ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

第三の道としての生活保護改革

2012年11月26日 | 格差社会を考える
前回に続き、生活保護のリアルを横目で見ながら、
生活保護の改正についての見解を述べたいと思います。
また、後半では、記事で引用されている「生活困窮者の生活支援の在り方に関する第10回特別部会」のレポートをベースに議論を進めたいと思います。

流れは、
1自分のスタンス、生活保護は社会投資なのか? 3 どう改正すべきか? 4 まとめ
という流れで書いています

1 自分のスタンス

私のスタンスは、欧州の社会民主主義政党の取った第三の道の路線をベースにしています。
生活保護受給者も含め、社会の中に積極的な参加が制度として権利と義務化されるべきだと考えています。
また、医療・教育については、生活保護受給者と真面目に働くワーキングプアー層のどちらの子供であっても、十分に社会のサポートがあるのが望ましいと考えています。

ただし、国民が、その費用を負担したいと思う限りにおいてです。
増税をさけ、子供たちに押し付ける赤字国債で行うぐらいなら、特に大人へのサポートは無い方が良いです。(子供の負担で、大人が福祉を受けるのは道義的に許されません)

2 社会保障は社会に対する投資。生活保護もそうなのか?

みわよしこ氏は
「生活保護費は、国費の無駄遣いではなく、社会に対する投資だ」
と述べています
http://diamond.jp/articles/-/28302?page=5

第三の道の立場では、確かに社会保障や教育は社会にとって割の良い投資であると考えます。
例えば、能力がありながら貧困によって高等教育を受けられない人に、公教育を実施する制度は、長期的に見て国の競争力や個人の所得税増に寄与しますし、そういう人が社会保障を消費する可能性も低下させます。

また、医療なども、社会投資です。治療によって人々が社会に復帰することにより、社会の活力は維持されます
しかし、一方で、欧州は日本よりもドライに考えるので、医療費も投資として、どれだけ社会に貢献するかを評価します。
その結果、予防医学が重視されたりする一方、安楽死などによって、医療費を抑える選択も行われます。

当然、失業給付は労働者が次の仕事に復帰を支え、必要なら職業訓練を施すことにより、失業者本人も社会も両方がリターンを得る制度です。

では、今の日本の生活保護は、みわよしこ氏が言うような「社会に対する投資」になっているのでしょうか?

生活保護から自立する割合は非常に低く、多くの人は、数年間以上、生活保護制度に滞在します。
記事の中では、みわよしこ氏は、厚生労働省の資料を引用し
「一方、人数でみれば、日本全体の高齢化に伴い、高齢者数の増大が著しい(図3)。」(p.1)
と述べています。
高齢者で生活保護を受給しているということは、貯金も年金支払いもしなかった人です。
老化は病気や事故とことなり、備えられるし、備えなければいけない問題です。
しかも、我が国では、国民年金の納入は国民の義務と法律で明記されており、罰則がないとはいえ、年金未納という違法行為をしてきた人間に、まじめに保険費を払い続けた人たちよりも、豊かな生活を送らせるということで、社会はどのようなリターンを得るのでしょうか?

リターンがなければ投資とは言えません。
この事象から、社会が得たのは、国民年金への不信感による年金未納であり、勤勉への冒涜です。

派遣村で宇都宮健児弁護士たちが国民に示したように、貧困層が就労のためのお金をパチンコや飲酒に費やすという(彼らが一般的といった)行為を許容することで、社会はどのようなリターンを得るのでしょうか?

改正をしないままの生活保護では、投入した費用が回収できる見込みのないため、投資とはとうてい呼べません。
自立を促し、社会の福祉に寄与する制度に改正する必要があります


3 では、どう改正すべきなのか? 

