ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

渋谷のサイレントマーチをYouTubeにうPしました。

2008年08月31日 | 政治・経済・社会現象
今日は、渋谷のサイレントマーチの写真を、パラパラ動画にしていました
4時間ぐらいかかりましたが、まぁ、どうにか形になりました

みなさん是非見てください。
http://jp.youtube.com/watch?v=xH0WSY5rE0Y



このデモ、ニュース23でもしっかり取り上げてもらえました。

http://jp.youtube.com/watch?v=9Hqlz3IskYA

遺影として並んでいた人たちの多くは、チベット人として、尊厳ある人間として、あげるべき声をあげたがゆえに帰らぬ人になった人々なのだと思います。

彼らの悔しさや悲しみに報いるために、彼らの志の一欠けらでも僕たちが引き継いで、彼らが生きた証を、生きて伝え語った思いを、語り継ぎ、その想いを引き継いで、いつか彼らのその命をかけた願いをかなえてあげたいと思います。


そして、あのデモの様子をNEWS23が報じてくれて、チベットの立場で報じてくれたこと、
長野の聖火リレー当時からは想像できないと思います

この半年間、みんながやってきたことが無駄でなかったのだと思います。
みんながチベットに興味を持っている今こそ、さらに がんばらねば!!

人権・民主主義への弾圧 北九州方式

2008年08月29日 | 政治・経済・社会現象
ダライラマ法王の講演会

北九州市役所がつぶそうとしているそうだ
なんでも、マルクス虐殺国家と友好都市だからだと、安保闘争時代の地方役人の御仁たちがごねているそうだ

まぁサヨクなんで人間的にどうかしちゃっているのでしょうが、役所が使用許可を出したものを撤回するというのがね。

北朝鮮や中国共産党のポチ教員の組合である、日教組がプリンスホテルを裁判で訴えたみたいに、北九州市を訴えてもいいのでしょうが、そんな無様なことを仏教組織がするわけもないでしょうしね。

あぁ、こんなところにも共産主義者の(金と権力と恫喝の)魔の手が・・・
どうにかならんものかねぇ。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33629418&comm_id=7228

2chのスレ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1219904657/l50



これはまさに「言論の自由」に属する問題だと思います。

なんか、中国製の「靖国」とかいう映画を上映しない映画館が出たときに
「言論の自由の侵害だ!!」

と大々的な活動をしてきた中国シンパやサヨクの人たちは、
「ノーベル平和賞受賞者が日本で講演活動を行おうとしたら、妨害されている」
という、かなり深刻な事態に対して、
「言論の自由の侵害だ!!」

とは思わないんでしょうね。言論というのは赤化という意味ではないはずなのですが


おそらく、いまのダライラマ法王への世界の着目は、普通のノーベル賞受賞者のそれではないレベルになっていると思います

主要国の首脳陣や議会が会談を求めるような人物です
単にノーベル賞受賞者であれば、対談をしたという事実がそこまで世界のニュースリリースになりません

そして、おそらく北九州の担当者は市長も気づいていないのかもしれませんが、
もし、ダライラマの講演スケジュールまで抑えてある件を、市のレベルで中止させたとなれば、海外の主要メディアの記事に、かなり高い確度でなると思います

少なくとも、日本のチベットサポーター達は海外のチベットサポーターの目に止まるところで、日本の民主主義の敗北を伝えるでしょうから、確実に世界中の人権活動家やそうした問題を扱う記者団や著名人たちの知るところとなるでしょう。

そうやって世界中に場所は知らないけど、日本でダライラマを追い返した無礼で非民主的で共産主義よりの「KITAKYUUSYUU City」がある と世界に知れ渡るのです

たぶん、これからは友好都市はもう共産圏しか提携してくれないでしょうね。
北九州の次の有効都市は平壌かな? それともヤンゴン?次の市長は共産党から擁立だね♪

そして、北九州という名前は、西側社会において吐き捨てるように呼ばれる名前になるのでしょう。


そこまでのリスクと覚悟って、おそらく地方役人にはないでしょうけど、日本にトランジットで数時間、立ち寄るだけで世界のニュースになるダライラマ法王を追い返すというのは、今後10年ぐらいは、「民主主義の敵 悪の都市 北九州」 として世界に名前が知られる覚悟はすべきでしょうね。

