アンコールワットの話からの続きです。
僕たち旅行者が現地を旅するときに、現地の方からみれば、ビジネスとしてのお客か異邦人でしかないと思っています。
仲良くなったといって、実際に仲良くなることもありますが、緒戦は数日間でいやなところを見せないでもいい関係だからこそだとも言えるでしょう。
どんな国でもそうですが、住めば日本と同様に様々な面倒があるのは一緒だそうです。
旅をしない人にとっては世界一周というのは凄いことのようで、世界一周なんていう誰でもすることができることをビジネスにするような連中は、旅行を美化したり、秘境に行くことを賛美したりします。たとえば
高橋歩とかね。
でも、我々先進国の人間が旅をするというのは、行く先によっては日本では考えられないほど影響を与えてしまいます。
たとえば、僕がいったミャンマーのパガンという世界三大仏教遺跡の一つでは、馬車をチャーターして広大な遺跡群を見て回って1000円ぐらい。
でも、馬の維持費が高いので結局、御者の給与は100円とか200円です。
(馬車のオーナーも別にぼっているわけでもなさそう。馬はそこそこ高いし)
そのパガンでは「さくらホテル」という高級ホテルがあって、一泊1万円ぐらいで止まれて、熱気球で遺跡を上から見てまわるというのもやっています。
彼は気球が昇っているのを指して、僕に
「あれは何か知っているか?いくらか知っているか?」と話
「たった30分で150ドルだと。それだけあれば、家族が半年食べていける」
というのです。
私たちは無邪気に楽しく旅をしているつもりでも、彼らの価値観や正義感に強い影響を与えてしまうのです。
テレビを村みんなで見ているようなところで現代の最新機械をみせびらかすことになってしまったりもします。
ましてや秘境なんてものにいけば、ホテルもないので、誰かの家に泊めてもらうことになりますし、慎ましく生きている人たちの中に世俗の毒を持ち込むことになります。(キリスト教徒的な近代化とは、ブルカで顔を隠すような女性たちの国で、白人のねいちゃんが乳だしでビーチを歩き回れるようにすることですしね)
さっきの踊り子の人だって、4000円を稼いでいてそれを嬉しい、伝統舞踊が踊れるようになると倍ももらえるようになる。
と思っていますが、ちょろい観光客相手にぼることを覚えてしまえばきっとまじめに働かなくなります。
だから、貧しい人にお金をあげる時にも凄く悩みます。
ラオスで深夜にごみをあさっていた親子に5ドルをあげたときには、良かったのか数日悩みました。現地で国際協力をしている知り合いと会う約束だったので話をしたら、やっぱりあげすぎだといわれましたが、「それでもお母さんが一週間そんなことをしないで栄養が取れると思えばいいんじゃない_」と言われましたが、仏教徒の国では、施しをするのは、僕が善を積むためだという価値観があるので少し気は楽です。
モロッコにいったときには、フナ広場という有名な広場で昔から蛇や火吹き男のショーがあったり山のような屋台が並んでいる広場あり、そこで一人で晩御飯食べていました。(現地集合だったのですが、数日先についていたのです)
背中に子供を背負った老女が、ヘンナという草で書くか魔よけを書かせてくれと言ってきました。
僕は全然ヘンナには興味がなかったので、断ったのですが、
「ヘンナはいらないけど、子供のためにお金は上げる」
と子供の手にお金を握らせました。
結局、彼女としても感謝の意をヘンナでしか表せないのかお金はいらないから書かせてくれというので書いてもらったのですが、事情をしらない屋台のにいちゃんが、「5ドルはらってやれ」というので、その老女が現地語で事情を説明したらにいちゃんがしまったという顔をして「3ドル払ってやれ」といっていたので、まぁ、僕としては別に良いので1ドルか2ドルほどさらにあげました。
この時の話で忘れられないのが、背負われている子供がお金を落としてしまって、泣き叫ぶんです。親も屋台のにいちゃんも、幼児が何で泣いているかわからないんだけど、僕がお金を拾って持たせてあげると泣き止んだんです。
僕は貧しいということが、言葉も話せなさそうな子すらそのお金の大事なことがわかるんだということに軽い驚きを覚えました。
結局その時には、母親に子供とアラブ式のほほを合わせる挨拶をしてくれと頼まれて挨拶をして分かれたのですが、翌日も朝からその人はヘンナ書きの仕事をしていましたし、僕の顔もちゃんと覚えていました。
翌日も同じ屋台でご飯を食べると、店員たちがお前はいい奴だと、隣の日本人カップルがぼられて、計算させたりして喧嘩しているのに、僕は店のまかないとかもらって食べてました。
イスラム圏にも喜捨(バクシーシー)という価値観があるので、富めるものが貧しい人に手を差し伸べることはそんなに現地の価値観と抵触しないだろうと思いますし、屋台の連中の態度を見ていると、おそらくそうなのだと思います。
そうやって、僕が人にお金をほどこすかどうかも、それが良い結果を生むこともあれば、まじめに働くお父さんよりも観光客からチップをもらう子供のほうが稼いでいるなんていう変な状況を生むこともあったりと、とても難しいと思います。
だから、バックパッカーってのは、立つ鳥あとを濁さずというように、極力来る前と帰った後で、現地に何も差を残さないのが一つの美意識ではないかと思います。
(もちろん現地の人が欲しいというものでいらないもの(古着とか)を置いていくのとかを否定しているわけではないですが)
途上国を旅するのは、考えると道徳的にも難しいなぁと思います。
そんな旅行者がくるから食べていける人もいて、国も大事な外貨獲得手段だったりして、でも、そおいう旅行者にうまく取り入ると、平均年収の数倍から十倍以上のお金が手に入ったりして、変になっているのも見たりすると考えてしまいます。
でも、やっぱり夏には旅にでている予定。
タイのチェンライに行こうかなぁと思っています。(リス族の村にいきたい)