろうが、派遣村だろうが、カンボジアの児童買春だろうが、わずかでも、身銭を切って頑張っている人を応援しよう という気持ちになりやすくって、財布の紐が緩みやすい

それで、今は、自分の仕事として、巨大企業が将来どんな価値を社会に適用すべきか
ということを真剣に悩めと言われているわけですが、悩むほど、それを技術で解決できるのか、そしてサービス性はあるのかと ぐるぐる回ってしまいます。

先日、研究所の若手が大阪に来たので、飯を食った際に、クラウドシステムを作らされている?彼が
「自分は世の中の人に使ってもらえるものを作りたかったのに」
といった際に、
「本当にやるべきことがあるなら、うちで数億円の予算はつけられると思うし、研究所と一緒にやるフローも作ってあげられると思うよ」
と答えたら、彼はしばらく悩んで、
「うーん、悔しいけど、思いつかないですね」
と答えていた。

技術やサービスで世の中を変えたい という想いを持つ人は多いが、
それが、募金などの無償ではなくて、企業としての取り組みとしてのアイディアまで持っていくのは結構難しいのだと思う。

そして、それはまさに自分があたっている悩み
世の中には山のように、IT業界、ICT業界 というところに人がいるわけで、新しい可能性を自分たちが見つけるのは結構難しい。

だからこそ、孫正義のソフトバンクは付加価値をつけられず、NTTの通信料を下げさせる以外には会社の利益をあげる方法を思いつかないわけですしね。
(iPhoneはAT&T同様に、台数の普及がインフラのキャパシティを超えてしまって設備投資に追われて、支出が増加し、速度低下や通信断といったサービス品質が低下するというジレンマに陥っています)


社会起業として考えても、ICTネタは、ITバブルの狂気の頃に、猿でも思いつくようなアイディアは全て試されたあとだとね。
まぁ、うちの大ボスたちにしても、
「依然やってダメだったからやるなとは言わないが、自分たちがやるなら、うまくいく という理由は示せ」

ということなのですよね。
センサーNWにしろ、詳細(数十センチ以下)な位置情報提供による盲目の方の移動支援(今うちで実証試験してます)とか、スマートグリッド(同じく検証に参加中)とか、構想はあるけど、ビジネスとして回るか難しい ということが多々あります

土日はそういうのを思考として整理する日

そういう日に最適な身近なカフェがあった武蔵小金井が懐かしいです。



アイディア募集!!


助けて[m:44]


追伸:

今日は、昨日買ってきた 「2030年日本」(産経新聞社)を読んで、日本の将来の社会変化を妄想してます。


のんびり連休 お友達できた♪

2011年01月11日 | 徒然なるまま(日々雑事)
先週末にラオスから帰ってきたおいらは、この週末は激しい予定はいれずに、のんびりしてました

★土曜日はゆっくり起きて、近所のまったりカフェでカレーランチ600円(大盛りにつき+100円)を食べる
年末とラオス旅行で発生した大量の洗濯
洗濯機を二回まわして満足

近所のスーパーに行ってみる。いろいろと買い込んでくる
そして、二階の僕の寝室を掃除

すごい綿ぼこりを掃除して、パソコンの中の中のほこりも綺麗にして満足
終わったら朝方になっていたので寝る


★日曜日は、やっぱりゆっくり起きて、ブランチ後に中国鍼に行く
新聞に出るような有名な先生だが、たまたま、家から徒歩1分のところにある。
とても助かっている

案の定眠くなるので昼寝をして、旅人飲み会に参加する。

二次会のテーブルが激しく盛り上がり、盛り上がったメンバーで、僕の家で二次会をする
昨日掃除が終わったばかりの部屋に入ったのに、女性陣は
「えー、引越しして半年でこんなに散らかってるの?」
とのたまう。
いや、昨日掃除したのだが・・・・
とは言えない[m:44]