そして、もちろん、そうなるように、海外メディアには、日本で何が起こったかの説明を、みんながするでしょうから、もし、ダライラマ法王が来られなくなれば、その事実は、多くの言語に翻訳されて世界を飛び交うことになると思います。


そんな国辱な状況にならずに、この国は普通に人権と民主主義が存在していることを願っています

風邪、格差社会、チベットサイレントマーチ

2008年08月25日 | 格差社会を考える
先々週の水曜日ぐらいから10日間ぐらいずっと体調が不良です

といっても、その風邪になったタイミングではかなりヘロヘロで、午前年休、午後出社 を繰り返していたのです、今週はだいぶ楽でした

それで、日曜日は渋谷でのチベットのサイレントマーチに行ってきました
僕は旗の係りとして巨大な(5メーターぐらいある?)をみんなで広げてマーチをしました

他には、中国に殺された人たちの写真を年齢と死因を書いた遺影を持って歩く人、
棺おけをもって歩く人、旗を持って歩く人 などなどです

参加者は300人ぐらいでしょうか?

途中から雨が降ってきたのですが、傘もレインコートも使わずに歩き続けました
沿道ではスタッフがリーフレットを配って歩きました


もちろん受け取ってくれる人や車から拍手をしてくれる人もいるのですが、受けってくれない人たちもいます

これだけ必死の願いであっても、なかなか伝わらないものですね。
もちろん、自分達が頑張っているから相手が話を聞いてくれるべきだ というのは傲慢なんですけどね。

それで歩きながら考えたのだけど (だいたい僕は何か考え事をして歩いている)
これって日本で言う貧困の広がりと一緒の根っこなのだろうなと思った


たとえば日雇い労働についても、
「中小企業が労働力が破格に安い中国と競争するには、日雇い労働者は必要だ(経営者側)」
「公務員や会社員の正規雇用の雇用を守るためには非正規雇用が必要だ(労働組合・ユニオン)」
と自分達を守るということで、その犠牲になった人たちの痛みや人生を無視してきたことが、いまの経済格差が底辺方向に広がっていることの主要な要員だと思います

それは、他者の痛みや悲しみ、人生への無関心であり無慈悲の結果です
グローバル競争が、中国やラオスやベトナムといった旧共産圏の安価な労働力との競争が、消費者のニーズの高まりとマーケットの激しい変動が

そうした理由はいくらでも掲げられます。
しかし、そこにないのは、そうした正論の影で失われていく人間の尊厳であり、それへの無関心です。

これをチベットサポートで感が手見ます
宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会 設立の趣旨並びに声明
http://www.geocities.jp/supersamgha/seimei.htm
では次の一文があります

『「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。」(スッタニパータ)
私たち「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」は、今現在、中国政府の圧政下にあるチベット人の生命、人権、文化、言語、民族性消滅の危機を深く憂慮し、ブッダの大悲に根ざす正当な怒りによって強く訴えます。
私たちは、この危機が、人類の叡智であるチベット仏教への蹂躙(精神の虐殺)として進行している事実から、チベット問題は私たち仏教徒のみならず、
人類全体が直面している慈悲(愛・憐れみ・仁)の危機を象徴していると考えます。』(以下略)



チベットという人々の苦しみに耳を貸してくれない普通の人たちは、まさに慈悲の危機の象徴ではないでしょうか?

そして、チベットサポーターならもう誰でも、日ごろ 「人権」、「平和」、「戦争被害の賠償」、「戦争は女性や子どもがが被害者になる」、「平等が大切」といっていた、平和団体や人権団体や政党や政治家達が、侵略された民族の受難に対して、無慈悲と無関心や敵対を示していることを知っています。


中国崇拝や共産主義の擁護という彼らの「正論」のために、他の民族を見殺しにしようという性根は、経営者が労働者を使い捨てにするのとまったく同じ根っこだと思います。
チベット問題と、日本での無関心は格差社会といわれるものと一緒で、他者の痛みや悲しみ、人生への無関心であり無慈悲の結果です


チベットの人々が苦しんでいる ということをテレビや新聞で見ている人は多くいるでしょう
そうした中で雨の中で懸命に声を上げている人たちのリーフレットを受け取ってくれない人がいる世の中で、多くの増税や、自分の給与を下げても貧困を救おうという政策が支持されるはずはないと思います。

