ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

東京による地方蔑視の反原発

2012年12月03日 | 政治・経済・社会現象
東京に住む人たちが、脱原発に向けて、すぐに自腹で太陽光発電を自宅に作るなら立派だと思います

しかし、関東で行われている反原発活動には到底支持できません。
それは自分が何をするかではなく、他人に何をさせないかという抑圧の論理だからです
理由は、次の三つです

1 首都住民に地方の電気を止める権利はない。

東京の人たちが、関西や北海道に停電のリスクを背負わせて、自分達だけは安全で安定した電力を、安価に得られるべきだ(電力代アップを認めない)という態度は、巨大消費地として保護された中でのエゴです。

もし、本当に、「電力は足りている」というののなら、もし、電力が足りな事態になったときに、どうやって関東の反原発が補償するのか、明示して欲しいです

無邪気な足りる神話によって、遠方に住む人々の安心・安全な生活を脅かす権利があるとは到底思えません。

もし他人の電気を止められると思うなら、日本の原発よりも危険な韓国や中国の原発を止めろと、大使館前でデモしないのはなぜでしょう?
背後に見えるのは、東京の人間の地方蔑視と、中国追従思想ではないのですか?



2 助け合おう日本


被災地の瓦礫処理を許さないという態度が許せません。、
瓦礫処理のお礼として届けられた被災地からの感謝のサンマを、
「瓦礫の次は、汚染サンマ」という暴言を吐いていますが、
彼らは脱原発、反原発の人たちからは批判もされずに、代々木公園で堂々と抗議を続けていました。
そういう人たちの正義が幅を利かせることはあってはならないです。


僕は好んで東北の生産物を買います。
でも、個人個人が、東北の農作物を食べたくないというのは、自由です。

しかし、震災や津波で家族や船を失った人たちが、やっと生活再建しだしたものを
「ゼロベクレル社会」などといって、生活の糧を冒涜し、検査を受けた恵みを罵る人たちが声高に主張する、歪んだ正義には一切屈したくありません。

それは、日本人同士が助け合いたいという僕の切なる願いです



3 経済の行く末


原発に反対しているのは、豊かな東京の人たちであって、原発立地自治体の人たちではない
という事実を見るべきです。

彼らは、自分たちが豊かな東京に住み、立地自治体の生活や、電力増に耐えられない企業の従業員の生活などを顧みる気などありません。

安全安心の例では、農薬や化学肥料によって、農業の生産性は数倍以上に飛躍しました。
昔ながらの無農薬、有機というのは、生産量を上げるのが難しいのです

ですから、途上国では、農薬や肥料が手に入らないから、農民が貧しいまま
ということが起こるのです。

もし、農薬や肥料を、安心・安全でないからと違法化したら、農家や都市生活者は豊かになるのでしょうか?
潔癖主義が人や社会を豊かにするのではないのです。
何を得て、何を妥協できるかという、知性の判断が、社会を進歩させるのです。

原発も同様です。
安心安全という美辞のもとに、他人の生活基盤を破壊する権利があると思う人たちには、断固として戦わなければなりません。

当面は、東京以外の地方の経済や、住民の安心・安全を守るために、世界的に許容されているレベルの原発リスクは妥協し、甘受すべきだと僕は確信しています。


4 まとめ

反・反原発は経済によって裏付けられた生活や安心を守る戦いです。

被災地の瓦礫は自分たちの自己責任でどうにかしろ、
原発立地自治体や、その住民は原発推進派だ、
被災地の農作物や魚介類は、検査をしていても流通させちゃいけない

そんな人たちの活動や政治が、日の目を見ることがあってはならないと、僕は思います。
そして、実際に、東京では、そんな政治や活動は、支持されていないということが、二週間後には、誰の目にも明らかになると信じています