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ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

卒業しました

2006年03月27日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
土曜日の二時より都庁で卒業式があり、無事に卒業いたしました。

実はその日は午前11時より最終ゼミなるものがあって、部屋にやってくる教官がその様子をみては微笑んでいたのですが、そういう生活ともお別れかもしれません。

お別れかもというのは、お別れじゃないかもしれないということで、

1 戦略論の先生と別れ際に話をしていたら「授業は1時から4時でやっていて、来年度はM1だけで人数も少ないから、来てくださいね。後期はケーススタディーです」
とかなり具体的にいっていただけたので、先生も本気かも? と思うので戦略論のブラッシュアップにいくかなぁと。

2 指導教官に「いい論文ができました。是非ともどこかに投稿してください。体裁整えたりするのならやりますよ」と一日に何度も言っていただいたし、工学博士を取るときにも和文で社会学系とはいえ、引用できる自分の論文は多い方がいいので学会発表の予稿やワーキングペーパーでもいいので、残しておくかなぁと。
少なくとも今日現在は結構ユニークな着眼でのコンピューターコミュニケーション論だと思うし、2、3年も寝かすと、ユニークじゃなくなる可能性もある論文だとも思うので今年一年頑張って他の人に引用してもらえる形にすることがアカデミズム的だと思います。
(本気かどうかわかりませんが、神戸大経営学の助教授は引用して論文書いてくれるつもりらしい(笑))

ということでひょっとするとしばらく大学に通うかもしれません。

でも来年は工学研究で博士課程に在籍したいな。

で、卒業式の後、4時からパーティーでした。
その後ゼミで飲んだのが2次会
さらにその後、ゼミ同士で合流してカラオケを12時までやったのが3次会
4次会もあったらしいが、電車のあるうちに帰りました。

この二年間、本当に、いいクラスメイトと教官に恵まれたと思います。
MBAとって転職してやるぜという山師的な人ではなく、自分の仕事をちゃんとこなしながら、勉強をしたいという人たちが多かったと思います。
ようは何か即席なメリットを求めるわけでなく、学門を学ぶことにメリットを見出した人たちがほとんどだったと思います。
無論、優秀な人たちですし、独立心も旺盛なので、転職する人も何人もいましたが、転職する人は、在学中にもいい仕事をみつけるような優秀な人たちでしたし、本当にいい刺激を受けました。(だいたい転職時にアフターファイブは大学に通うからという条件を出しても採用されるあたり、凄いですよね)


クラスメイトは、お互いに一線で働きながら苦労して卒業した仲という戦友であり、このつながりが10年、20年とつながっていけばと思いますし、つなげていきたいのはおそらく多くのクラスメイトの思いだと思います。

僕にとっても和製MBAは個人的な趣味でした。
だいたい大学院をでたなんてことは全然たいしたことじゃなくて、だから、これを使って何かできると思うようなものではありませんが、自分がインターネットの新規開発のプロフェッショナルとして仕事をしていくなかでは、技術者としての高度な技術論だけでなく、戦略の基礎的な観点からの問いやキャッシュフローなどの議論などが、専門的ではないが、理解できる程度に身についていることで、仕事のクオリティーをあげていけるのではないかと期待しています。

私たちが仕事でいい結果をだしていけることが、お世話になった先生方への最大の恩返しだと思っています。

本当に素晴らしい2年間だったと思います。
お世話になった先生方、お互い切磋琢磨できたクラスメイトたち、そして、そういうところへ通うことができる自分の境遇や豊かで平和な社会に対して感謝をしたいと思います。


余談:
教育を受けるのは、
良き夫となり 良き父となり そして良き国民となるためである。
一応都立大学なので、最後は良き都民 とすべきかもしれません。

でも、当面は良き夫となるのが難しそうですねw

論文、そして論文へ

2006年02月02日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
えっと、いま提出用の修士論文の訂正をしています。

いわゆる差し替えって奴ですね。
僕が最初の大学院生だったときには、修士論文の締め切り日には表紙さえ提出していれば差し替え可能だったようですが、さすがに今のビジネススクールではそんなに甘い話はありません。

しかし、提出した論文と章構成は大幅に変更でないにしてもかなり手術したものを差し替えることになりそうです。

といっても、そろそろ誤字脱字の訂正に収束させたいです。

で、いま火を噴いているのは2月17日が締め切りの国際学会の論文です。
すでに予稿が通ってしまっているので今更提出をしないわけにはいきません。
最大英文8ページです。
かなり猫さんピンチです。はっきりいってビジネススクールの卒業なんてもうどうでもいい状態ぐらいピンチです。
別に遊んでいたわけじゃなくて、普通の業務がテトリスのように降ってきていたのです。
消しても消しても上からどんどん降ってくる・・・・
(猫式、仕事はテトリスだ理論)


英文添削に出す時間を考えると、今週中に日本語でロジック作りきらないとかなりヤバイな・・・
ということで、修士論文は書きかけですが、もう寝ます。

あぁ 南の島に帰りたい!! 