ちなみに、今の職場はアクセスフリーで、自分のIDカードを指すとシンクライアントが立ち上がる仕組みで、自分のロッカーはあるが机はないという世界だが、研究所時代は、大きな机二つが、自分のスペースなので、机は散らかし放題だった。
おそらく、研究所内でもっともエントロピーの高い机の一つだったと思われるが、それでも、頑張って綺麗にしていた。
整理整頓という回路が脳についていないように思う

それで、朝、始発が動く5時まで、いろいろな話をしながら、水タバコ、チベットのお香、シンギングボールでもてなす
さらに話が盛り上がり、2月のこのメンバーを中心に白川郷へ行くことになる。


月曜日は、やはりゆっくろおきて、近くのカフェにうまい昼飯を食いに良く
今日は、羊肉のトマトソース煮だった
羊の脂を丈夫に落としていて丁寧な仕事がわかるが、僕は羊脂が好きなのでちょっと物足りないが、うまい。

その後、無印に電話してカーテンの在庫を確認して買いに良く(日曜日に店にいったら4枚欲しいのに3枚しかなかったので、より大きい店に行く)
無印(ロフト店)に良くと、目の前が、日本最大級の丸善&ジュンク堂であることに気づく
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/shop-MJumeda.html

200万冊の在庫らしい。
(僕の母校の図書館がそれぐらい蔵書の数だったが、歴史的な役割を終えた指数関数表なども含めている)

無印の重い荷物を抱えて、本を見て回る。こんな大型書店はロッカーを置くべきだと切に思う。

世界の貧困・フェアトレードだけで、書棚が一つ埋まっているなど、かなり幸せ
湯浅氏の本と、ビッグイシューから出た「若者ホームレス」を買って帰る。
蟻族や、国際開発、フェアトレード関係は次回にまわす。

そんな感じで、帰ってきて、鍋を作って食べて、NHKスペシャル見たりして今(AM2時過ぎ)にいたる。

なんか、ゆっくりとして、休日 という感じのよい休暇だった。

昨日の旅人飲みは、マイミクさんもたくさんできて良かった。

そして、来週か、再来週は、綺麗にしても汚いといわれる我が家に、古民家コミュの人が遊びに来る予定。

大阪に住んで半年。お友達もできてきました

が、やっぱり東京にいる、武蔵小金井の仲間や、タイのダイビング仲間にも、チベット支援の仲間にも、mixiのオフ会の人にも会いたいなりね。

やっぱり2月の一週目は、東京出張に絡めて、東京でみんなに会ってこよう。
チベット支援の仲間?(フェイスブックのお友達) もアメリカから来て僕ら相手のセミナーしたいみたいだし。(おいら英語はわからんが)

日本国憲法前文を素直に考察して読んでみる

2011年01月07日 | フリーチベット
日本国憲法前文 理念は素晴らしいと思う


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



オスロー宣言を支持する社会民主主義者も全く異論がないであろう前文である

ところが特に9条と関係しそうな
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 
について、諸国民ってのはたぶん世界150カ国以上を指すので、 試しに日本と国境線が隣接する個々の名前を入れてみる 


「平和を愛するアメリカ国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を愛する中国国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を愛する北朝鮮国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」


なんか、この3つを読んで、うんその通りだ と思う人は、右派、左派問わず、いないと思う。

もうね、憲法の前提である、前文の現状認識がおかしいのです
マジで

だいたい9条マンセーな人たちは、本当に
「平和を愛する諸国民(含むアメリカ国民)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
なんて思うの?

前文に論理的な正当性が無い以上、諸外国同様に憲法を改正していくのは当然だと思う

そしてもう一つ
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

この理念に対して、全世界は、個々の国を入れても当然成り立つはずですが

「われらは、北朝鮮の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
「われらは、中国(含むチベット)の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
と日本共産党の信者はそう思っていますか?