何ら責任のないチベット人や東トルキスタン人の受難に対してこれほど無慈悲な国民が、自己責任で貧乏な若者ののために増税しようなんて思うとは思えないのですよね。


欧州において福祉国家を作り上げた社会民主主義が、声高に宣言したオスロー宣言中には次の一文があります

http://homepage2.nifty.com/socialist-consort/SDforeign/SI/Oslo/OsloDeclJ.html
「 我々は、征服によってではなく、理解によって平和を築くことを決意する。
 我々は、共産主義の非情な専制と、資本主義の浪費と不正を同様に拒否する。
 我々にとって、自由と平等は等しく尊重され、人の幸福にとって本質的なものである。これらは友愛の理念を支える双柱である。 」


僕たち社会民主主義者は、共産主義と資本主義が本質的に持つ牙と戦い、社会を自由や平等と民主主義をもとに実現すべきだと思っています。
社会民主主義政党は時として親キリスト教政党とも親和性が高くなりました

もし、世界の政治をイデオロギーや経済功利性ではなく、
宗教や哲学や各国の文化が教えるような、慈悲や他者の悲しみに共感すること 正義とともにあろうとすること、
そうしたものをベースに置ければ、チベットや東トルキスタンの人々の苦しみも、貧困者の苦しみも癒されていく 

そんな風に考えながら、雨に打たれて風邪を悪化させました。

共産主義国では時々iTuneが使えなくなります

2008年08月23日 | 政治・経済・社会現象
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0808/22/news079.html

中国でiTunes Storeに障害、チベット支援曲が原因で遮断か

中国でiTunes Storeに問題が起きたのは、チベットを支持するコンピレーションアルバムがリリースされた後のことだった。(ロイター)
2008年08月22日 16時40分 更新

 中国でiPodに楽曲をダウンロードできないという謎の障害が起きており、ユーザーは、チベットを支持する歌が原因で、中国政府がiTunes Storeを遮断したのではないのかと困惑し、懸念している。アナリストが8月21日に伝えた。

 18日以来、60人を超えるユーザーがiPodに曲をダウンロードできないという苦情をAppleのフォーラムに書き込んでいる。

 こうした苦情は、非営利団体Art of Peace Foundationが、チベット族の権利に関する歌を集めたコンピレーションアルバム「Songs for Tibet」をリリースした後で書き込まれたものだ。

 1950年に中国の侵攻を受けたチベットでは、3月に暴動が発生。チベット全域での反政府デモにつながり、五輪開幕を数カ月後に控えていた中国政府は体面を深く傷つけられた。

 チベットの宗教的リーダー、ダライ・ラマは21日発行の仏紙Le Mondeの記事で、18日に中国軍がデモ参加者に発砲したと非難、140人が殺害されたとの未確認情報もあると語った。

 中国のITアナリストは21日、おそらく中国政府がiTunes Storeの音楽選択機能を遮断したのだろうと語った。同国が政治的にデリケートなコンテンツを含むWebページを遮断する技術を使っていることはよく知られている。

 「遮断された可能性は高い。コンテンツの問題によるものだろう」と北京のコンサルティング企業BDAのアソシエイトディレクター、リュー・ビン氏はiTunes Storeへのアクセスを試みた後で語った。

 同サイトのコアURLが「中国側で止められているようだ」が、中国の外からアクセスしたときにはつながると、上海のデジタルダイレクトマーケティング企業のCEO、ダニー・レビンソン氏は言う。

 Appleは21日にiTunes Storeのアクセス問題を認めたが、説明は避けた。「状況は理解しているが、これ以上の情報は出せない」と北京のAppleの広報担当ユナ・ホアン氏は語った。

 2006年には、iPodの製品保証の問題や、中国のiPod工場の労働環境への疑問から、Appleの中国内での評判が低下した。











でね、9条ロックとか、反戦ロックとかいっているような日本共産党一派とかって、こうやって音楽での抗議が、政治で遮断されても、これからも、中国様マンセーー!! 日本共産党マンセー!! ってやるんだろうね

そういうご都合主義のレジスタンスってロックじゃないからw

同じ仏教としてチベットを・・・・

2008年08月23日 | 政治・経済・社会現象
昔、Blogに書いた記事の焼き直しです
http://blog.goo.ne.jp/fuutennnoneko/e/97b18e243be423c00ab36c4836c12f8d

同じ仏教徒として、チベットを救おう という話を聞きます
そのときに、僕は、少しの居心地の悪さを感じます
それは、若干の傲慢さを感じるからです。

日本人はいまや世界でもっとも尊敬される国民となり、経済力も持ち、豊かで安全な社会に生きています

しかし、この社会になるのに、「同じ仏教徒として日本を救おう」と、言ってくれた人がいなければ、今の日本の繁栄はありえないと僕は確信しています

それは、スリランカのジャヤワルダナ蔵相その人です。
(ご存知でない方は多いのではないでしょうか?)