論文書かないと・・・(独り言)

2005年08月08日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
うーん、論文書かないと・・・

修士論文の進捗が悪いと、指導教官がお怒りなので、(神戸大の先生で、今はハワイの学会・・・)どうにか書かないといけないのですが、今日は昼間多摩川でバーベキューして遊んでしまったので、いま頑張っております。

だいたい、修士論文以外にも仕事の方で、来年の五月のカンファレンスに出す論文のレジュメ書かないといけないのですよね。
とりあえず論旨構築用の日本語バージョンは今月中にどうにかしたい。
今週はちゃんと仕事しよう・・
(とっとと次世代ネットワークアーキテクチャー系の仕事は片付けよう。)

ところで、僕の論文はコンピューターコミュニケーション上の信頼に関する論文になる予定で、既存のネットワーク論というのが、極めてネットワークの構築自身をルーズに考えていて、なんかサーバや人々が用意されると、勝手に興味がある人同士がネットワークを作るような前提で話をされているケースが多かったのですが、閑古鳥がないているサーバもあるように、ネットワークコミュニケーションを成立させるためには、技術的な要素以外に、人の関係構築の要素があるはずです。
経営学的にはナレッジデータベースを構築しようとして失敗する例などが卑近な例でしょう。

で、僕の場合は、その関係構築の要素をギデンズの信頼モデルで説明してみよう、という論文です。
とても抽象度が高いです。たぶん、普通に読むと、物理で修士を出た情報工学の研修者の論文には思えません。あぁ、夜学で別の顔って楽しいなぁ。

さて、その論文の進捗が悪いと、せっかく夏休みを二週間とって、インドネシアをゆっくりまわって遺跡みたりダイビングしたりしようとしていた夏休みがパーになるので、頑張ります。
あと2時間で3~4ページぐらいは、書きたい!!

春休み

2005年02月12日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
今日のベンチャービジネス論での発表をもって、春休みに入りました。
春休みの間でどれだけ、論文や文献を読んでおくかが今後の進捗を左右するので、まったく気は抜けないのですが、頑張っていこうと思います。

さて、今日はそのあと、居酒屋で飲み会だったのですが、先生がご都合がつかなくて、学生だけで飲んでいました。
気がついたら5時間近く同じ店で飲んでいました。
なんか、いろいろとたわいもない話から、日本の外交政策やODA政策について語ったりと面白かったです。
飲んでいても、各業界の利益構造とかの話が普通にでてくるのですが、お互いの会社も業界も年齢も違う人々の集まりなので、とても楽しいですね。
やっぱり頭はいつも違う場所を使わないと劣化するようです。

そんなわけで、大学に入学して一年がたってしまいました。
今まではインプットが多かったので結構楽しかったのですが、これから一年で何かしらの形としての論文を書くわけでやっぱり大変だろうなぁと思います。

少なくとも、自分の領域であるインターネットセキュリティで論文を書くことの数倍は難しいだろうと思います。

今日は、純粋に楽しく飲めてとてもよい日でした。
4月までクラスメイトたちには会えませんが、また、大学が始まるのが楽しみです。

雑事 (英語)

2004年11月02日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
私の通っているMBAは一応和製とはいっても、正規の大学院教育なので私が通っているビジネススクールでは普通に英語の論文も読みます。

しかし、私は英語がすごーーーーーーーーーーーーく 苦手です。
センター試験を受けると予備校がセンターリサーチで偏差値をだしてくれるのですが、
なんと偏差値40でした。
全国平均138点の英語の試験でなんと103点。