改正の方向性として、みわよしこ氏の記事で引用されている、
「生活困窮者の生活支援の在り方に関する第10回特別部会」のレポートが参考になります。

資料中の以下の生活保護制度への現状認識に、完全に同意します


Ⅱ 生活保護制度の見直しに関する論点
1.基本的な考え方
○ 生活保護の貹用が急激に増加傾向にあることもあり、全体の見直しは必
要と思っている。また、制度の信頼性を高める観点からも、必要な改革で
ある。
○ 生活保護制度は、自立を支えられる仕組みになっていない。いわゆるワ
ーキングプアの問題がある一方で、不正受給の問題等、頑張って働いてい
る人が報われないといった矛盾が、若者たちの心に非常に影を落としてい
るところであるし、働く意思があっても、抜け出せない仕組みを考えると、
もはやこれは制度疲労を起こしている。
○ 不正受給者防止は当然強化すべきだが、生活保護を含む社会的セーフテ
ィネットを、人々が安心して社会参加を行い、様々なチャレンジを行うた
めの条件として積極的に評価していくことが必要である。
(p.24)


一方で、自立を助けるためには、彼ら自身が、社会への適応性を高める必要もあります。
トレーニングを社会が提供しなければ、再び社会に参加することは難しい人もいます。

宇都宮氏たちのような、パチンコ派遣村や居酒屋派遣村だろうが、社会保障なのだから、市民は文句をいうな!!という態度が、本当に受給者の人生の質を向上させるのでしょうか?

そうではなく、雇われない理由がある人たちに対しては、ちゃんと雇われる、仲間として受け入れられるように教育を提供する必要があると考えます。
従来型の自称生活保護支援者のような、「好き勝手にさせるのが、人権♪」 という姿勢とはことなり、資料の中では社会参加のための訓練についても提言されています。


3.就労準備のための支援の在り方について
○ 生活困窮者の一般就労に向けていくつかのステップを踏む必要がある。
対象者像の状態に応じて、社会参加のために必要な生活習慣の形成のため
の訓練、就労の前段階として必要な社会的能力を身につけるための訓練、
継続的な就労経験の場を提供し、一般雇用への就職活動に向けた技法や知
識の取得等の支援を行う訓練、といった段階に着目した支援内容とすべき。
(p.8)



また、無給であっても、社会の中で役割を果たす経験を積むことは、社会にとっても、本人にとっても大切なことです。
そのために、いくつかの提案がされています。


4.中間的就労の在り方
○ 営利の世界で働くということは非常に厳しい選別があるので、共助・助
け合いの世界の場で、柔軟な能力の活かし方を様々に用意することが必要。
○ これまでは一般就労か、生活保護かという二者択一の議論であったが、
生活困窮者には、いきなり一般就労はハードルが高すぎる場合があるので、
この間の段階的・中間的な就労の場を設けることが必要である。
○ 「中間的就労」というよりは、「社会的就労」という整理が適当である。
○ 中間的就労は福祉施策の一環として、労働基準法制の適用外の形で柔軟
な対応をしていくことも検討することが必要である。(p.9)



4 まとめ


こうした、提言のように、社会からみて、不適切だと思われる生活習慣を持つ受給者もいることを、社会として認めた上で、それらを改善するためのトレーニングには社会がしっかりと予算を担保する。
一方、生活保護支給額が高いことや、制度が国民の信頼を失っている現実を踏まえたうえで、衣食住の生活については、支給金額を下げる。
そのうえで、必要なトレーニングや、社会参加の機会の提供や、社会参加した際の賃金には、予算をつける。
そうした結果として、貧困率や、自立の割合、不正者への罰則などを透明化して制度への信頼性をたかめていく。

金銭を与えるだけの生活保護から、労働者と同じような勤勉さを必ず求める制度への改革が必要だと考えます。
そして、そうした方向での議論が「生活困窮者の生活支援の在り方に関する第10回特別部会」ではなされていると思います

選挙後に進むであろう、民主党・自民党による生活保護改革に期待したいと思います


補足:上記の部会のメンバーでもある岩田正美氏の「社会的排除」は、社会保障制度を考える上で、良書だと思います。

補足2:記事の中で
 このことは、生活保護制度が、それだけの人命を救っているということである。藤田氏は「日本で一番、生命を支えている制度」とも言う。

ってあるんだけど、僕は、この国で一番、生命を支えているのは、国民健康保険だと思っていた・・・・

We are the 99 percent (生活保護改革)

