


広島県立福山歴史博物館で開催されている「日本人の地図
づくり」(行基図から伊能図まで)を見て来た。
興味が湧いたのは、あの伊能忠敬の地図が見れるという
ことと、伊能図の西日本版の作成には福山市神辺町の箱田
という人が深く関わっていた・・・と知ったから。
展示してある伊能図を見ると、それまでの行基図のうろこ
模様に藩名を書いたものとは大違い。
実測に基づいた地図ということがよく分かる、ただ蝦夷は
実測をしてないこともあり随分違うが・・・
もう一つの箱田という人物、備後国箱田村(現神辺町)の
庄屋に産まれ、第5次測量で福山城下に来た伊能に面会し
弟子に。

そして第7次以降のすべての調査に同行、伊能の没後 伊
能図を完成させて幕府に提出したそうだ。
その後箱田良助は幕臣の榎本家の御家人株を買って榎本と
改名、1844年には御勘定方になり旗本に。
その榎本の次男が、ナントあの函館戦争で有名な榎本武揚
だそうだ。
榎本武揚は、この備後国からの血を引く傑物だったのですねー
その生家等は神辺にあるそうだ、今度はそっちも探索しなく
ては・・・・