こんな偏差値で旧帝大に入ったのは私ぐらいだろうと思っています。
少なくとも旧帝大の下位1%以内に入っている自身があります。

さらに入社時に受けたTOIECでも220点という点数を叩き出し、まわりの人たちに安心をプレゼントしてしまいました。

そんな英語も整体にいって脳みそがまともになってからは、随分とましになって、
海外一人旅もどうにかこなせて、TOIECもスコアは倍以上にはなったのですが(元が低いから)
やっぱり英語で社会学の論文読んでも全然わかりません。
普段読んでいる技術系の英語と違って抽象度が高すぎです。

ほんと、海外のMBAを取りに行く人の語学力には脱帽です。

僕はこれからサイゼリアで英語と格闘してきます。
これでガストとサイゼリアのローテーションで5日目です。

疲労こんばい気味。仕事の裁量が非常に大きい私はかなり楽している部分もありますが、
普通に業務をこなしているクラスメイトたちは凄いなって思います。

成果主義

2004年10月30日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
金曜日の日経の夕刊のあすへの話題に鬼平軍団の魅力と題して成果主義の話が書いてあった

「鬼平軍団では活動費はたっぷり支給されるが手柄をたてたからといって報酬があがるわけではない。ただリーダーである長谷川平蔵は、部下がそれぞれの得意技を存分に発揮できるように仕事を割り振り、その仕事振りをしっかり見極めている
だから、事件が解決した夜、一緒に軍鶏鍋をつつきながら、お頭が「ご苦労だった。まあ一杯やれ」と言って差し出す茶碗酒に手下たちは感激して、次の捕り物にも命懸けで飛び出して行くのだ。」
といい、こんな上司の下で仕事をしたいという思いが、この小説の人気なのだろうと述べ、最後に
「「お頭は分かってくださる」という上司と部下の信頼関係こそ、成果主義を成功させる秘訣があるように思う。」
と結んでいる。

成果主義を導入する際に大事なのは、各自が高いフィーをもらうことよりも、評価が公正であると各自が感じることだとよく言われます。
また、モチベーションの観点から言えば、評価に対するフィードバックは金銭である必要もなくたとえば、若手や中堅にトップが「○○君、××の件とてもいい仕事をしてくれたね」と声をかけるだけでも、十分に彼らは鼓舞され仕事に対する情熱を持ってさらに頑張るし、上は見てくれているという気持ちで組織への帰属意識も増します。
また、鬼平のように、各自の能力を存分の発揮できる仕事で報いるというのが、旧来の日本での成果を各自に報いる仕組みでした。

しかし、日本で新たに賃金での成果主義を導入する企業は、すでに傾いている企業が多いため、成果主義を導入しても、ギスギスした職場環境の中では納得性の高い評価はできないのでしょう。

私が以前いた支店もまさにそんな感じでした。

しかしシャインの組織文化論あたりでもドラッカーでも、組織の文化を変革するためには評価に手を入れるということは非常に重要だといっています。
組織の構成員は評価を通じて、この組織が重きを置いている価値とは何かというメッセージを受け取るわけです。
トップがいくら新しい理念を訴えても、旧態の手法で仕事をしている人が評価され続ければ、構成員は新しい理念ではなく、旧態のルールで動くようになります。
支店では、大昔に成果を挙げた部課長に力があり、その政治力でその下の部下たちの高い評価をもぎとってくるという社内政治で成果が決まっているのを、末端の社員まで理解していました。
そういう部課長のマネージメントができないなかで、あたらしい評価システムで頑張ってくれたまえとトップが言っても、組織はまわらないんですよね。
(理念があり人間としても敬意に値する支店のトップが私にはとても不幸に思えました)

ところで、そのシャインは「組織文化を簡単に変革できるというえせ組織文化論者がいるが、私は組織文化は簡単に変わらない言っている」と述べています。
エセってまさに「ITを入れれば組織文化を風通しよくできますよ♪」などといっていたコン猿だよなぁって思いますが、人の行動や心理に対する十分な観察があれば、容易には人や組織の行動様式が変わらないことぐらい理解できるのでしょうが、キャッシュしか見ない人たちや、IT万能論者には、人の行動や文化なんて関係ないのでしょうね。

さて、支店にいたときに、
「・会社は社員を研修に行かせ、
・社員は自分のスキルの不足を悩み、
・業界大手であるという立場から、多くのベンダーさんも製品勉強会をさせてくださいとおっしゃっていただける
この状況下で、このSEや営業はどうしてこうも無能で馬鹿なのか?」と悩んでいたのですが、一つは旧態のブルーカラーのカルチャーからIT企業へと変革しようとしていても、現場のマネージャーはそういう組織で評価をされた経験も評価をした経験も乏しいために、新しい企業風土の中での評価者としての役割を十分に果たせないから という理由が一つ挙げられると思っています。
それで、組織論の教授にそれを聞いて、どうしたら組織を新しい風土に変えられますかね?と聞いたら、
「そういうマネージャーをクビにするしかないだろう」
とのことでした。