2012年11月11日 | 格差社会を考える

生活保護制度改革の審議が進んでいます ダイヤモンド WEBでみわよしこ記者が記事にしています。



現状把握も検討も不十分なまま生活保護費引き下げ!?
厚労省・財務省主導で迷走する生活保護制度改革の今


まず、1 バッシングの背景と、2貧困の定義について考察を進め、3生活保護制度は生存ラインか考え、4 なぜ国民が改革を支持するのか? 5 支持への回復は可能か? と考えたいと思います。
生活保護制度改革がどうあるべきかの個人の意見は次回に書こうと思います。

1 バッシングの背景

この記事の中では、世論は改正に傾いているとのべ、生活保護バッシングを創出されたと言っています。
もし、政府がそんな都合よく民意を創出できるのなら、民主党政権の支持率ってもう少し高いでしょうし、官邸前に再稼働反対と人が多く集まったりもしなかったでしょう。(一時のブームで終わったのが、政府の成果なのかもしれませんが)

今の生活保護制度への不信は、よしもと芸人が豪遊を自慢しながら、民法上・生活保護法の上で扶養義務のある親に生活保護を受給させていたことに端を発しているように見えます。
しかし、そういう世論を作る土壌を作ったのは、2010年の公設派遣村で宇都宮健児弁護士が代表を務める「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」です。
覚えている方も多いと思いますが、ワンストップの会が就職活動費を日払いから、一括支給にするように行政側へ圧力をかけ、その結果、就労活動費の一括支給となりました。
結果、金を手にした入居者たちのうち200人以上がパチンコや居酒屋に行ったまま帰らない人となりました。

さらに、それについて、ワンストップ会は、「彼らは金銭管理する能力が無い(ダメ人間)なのだから、(たとえ私たちが要求しようが)金を一括で渡した行政が悪い!」と意味の分からない記者会見を行いました。

宇都宮健児の成果は「貧困は自己責任であると可視化した」ことです。

都の職員の土下座しろだ、正月料理を用意しろだと騒ぎ、就労活動費を持ち逃げするような人たちが終身雇用で雇わていないにしろ、
それは社会が悪い!!のだと、多くの市民は思いませんでした。
社会が手を差し伸べたことに対して、悪意で答えた入居者たちへの怒りを多くの人は感じました。

反貧困ネットワークや宇都宮健児氏たちは、事の経緯について全うな説明をしないまま、ただ社会からの非難が収まるのを待っていましたが、ほとぼりが冷める前に、また次の燃料が投入されたというのが、お笑い芸人の生活保護受給までの社会的な文脈でしょう。

もちろん、生活保護を活用した支援をしている人にも湯浅氏たちのようにまっとうな人もいます。
 2009年~10年のパチンコ派遣村や居酒屋派遣村には、湯浅誠氏は宇都宮健児氏と異なり積極的に関わっていませんし、生活保護制度についても、冷静な議論をしています。


2 貧困とは何か?

日本で問題になる貧困とは、栄養状態が満たされない途上国の子供の議論とは異なり、たとえば就学や再就職などのような社会参加に支障があるレベルなのかどうかという、「社会的排除」の水準より上かどうかということです。

貧困に対する社会政策の決定には、生存に必要な衣食住の最低限度が満たされたあとでは、社会的に許されない貧困状態とは何かということを定義していく必要があります。

例えば、アメリカの貧困層は肥満率が非常に高いですし、共産中国の労働者は劣悪な環境で生活していても日本の自称格差是正論者たちから貧困層と呼称されていないケースも多々あります。

日本を主軸にしても戦後の貧困、高度成長期前の貧困と、現代の貧困では、論点が異なり、市民が血税によって保証すべきと考える内容は異なります。
社会にあってはならないレベルの貧困とは何かは、結局のところ、「民主主義的な手続き」によって決めるしかありません。


3 今の生活保護は、生存さえ困難なレベルなのか?