スリランカのページからの引用です。
http://www.geocities.jp/rexbc323/srilanka.htm


第二次大戦後、サンフランシスコ講和会議での、ジャヤワルダナ蔵相(後に大統領)の次の演説は知っておきたい。
「日本軍による被害、生ゴムの大量採取などの損害に対して我々は日本へ賠償請求権を持つ。しかしその権利を使うつもりはない。
仏陀の『憎しみは憎しみによって止むことはなく、愛によって止む』という言葉を信じるからである。
また、ソ連の制限案に賛成すれば、日本は完全な主権と平等と尊厳を取り戻せなくなる。日本は真に独立した国にならなければならない。」
この発言も大きな要因となって日本は完全な主権を取り戻すことができたのである。



下記が修正案のようです
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19510905.O1J.html



この時に、日本が賠償請求権を行使されていれば、第一次世界大戦後のドイツのように、非常に苦しい立場に追いやられ、今の経済的繁栄はなかったでしょう

また、ソビエト連邦の主張のようになっていれば、、日本は独立国家としての地位を失い、その回復に何年を要したのかは、もはや不明です。
いまだに、回復していないかもしれません。


同じ仏教徒として、助けてくれた人がいる。
そういう恩を感じるのであれば、同じ仏教徒として助けを求める人々に手を差し伸べることは、人の道として正しい と僕は思います。

僕の母親たちがユニセフの支給したまずい脱脂粉乳のおかげで、成長したのですから、僕はユニセフに募金をしてきました。


そしてスリランカが賠償請求権を放棄してくれたおかげで、インド、ラオス、カンボジア、アメリカも賠償請求権を放棄しました。
その会議でジャヤワルダナ蔵相が発言してくれた言葉です。


「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。
私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、大東亜共栄圏のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、 ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」



その後、日本はスリランカの最大の支援国になりました
スリランカという仏教国を旅すれば、日本人はとても親切にしてくれます
しかし、アジア最大の外交官と国際社会で賞賛されたジャヤワルダナのことを、サヨクに占領された日本の教育では学んでいないため、知らない人がたくさんいます。

スリランカで、日本とスリランカの話になったときに、
「自分は、かつてスリランカが日本を助けてくれたことを感謝している」
と話してみてください。

誰もがその言葉の意味することを理解します。
そしてすぐにより打ち解けて話すことができるでしょう。
そしてスリランカの人々が日本がスリランカにとてもよくしているのは、日本人が恩を忘れる義理堅い人々だからだと思っているようです
そして実際に、半世紀にわたり、自民党政府はそのように行動してきました


僕は、同じ仏教国であるビルマにも助けられていると、旅をすると感じます
戦地でなくなった日本人を丁寧に埋葬し、いまでもパコダでお祈りをしてくれています
そして、英霊に手を合わせに行くと、タクシーの運転手も満足そうですし、僧侶の方は日本語で、「日本の方ですね。お茶を飲んでいきなさい」と言っていただけます

そういう英霊へのビルマの方々の温情に報いたいと、遺族会の方々は、貧困国ビルマに、井戸などを寄贈しています。
ビルマ(ミャンマー)を旅すれば、この村の井戸は○○という日本のファミリーが作ってくれた
この村の寺院は××というファミリーが作ってくれた、と日本の苗字をたくさん聞くかもしれません。

同じ仏教徒として日本人を助けてくれ、そして、英霊を慰めてくださっている人たちがアジアにいる。
そういう大恩を考えれば、チベットの人たちの生命と信仰が守られるために、同じ仏教国の人として行動することは、すごく自然な行動であると思えます


そして、スリランカが同じ仏教徒として、ソビエト連邦から日本を守ってくれたことと
中国共産党からチベット民族を守ることは、仏教徒同士が共産主義者から正義と人権と民族自決を守るという構図では、相似であって、半世紀以上たって、かつて仏教国として守られた日本が、仏教国として誰かを守れるようになった