わが社ではリストラはありません。
どうやらわが社の事業部のカルチャーが変わるのはあと10年か15年ぐらいはかかりそうです。
それまで会社が健全に存在しているかはわかりませんが。

補足:それでも、私が今勤めている会社はIT業界の中ではかなりまともだと思います。
富士通は論外としても、IBMあたりでも社内の満足度は低下の一途のようですし、
おそらく日本全体で同じような状況と問題を抱えていて、その文脈の中では自分がみてきた事例はまだまだましなほうだと思います。
銀行や建設業などのような超旧態の仕事や、傾いている企業での社内の状況は想像を絶するだろうなと思うので、来年、僕がいた会社に入る方は、そこそこ安心して来てくださいね。

当面の課題は来週のレポートなので、これから泣きながら英語の組織文化論の論文読みます。
英語は本当に苦手です。

どうしてMBAに通うことにしたのか IT化の功罪 修士論文予定

2004年10月23日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
修士論文の背景です。MBAを取ろうと思った動機のひとつに社会学的にIT化論をやりたかったということがあります。
本当に情報化って人を幸福にするのか?とずっと悩んでいました。
やっぱりいい仕事をするには、そうした悩みはすっきりしないといけないと思い、社会学を学べそうなMBAに通うことになりました。だから、IT化は素晴らしい!!といいそうな早稲田とかはあわなさそうですし、結局今の大学院に落ち着きました。

研究の背景としては次のようなものです。去年だした研究計画書の前半部分です。
長文ですし、僕の日記的備忘録なので、お時間が有り余っている方だけ読んでください。

研究テーマ
「生活空間の情報化に伴う質的変化と価値の創造について ――― 生活者の視点を起点にした情報化の評価」
本研究の到達点として、情報化が各自の生活に及ぼした影響、および将来及ぼすであろう影響について、個々の生活者の観点を尺度にして検討を行い、情報化社会の質的向上に貢献しうる分析を行うことである。

研究の背景
従来情報化については、社会学的な観点からのコミュニティー論や民主主義的な公共論(参照)や経済学的な情報化のもたらす経済効果(参照)また、経営における情報化投資などとして多くの研究がなされてきた。
一方、政策としても情報化は重要な課題であり、e-JAPAN計画などとして、具体的な数値目標を持った政策となっている。
また、政策としての情報化は例えば白書の中で
「本白書の特集テーマは、『日本発の新IT社会を目指して』である。我が国の情報通信の現状をデータに基づき分析することにより、今後、我が国が目指すべき新IT社会の方向性を探ることをねらいとしている。新IT社会像は、我が国の目標であると同時に我が国が世界に対して発信していくIT社会像でもある。」(平成15年情報通信白書)」
とあるが、内容はマクロ的な数値目標としての経済発展などに主眼が置かれている。
しかし、情報化の推進のためには、個々人の生活や欲求、価値観に即した各自にとって魅力ある社会だという思いが必要であり、そのためトップダウン的な情報化のみでは十分な効果を得られないと思われる、未来像へのコンセンサスを作り上げる試みが必要であると言える。
本研究はそうしたトップダウン的な情報化のあり方とは別に、ボトムアップ的な情報化を提案し、また、情報化に共感しない人々に着目することで、現在の情報化や、それに類するサービスや商品が満たしていない価値を探るという、真に意味のある情報化に対して貢献できるものと考えている。

研究の動機
 90年代半ばから後半にかけては
「情報化社会とは社会的弱者やハンディキャップのある人たちへの社会参加の機会を与えることができる社会だ」という捉え方があったが、ITバブルなどを経て、不況下での企業間の競争が増す中で、競争力の源泉としての情報化に重点がおかれるようになった。
 しかし、私は情報化やユビキタスコンピューティングがユニバーサル社会を目指す形の一つだという思いを持ち続けている。一方、「情報化は本当に人の幸福に貢献できるのか?」
と言う疑問を捨てきれずにいる。たとえて言うなら、
「おばあちゃんが膝の上にノートパソコンを乗せてネットワークを駆使する世の中よりも、膝の上に猫や孫を乗せている方が良い社会ではないのか?」
という類の疑問である。
私は、そうした自分の疑問、「情報化は真に世の中に貢献できるものなのか?また、情報化とはそもそも何なのか?という疑問に対して、社会科学系の学問を通じて考察していきたいと考えている。
そして可能であれば、誰も切り捨てることなく、新しい社会に迎える方策についての提言まで研究を進めたいと考えている。

