ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

IT業界におけるヒエラルキー プログラマー、SE,ITコンサル

2004年10月16日 | IT・情報化・コンサルティング
IT業界におけるヒエラルキーとその弊害について書きたいと思います。
ビール飲みながらなので、おかしな点などコメント下さい。

IT業界で働いているのと、MBAの授業でヒューマンリソースマネージメント(以下HRM)で日本における情報技術者の育成がうまくいかない理由 というお題目でレポート書いたので、それがベースです。
(ベースの方はワードで10ページほどなので、ここに書くには長すぎますが)

問題意識としては、どうして、日本では、アメリカやインドやイスラエルや北欧のようなソフトウェア開発力がつかないのか?という疑問です。
また、以前は日本でもエンタープライズ系のシステムを組むとアメリカよりも生産性が高いといわれていましたが、昨今の状況をみるとどうもそれも崩れてきているようです。

まず、背景としてこの業界の状況を眺めたいと思います。
システム構築に関してはヒエラルキーがあります。
お客に近いところほど意思決定に携わることが多くなります。
意思決定がモチベーションに大きく影響しているとくのはHRMでもよく論議されることですし、
それによって自分の仕事への誇りや、向上心が生まれます。
また、意思決定に携われないと、仕事をさせられていると感じたり、仕事内容に不満を持つ傾向がでてきます。

どのようなシステムを作るかという意思決定をするのは、ITコン猿がいる場合は、彼らの仕事になります。
それをSEが仕様化して、最後のPGがコーディングするのが大まかな流れです。
もし、ISO的なソフトウェア品質管理がなされているのであれば、PGとは別のチームがコードの品質管理を行います(テスト等)

この場合、一番技術力が不足しているITコン猿がシステムの提案を行うために、一ステム全体の設計思想がおかしくなったり、実現が極めて困難な提案を行ったりということも多々おきます。
そうしたしわ寄せはPGなどの下流行程にいきます。

また、顧客から受け取る対価に関してもITコン猿が200万円/月 SEが100万円/月 プログラマーが50万円/月 だったりと、下流行程ほど対価が下がります。

実際、地方のソフトベンダーなどでは、一人当たり年に1ヶ月以上仕事に穴を開けると会社の経営が立ち行かなくなるほど単価を下げられているので、社員を研修させる暇も余力もなく、安月給でこき使わざる得ない状況になります。(月50万円って僕の年収/12ヶ月より安いかも・・・)

諸外国と異なり、プログラマーの地位が著しく低いのが日本の特徴です。
有名なUNIX系のソフト開発者が大学の教官でありながら、自分はプログラマーだと名乗るようなカルチャーとは大きく異なります。

また、プログラマやSEが建設的な提案をできないという問題もありますが、高額のフィーを取るコン猿が適切な設計をできないことが、現場での開発を困難にしており、優秀な人材が開発者として長く滞在しないという問題を生んでいます。
私はコンサルが適切な仕事をできるのであれば、月に200万円でも300万円でもいいと思うのですが(開発費の億近い額で中で占める割合はわずかです。)実際は、猿なみの仕事しかしない連中が多いので、開発者は苦労しているようです。
これは営業系SEも同罪で、知識のない連中が提案した内容で、開発者は苦労している話は事欠きません。

そのような背景やPGよりSEの方が聞こえがいいなどの理由から、プログラマーよりも高い単価になるSEを量産することとなり、実質はプログラマーだったりテスト要員だったりするような人までSEだと企業が紹介するので、SEという職種があふれることになります。

余談ですが、テストという大事な仕事を担う人も地位が低いんですよね。ここがある意味、要の一つなのですが。(ちなみにR&D部隊で商用化開発が始まると、コーディングはPGの仕事になるので、我々は品質管理やスケジュール管理といった管理業務でエンジニアとしてコードを書くことはなくなってしまうことが多いです。(自分より頭の悪い人の書いたコードレビューは苦痛なのですが・・・)

日本的製造業(トヨタ等)では生産現場が一番偉いのですが、IT産業はアメリカ的なカルチャーなのか口先三寸で仕事をするようなフロントが一番偉いのが特徴です。

ほんと、この業界はバカばっか(クソコード書くプログラマーも、自分の商材わかっていない営業やSEも、経営学的観点からちゃんと三文字単語を理解できずに、システムすらわからないコンサルも、ついでにビジネスにならない研究を好んでやる我々も)
優秀な人たちが築き上げた過去の栄光はどこへ・・・・・???