スリランカの人々が日本を守ってくれたのは、日本がアジアの人々の独立に寄与し、寄与すると思ったからだと思います。

今こそ、アジアの盟友たちの独立・自治を再度支援すべきときだと思います。

それは、我々が人々によって生かされていることに感謝し、その恩に報いることができる人々だと確信するからです。

「生かされている」 というのは英語にならないそうです。
生きるとは自動詞であり、また、感謝は神にするものだから のようです

「生かされている」が英訳できないのは、春日大社の宮司の書かれた本に書いてあったのですが、当時のガールフレンド(津田塾英文科卒)に聞いても、やっぱり英訳不可能だと言っていました。
他にもTOIEC950点近くの人にも聞いても同じ答え。

生かされている という気持ちをもとに、人々に感謝して行動できるのは、東アジアの人たちやネイティブアメリカンぐらいなのかもしれません。

同じ仏教徒として守られたわれわれが、同じ仏教徒としてチベットを守る

2008年08月22日 | 徒然なるまま(日々雑事)
同じ仏教徒として、チベットを救おう という話を聞きます

昔、Blogに書いた記事の焼き直しです
http://blog.goo.ne.jp/fuutennnoneko/e/97b18e243be423c00ab36c4836c12f8d


そのときに、僕は、少しの居心地の悪さを感じます
日本人はいまや世界でもっとも尊敬される国民となり、経済力も持ち、豊かで安全な社会に生きています

しかし、この社会になるのに、「同じ仏教徒として日本を救おう」と、言ってくれた人がいなければ、今の日本の繁栄はありえないと僕は確信しています

それは、スリランカのジャヤワルダナ蔵相その人です。
(ご存知でない方は多いのではないでしょうか?)

スリランカのページからの引用です。
http://www.geocities.jp/rexbc323/srilanka.htm


第二次大戦後、サンフランシスコ講和会議での、ジャヤワルダナ蔵相(後に大統領)の次の演説は知っておきたい。
「日本軍による被害、生ゴムの大量採取などの損害に対して我々は日本へ賠償請求権を持つ。しかしその権利を使うつもりはない。
仏陀の『憎しみは憎しみによって止むことはなく、愛によって止む』という言葉を信じるからである。
また、ソ連の制限案に賛成すれば、日本は完全な主権と平等と尊厳を取り戻せなくなる。日本は真に独立した国にならなければならない。」
この発現も大きな要因となって日本は完全な主権を取り戻すことができたのである。

下記が修正案のようです
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19510905.O1J.html



この時に、日本が賠償請求権を行使されていれば、第一次世界大戦後のドイツのように、非常に苦しい立場に追いやられ、今の経済的繁栄はなかったでしょう

また、ソビエト連邦の主張のように、日本は独立国家としての地位を失い、その回復に何年を要したのかは、もはや不明です。
いまだに、回復していないかもしれません。


同じ仏教徒として、助けてくれた人がいる。
そういう恩を感じるのであれば、同じ仏教徒として助けを求める人々に手を差し伸べることは、人の道として正しい と僕は思います。

僕の母親たちがユニセフの支給したまずい脱脂粉乳のおかげで、成長したのですから、僕はユニセフに募金をしてきました。


そしてスリランカが賠償請求権を放棄してくれたおかげで、インド、ラオス、カンボジア、アメリカも賠償請求権を放棄しました。
その会議でジャヤワルダナ蔵相が発言してくれた言葉です。


アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。
私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、大東亜共栄圏のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、 ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。



その後、日本はスリランカの最大の支援国になりました
スリランカという仏教国を旅すれば、日本人はとても親切にしてくれます
しかし、アジア最大の外交官と国際社会で賞賛されたジャヤワルダナのことを、サヨクに占領された日本の教育では学んでいないため、知らない人がたくさんいます。

スリランカで、日本とスリランカの話になったときに、
「自分は、かつてスリランカが日本を助けてくれたことを感謝している」
と話してみてください。

誰もがその言葉の意味することを理解します。
そしてすぐにより打ち解けて話すことができるでしょう。
そしてスリランカの人々が日本がスリランカにとてもよくしているのは、日本人が恩を忘れる義理堅い人々だからだと思っているようです
そして実際に、半世紀にわたり、自民党政府はそのように行動してきました