上記のダイヤモンドの記事で、みわよしこ記者は

すると、現在でも「健康で文化的な最低限の生活」に足りているとは言えない生活保護受給者の生活は、「生存さえ困難」というレベルに追い込まれるであろう。生活保護費が現状のままであるとしても、電気料金値上げ・2014年からの消費税引き上げなど、生活保護受給者の生活を脅かす要因は数多く存在している。

と書いています。
彼女の定義では、いまの生活保護支給額は、「生存ラインギリギリ」であるということです。

しかし、最低賃金で働き、生活保護世帯が免除される国民年金・健康保険費負担・医療費・小中学校の諸経費・水道代などを払いながら、「生存」している多くの納税市民がいることを、有権者は知っています。

最低賃金による生計については、社会保障制度や貧困問題として、議論されるべき問題ではありますが、国民健康保険費の未納などを除いて、「生存の危機」というレベルで論じられることはほとんどありません。

雨宮処凛が、「生きさせろ!!」とアジテーションし、反原発派は福島だけでなく東京でも被ばく死者が大量に出ると脅し、ダイヤモンドの筆者は生存さえ困難になる、と、命の危険を訴えましたが、そういう具体的な中身がない冷静さを欠いた論調が支持を訴えることは、過去にはありませんし、今後もないでしょう。

一方で、震災の時のような、具体的に生存にかかわる時には、日本人は、相手がどの国の人であろうと、積極的に命を救おうと行動する民族です。


4 なぜ国民は生活保護制度改革を支持するのか?


いま、国民が生活保護制度に対して怒っているのは、
全うに働く人間よりも遥かに豊かな生活をし、パチンコや居酒屋で浪費するような金をもらいながら、それでも社会を罵る人たちがいる。

そういう人たちが増加し続けるなかで、言われるがままにお金を払い続ける必要があるのか?
それが、宇都宮健児氏の派遣村が意図せずに社会に突き付けた問いでした。

今、世論が訴えているのは、全うに働いて納税をしている人たちが、生活保護受給者以下の生活をしているという、労働の尊厳の問題ですし、まじめに働いて年金を払った人よりも、年金を払わなかった人たちの方が生活保護で豊かな生活を送っているという問題です。


5 生活保護制度が国民の信頼を回復するのに必要なこと

労働意欲の無い市民に対して、どれほどの支給をするのか?
というのは、世界共通の問いですし、歴史的にも普遍的な問いです。

国家による社会保障制度というのは、近代国家の発明の一つで、人類普遍な価値・制度ではありません。
(一方で、宗教による救済などは、かなり古い時代から制度化されています。)

国家による社会保障制度だけでなく、家庭という単位で見ても、働かずにパチンコやゲームで日々を過ごす家族に対して、一方的な優しさを長期間に渡って示し続ける家庭は多くないでしょう。

相手を支援をしたいと思うかどうかは、支援する側の自由意思が働くことは否定できません。
これは、生活保護だけでなくて、学校での教師から子供への働きかけ、先進国から発展途上国への働きかけ、ある国の他国の難民への働きかけ、など、あらゆる支援の全てがそうです。

家庭内でも、もし家族がパチンコやゲームで日々を過ごすことなく、自立に向けた努力を日々している姿を見ていれば、バッシングをするケースはぐっと減るでしょうし、支えたいと思うことも増えるでしょう。
これは社会全体でも同様です。

しかし、生活保護支援者を自称する人たちは、就労努力の制度化や、自立への努力、勤勉な生活を制度化することに、強く反対してきました。

自称支援者たちが、生活保護制度が潔白であることを示そうとせず、そうした動きを改悪といって反対してきた結果が、今の国民の不信につながっています。

不正や怠惰の受給がほぼないだろうと信じられる制度、最低賃金労働との生活の質でのバランスが、道義的にとれた制度にしない限り、生活保護制度が世論の信頼を取り戻すことは無いでしょう。

議会制民主主義の下で、何が最低限の生活かを決めるのは私たち98%の非受給者の市民です。

もし、失業して受給している受給者が震災の際にボランティアにいっているなどという話が大々的に報じられていれば、世論も違ったのでしょうが、社会が厳しさを増していく中で、今の水準を払おうと思わせるだけの信頼を取り戻すことは難しいと、私は思います。