本研究の意義、背景
  現在、日本のブロードバンドは世界最安値だと言われているが、2000年当時は月々5000円を割れば一気にクリティカルポイントを超えるという見方が広くなされていた。しかし、現実には想定価格を下回る額でサービス提供されるようになったにも関わらずe-JAPAN計画で見込んだ当初の計画を達成できていない。
 これは価格要因以外に普及の阻害要因となっているものがあると考えることができる。個人個人が、政府などの思い描いたシナリオ通りに生活様式を変えていかない理由を、各自の生活者の観点に立ち戻って考えることにより、あらたな市場拡大の可能性を探すこととができると考えている。

産業社会思想論 フェミニズムって変

2004年10月13日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
今日は大学で産業社会思想論という授業をとりました。
なんと4人しか受講生がいないという寂しいゼミです。

今日は20世紀産業社会を支える三大構成要素として
ケインズ主義的福祉国家と性別分業家族とフォーディズムを前提としてその内容の授業でした。

フォーディズムとは、フォードが行った、当時の賃金の倍の賃金を払って従業員を雇い、
彼も数か月分の賃金で購入できる車を製造するという、賃金労働者を消費者として組み込んだことを
指すようです。

また、性別分業家族では、19世紀のイギリスでは労働者家族といって、子供も親も住み込みで全員が働く「労働者」だけの家族が雇われていました。

しかし、産業が高度化するにつれ、教育された人々の必要性や、生活の上での衛生の向上が必要となり、
家庭内で子供をしつけ、家事を行う専業主婦という家族構成がでてきました。

この点について学生の一人が、「働いていた女性を家事に従事させるのは国家的な犯罪だ」
といっていたのですが、講師(女性)は国家的な施策だけでなく、労働者たちもそれを望む土壌があったからであるということ、農村と違い、子供をコミュニティで育てる環境が無いことなどから、新たな必要性が生じたことなどを説明していました。

しかし、労働者家族の時代のように、教育もされていない人々が、家族全員で一日16時間労働をしている社会の方が、女性も働いて素晴らしい!!という感覚は、正直気味が悪いものでした。
所詮労働なんて、人生の手段でしかなく、食事も労働時間の間にあてがわれ、衣類を洗濯する暇も無く、休日は酒を飲んでいるような人生であっても、女性が働くから素晴らしいなんて、目的と手段が完全に反転しています。

まぁ、人生に何を主眼に置くかは人それぞれですが、豊かな人生とは何かと考えると、フェミニズムの人の言うことってへんだなぁって思います。

マーケティング講義

2004年10月05日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
今日は電通の方を招いてのマーケティングの講義でした。

当然のように終わったあとは飲み会でしたので、しっかり遅くなってしまいました。
とても勉強になったのですが、明日の朝がつらい。。。です

やはりR&Dにこそマーケティングは必要だと痛感します。
世の中で必要とされているものが何かを知ることはとても重要だと思います。

ただ、今期は取りたい授業が目白押しでこのままだと毎日大学に行くことになるので
順調すぎる仕事を考えると、ちょっと厳しいかなぁと思います。

マーケティングの授業では先生からもクラスメイトからも熱烈?コールいただいているので
都合がつけば受講したいのですが・・・

やはり二足の草鞋の生活は制約が大きいです。

明日は朝からお金をくれるほうの草鞋があるので頑張ります!!

いきなり欠席・・・

2004年10月02日 | MBA(経営学夜間大学院生の日記)
昨日から大学が始まっているのに、すでに欠席。。

昨日は8時まで職場にいたし(三時に帰ると宣言していたのに)、
今日は風邪でダウン気味だった。
普段なら行けても、来週は仕事がハードな上に、僕が休むととても大変なことになるので、
大事を取って欠席。

来週の土曜日も仕事しているから、大学いけないんだよな・・・
結構興味と実益の上で大事な授業だから休みたくないんだけど・・・

23日以降に、頑張ります。