


旧布野ダッシュ村日記です。
女房殿を渡し場まで送ったので、ケータイでパチリ。
もう、sekiも女房殿もすっかり乗る回数が減った尾道渡船だ。
かつては向島住民の足として、対尾道本土の航路だけでも7つ
あった。
それが今は2社3航路だ、その1社が尾道渡船だが、元々は公営
渡船と言われていた尾道土堂から向島兼吉の航路。
昭和43年3月の旧尾道大橋開通、そして尾道大橋の県移管に伴っ
ての橋の無料化・・・・と渡船にとっては苦難の歴史となった。
つい最近、駅前渡船を合併吸収した、どっちがいいとかの問題で
なく、合併しなければ運行出来ないのだ。
乗る客も少ない、収益も悪い、補助金貰っても船の買い変えは
出来ない、船長のなり手がいない・・・
八方ふさがりの中の合併、つまり船長が他の航路に乗ることで
ギリギリ繋いでいる。
この尾道渡船、尾道航路だけでなく向島~戸田(浦崎)の航路もあ
り、3航路を船長がぐるぐる回って操縦だ。
なにせ60歳台が一番若い船長、70才は当たり前、80近い人もい
るとか、つまり年金貰ってないと生活出来ない賃金だ。
JRのローカル線の廃線課題と同様、かつては全員が利用してい
たのに半世紀たったらこうだ。
いい知恵・方法はないものか・・・・