もし、そうでないなら、あなたたち日本共産党や社民党が国会に議席を置くこと自体が憲法の理念に違反している。
自由主義陣営だろうが、共産主義陣営だろうが、途上国だろうが先進国だろうが、全世界の人々が、恐怖と欠乏から免れることを願う人たちだけが、わが国の国会に議席を持つことが、憲法の理念を生かすことだと私は思う

世界の人々の平穏を願うことが憲法の前文に明記されている以上、憲法99条の要請
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

から、イラクやチベットの人々の平穏に生きる権利があることを確認できない外道は違憲な存在である


だから、憲法上の要請から日本共産党はゼロ議席になるべきだ

日本国憲法前文を素直に考察して読んでみる

2011年01月07日 | フリーチベット
日本国憲法前文 理念は素晴らしいと思う


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



オスロー宣言を支持する社会民主主義者も全く異論がないであろう前文である

ところが特に9条と関係しそうな
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 
について、諸国民ってのはたぶん世界150カ国以上を指すので、 試しに日本と国境線が隣接する個々の名前を入れてみる 


「平和を愛するアメリカ国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を愛する中国国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を愛する北朝鮮国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」


なんか、この3つを読んで、うんその通りだ と思う人は、右派、左派問わず、いないと思う。

もうね、憲法の前提である、前文の現状認識がおかしいのです
マジで

だいたい9条マンセーな人たちは、本当に
「平和を愛する諸国民(含むアメリカ国民)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
なんて思うの?

前文に論理的な正当性が無い以上、諸外国同様に憲法を改正していくのは当然だと思う

ラオスを旅して、仕事や日本の貧困やチベット支援について考えてきました

2011年01月05日 | 徒然なるまま(日々雑事)
旅をしていろいろと考えてきました。

メコンを眺めながらいろいろを考えてきました。
仕事ではやはり、公共のために尽くす企業に入りたい と思った学生のころの思いを形にしたいなと思いました。

今日も職場で話したら、いくつかの施策のうちの一つとしてはありじゃないかと、おおむね好評だったのですが、人と人がつながるコミュニケーション を愚直にアプローチするような研究開発を重点の一つに置くことをしていきたいと思います

たとえば、TV電話が普及しないのは、顔写真をみるような平面的なものだからであって
母が娘に味噌汁の作り方を教えられるようなコミュニケーション、祖母が孫に折り紙の折り方を教えられるようなコミュニケーションが実現できるのだ というのをコンセプトとして示せないか?

離れて暮らす家族の身に心配があるときに、適切なセキュリティーとプライバシーコントロールがあった上で、家族が本当に心配なときに、警察に頼らずに部屋を見られるような通信もあっていいんじゃないか?

老人が悪徳商法に騙されないように、インターフォンや玄関のやり取りを、離れて暮らす子供たちが、リアルタイムや後から聞けるような仕組みがあってもいいんじゃないか?

病院の中に入院している人が、孤独を感じないようなコミュニケーションを実現できないか?
(それって装置の電波の問題なのか、それ以外の検診などの問題なのか、課題設定はまだわからないけど)

そんな風に、家族など、大切な人同士のコミュニケーションをもっと密にできることを取り組んでもいいんじゃないかと思います。

今年度は私が来る前に、完全な盲目の方の外出をサポートするACTシステムの試験研究があって、それに予算を数億円つけていたのですが、今年は、老化などによるハンディのような軽微なハンディをサポートしたい普通の家族が使えるようなアプローチを目指せないかとか、家族や人の孤独を和らげるようなコミュニケーションとか、愚直に取り組むことにも予算と人を割り振りたいと思いました

僕の裁量で、おそらく数億円は確保できるので、コミュニケーションの可能性というのを具現化するような営みを次の一年で実現できればと思いました。

その中では、他の企業の社会科学系の研究所や大学の先生方とも相談して、社会に対して自分たちの企業の技術が何が貢献できるのか、考えて形にしていけたらと思います
(マイミクさんにも期待しています 特に有識者の方)

一方で、やはりラオスという豊かではない国を旅すると、貧困という問題が頭から離れなくなります
余談ですが、たまたま、日本のラオス大使をされていた方とご一緒したのですが、ラオスでは共産主義では珍しく、汚職をすると大臣が更迭されるそうです。
そのあたりが、ラオスが日本共産党の友党になれない理由だろうなとも思いました(マルクスが唱えた民主集中制ではなく、ラオスはある程度民意を反映している)