僕は、同じ仏教国であるビルマにも助けられていると、旅をすると感じます
戦地でなくなった日本人を丁寧に埋葬し、いまでもパコダでお祈りをしてくれています
そして、英霊に手を合わせに行くと、タクシーの運転手も満足そうですし、僧侶の方は日本語で、「日本の方ですね。お茶を飲んでいきなさい」と言っていただけます

そういう英霊へのビルマの方々の温情に報いたいと、遺族会の方々は、貧困国ビルマに、井戸などを寄贈しています。
ビルマ(ミャンマー)を旅すれば、この村の井戸は○○という日本のファミリーが作ってくれた
この村の寺院は××というファミリーが作ってくれた、と日本の苗字をたくさん聞くかもしれません。

同じ仏教徒として日本人を助けてくれ、そして、英霊を慰めてくださっている人たちがアジアにいる。
そういう大恩を考えれば、チベットの人たちの生命と信仰が守られるために、同じ仏教国の人として行動することは、すごく自然な行動であると思えます


そして、スリランカが同じ仏教徒として、ソビエト連邦から日本を守ってくれたことと
中国共産党からチベット民族を守ることは、仏教徒同士が共産主義者から正義と人権と民族自決を守るという構図では、相似であって、半世紀以上たって、かつて仏教国として守られた日本が、仏教国として誰かを守れるようになった

そのように僕は思います

FreeTibetコミュにトピを立てようかまよったが、日記が好評だったらあっちに書くかも

さて、これから大パリニバーナ経を読みながら、ウインナーでビールという罰当たりなことをして寝よう。

北京オリンピック 共産主義の勝利

2008年08月12日 | 政治・経済・社会現象
チベット問題を考える のコミュで左翼がフリチベに喧嘩を売ってきた
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33877028&comment_count=44&comm_id=296751

のを、出雲大社に行く途中で読んだので、帰ってきて、反論しておいた

左翼の人いわく
「北京五輪の成功は、チベット亡命政権のダライ・ラマ14世の願いの一つでもあったわけですが、彼の望みどおり、英国やフランス、ドイツなどの首相の開会式出席キャンセルもなく、成功裡に行われており、これがEUやアメリカ、日本などの政府による支持により、あの「チベット問題」も国際問題化することなく消え去っていったことを象徴するものでもあったと思います。 」

というので、社会民主主義猫いわく

「今回の北京オリンピックに関して言えば、

マルクスレーニン主義による労働者の搾取と人権の剥奪によって、急速な経済成長を遂げた共産中国の力と、グローバル経済の浸透によって、国民の人権感情に配慮しないといけないが、経済も大事という、G7諸国の政府が、マルクス主義の搾取による経済力に屈したというところだとと思いますね。

自由主義的な資本が利潤を上げることが正しい という態度と
マルクス主義的な、カネがすべてで、金さえあれば宗教も人権も要らない

という両方の唯物論的な発想が、共鳴した結果だと思います

しかし、僕は、半世紀以上、共産主義者たちと闘って、勝利してきた社会民主主義者が今回も勝利することを信じています。

カネが全てという、新自由主義と共産主義を、民主主義が勝利することを信じて、
とりあえず、今回の北京オリンピックは、共産主義+新自由主義+グローバリズム の極悪三兄弟の勝利を認めざる得ないかなぁと

マクドナルドやコカコーラのようなグローバル企業と人権無視のマルキストが手を組んだら、そりゃ簡単には勝てないよ・・・」

としておいた。

日本においても、
・金儲けできればシナでの人権問題なんてどうでもいいじゃん っていう経団連や中国ODA族議員の発想と
・マルクス主義者が統治しているなら、拷問、強姦、虐殺なんてどうでもいいじゃん、という日本共産党や朝日新聞的な発想

の二つが共鳴して、「中国オリンピックマンセーーーー!!」 なわけでして。はい。

こういう利益優先の発想と、マルクスイデオロギー優先の発想の共産党を押さえ込むためにも、EUの社会民主主義政党にあたる勢力が力を伸ばしてもらわないとね

そして、まずは日本の人権意識のある人が、デモをするとかして、
「人権は闘争によって勝ち取るのだ」
という意識を発露する必要があるでしょうね。

そうした延長にこそ、民主主義があろうと思う。