座右の書1

2004年10月16日 | 徒然なるまま(日々雑事)
座右の書の紹介です。
国家の論理と企業の論理―時代認識と未来構想を求めて

実はこの本はあとがきが非常に強烈に僕の人生観を形成してくれました。
もちろん本文も感動しながら読むほど素晴らしかったのですが、あとがきの一部抜粋です。

「10年間の米国滞在から帰国し、縁あって県立宮城大学と早稲田大学で客員教授として講座をもつこととなった。学生に語りかけてみて、改めてこの国の現状を知り、自分の時代認識と未来構想を再考する契機となった。ある意味では、この本はそうした学生たち、そして若いサラリーマンの後進たちの考えるヒントとして、私が語るべきことを集約したものともいえる。薄っぺらな時代認識や流行の議論に漂っている限り、決してあるべき未来はみえてこないこと。ジョークとナンセンスへの悪乗りだけで思考を収斂させる努力に欠ける青春が、とても何かを成熟・結実させるとは思えないこと。そのことを明確にするためにも、私の考察を体系的に語りたかった。
 私が北海道の高校生だったころ、少なからぬ影響を受けた教師がいた。彼は長期のシベリア抑留から帰った国語の教師で、決して親しみやすい人物ではなかったが、若者に媚びることのない超然とした存在感があった。生意気盛りで読書家を気取って教師に難解な質問をぶつけていた私に、ある時この教師がぼそぼそと語りかけた。『・・・・寺島、人間は悲しいほど弱いものだぞ。自分には知性も教養もあると自負していても、いざシベリアの収容所にいれられて将来に希望がもてなくなると、毎朝の食事のとき、アルマイトの食器に盛られた煮豆の量の多い少ないで、その日の吉凶を感じるようになるぞ。愁嘆場にきても微動だにしない知力を身につけるのは容易ではないぞ。・・・』。
 私は衝撃を受けた。サロンで知識を競い合うような教養人になってはならない。環境に動じない重心の低い知性とは何なのか。私は旧制高校生が読んで自らを鍛えたという書物を本気で読みはじめた。まずは河合栄治郎、天野貞祐、和辻哲郎、阿部次郎、亀井勝一郎、河上肇、西田幾太郎などが出発点だった。それからは社会科学の古典へと向かい、それぞれに思考の方向を定めるうえで影響を受けたが、結局は自分自身の体験軸でしか思考は収斂しないことを確認させられながら今日に至っている。
 サラリーマンが圧倒的な日常性のなかでものを考えることは容易ではない。それでも私は、よく高校時代に聞いた「シベリア収容所」の話を思い起こして自らを鼓舞し、執拗に時代の並走者の一人として思考を続けてきた。しかしながら、混迷する時代状況に懸命に目を凝らしながらも、時代を透徹する視座の構築の難しさを実感しているというのが本音である。
 したがって、若き後進たちにこの本がどのように受け止められるかは正直なところよくわからない。第一、私の書いたものは「難しい」という人がいる。睡眠薬代わりに枕元に置いてあるという人さえいる。しかし著者の不遜な思い入れとしては、それらの人は物事を考え抜く力、すなわち「脳力」の退化を嘆くべきである。世の中には簡単には理解できない難しいことがあるのだ。難しいことから眼をそらさず、真剣に考えることも大切である。(以下略)」

僕は寺島実朗氏のような「能力」の域にはまだまだ達していない。
しかし、表面をひっかいたような知識をひけらかすようなインテリにだけはなるまいと思っている。
重心の低い知性を身につけ、激しく流れる時代の中で自分の道を見つけられるようになりたい。
考え抜く力、それがもし多くの人にあったのであれば、ITバブルのような茶番も、イラク戦争のような不正義も、今の日本を取り巻く、自殺やニートなどの心の闇も、今よりは違ったものになっていたのではないかと思い、せめて自分は重心の低い知性を得られるよう鍛錬していきたいと思う。

まさに、僕にとってこの書のあとがきはインテリとして生きていこうとする自分にとっての座右の書です。

あぁ、寺島さんの講義受けてみたいな。うちのビジネススクールで呼べないかな。

そして就職活動中などで、自分の人生を真剣に悩んでいる方には、是非とも重心の低い時代認識を持っていただきたいと思います。