それで、対して日本を思うと、外道日本共産党のせいで今年の派遣村がなくなったように、社会が「努力しても解決できない貧困」への抵抗力を弱めつつあるように思います
高校無償化など民主党の成果も極わずかにはありますが、やはり雇用は厳しいままですし、努力をする日本人に対して許されてはいけないレベルで困窮している人たちもまだまだいます。


そうした現実を踏まえると、
キリスト教徒として、神の代理として、地上に愛を示そうとなさったマザーテレサが、1981年4月に来日なさった際に、黒柳徹子氏に向かっておっしゃった


「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」

「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ」。

「日本人は他国のことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」


とおっしゃる事に私は全面的に同意しますし、今、身をおいているチベット支援のコミュニティーへの違和感も感じます

僕は、チベット支援をしてきたのですが、日本の高校生の相応の割合の子供たちが、経済的な理由で中退をしている昨今において、そうした問題をさておいて、チベット人の大学教育などについて熱く語れることに、強い違和感を感じています。
http://www.youtube.com/watch?v=NsSYSAWG10k&feature=related

この国で保守論者というときに、私は、天皇陛下が貧困者への思いを述べられることに報いたいと思うような私達のような保守が、本来の日本の保守であって、
貧困者を切り捨てようとするようなネトウヨのような連中に保守は、日本共産党が偽りの格差是正論者であるのと同様に、保守の偽者であると確信しています。
「敵に塩を送る」という美徳や、同胞たちを愛さない連中が、中国や韓国や北朝鮮を敵だといったからといって、「保守」になれるわけでは断じてない

そんな風に感じる僕はチベット支援ではなくて、もやい やビッグイシューなどのように、イデオロギッシュな既存の外道日本共産党などとは違うアプローチで、同胞を救おうとする人たちに尽くすべきではないのかとも、いろいろと考えました。

おそらく、僕は、チベットについてmixi日記などで熱く言論を語るけど、日本の貧困について語ったことのない人、人権と声高に言うけど、中国国内の人権問題以外を語ったことのない人と一緒にいることが苦痛なのだと、率直に思います

もちろんそうでないチベット支援者の中もたくさんいて、実はそういう人と、リアルな世界では仲良くしているのですが、どうもネットでの言説をみると、自分の居場所ではない気がしてしまう。

そして、こちらの悩みついては答えが出ないまま帰国しました。

しかし、わずかながらも助力をしてきて、チベット人の方もそれに謝意を丁寧に示してくれた中で、彼らの期待を裏切るようなこともしたくない。

おそらく現実的にあるべき解は、日本の貧困者への支援と、チベットへの支援の両方を続けることなのだろうなと思いました。
しかし、仕事もハードになっていく一方でそれなりに厳しい道ではあります。

それでも、おそらく日本という先進国の貧困問題は日本人の手で解決するしかない。
先進国のわが国の貧困を他国が助けてくれることは無いでしょう

一方で、チベットの問題については、チベット人の手だけで解決する方法はない。
この地球に生み出されたマルクスの悪夢に対抗する正義があることを示すには他国が助けるしかないのでしょう。

僕は村上龍氏がいうように「他人に期待すべきではない」と基本的に思いますが、それでも、僕の身近なチベット支援者について期待したいことは、
「いきとしいけるものよ、幸せであれ」
という「仏陀の言葉・蛇の章」の言葉は、まず身近な家族や同胞に対してこそ向けられるべきことである という態度をぜひとも示して欲しいと思うし、それをマザーテレサだけでなく、ダライラマ法王という偉大な宗教的指導者の一人も望まれていると私は思いますし、そうであるなら、そのように互いに実践していきたいと私は思います。

そして、私たちが、イデオロギッシュではなく、真に社会の許せないものと対峙しているのだという示すことは、チベットやウイグルをはじめとする、多くの人々への人権救済への支援が、人々に支持されるために役立つと私は思います