あいだの話

2017-01-14 08:53:24 | 音楽
先日、前の先生の弾いたレゲンデの録音を聞いて凹んだことを書いた。
自分とのあまりの差にショックを受けて本当に結構凹んだ。

諦めないとか、やるだけやるとか書いてストッパーにしたけど、
そこからレッスンまでの間、本当のところは「弾きたくない」って
すごく思っていた。

練習したところで焼け石に水だ。
私が弾かなくても上手な人はたくさんいる。
やめたって誰も困らない。
…などなど。『私』が弾く理由を見失ったというか。

だけど、取り掛かり中のレゲンデを投げ出したくない。
上手に弾けないから発表会に出ないというのも悔しい。
この曲に私なりのケジメをつけるべきだと。

でも、弾きたくない。
すごく弾きたくないな~。
そんなふうに思っているのに、やはりバイオリンをやめるという
選択ができない。

結局、レゲンデを投げ出さないしバイオリンもやめないなら、
練習するのが道理ってもんだなということで。

クサっている時こそ練習しよう、と自分を鼓舞した。
嫌だな、弾きたくないなって思う時こそチャンスだって。

何のチャンスかは不明。
あえていうなら、これ以上下手にならないチャンスか。
微々微々積み上げてきたものを失わないチャンスか。
とにかく弾かなければ私の砂の城(?)はパラパラと崩壊して
しまうのよ、って。
…イメージね。

レッスンまでの間、無心で淡々と弾いた。
先生のご指示を一つ一つ辿っていく。
重音部はとにかく厳しく音程を確認。

そんなふうにして挑んだ先日のレッスンだった。…大げさだが。
練習と成果が結びついている、ってこんなに明確に感じることが
あるのだなと新鮮な気持ち。
なんというか、またここから頑張れるって前向きに思う。

…などと、いかにも上手になったようなことを書いたが、元々
地を這うようにヒドかったものが、「もう一歩」の手前の手前
くらいまで前進したという話ではある。
(つまり、それほどの出来でもないということ)

でも、いいのだ。
確かに前進したと感じて、そのことが嬉しかった。
こうやって浮き沈みを繰り返しながら、微々微々進んでいくのが
私のバイオリン活動なのだろう。
仕方ないねえ。

ふむ。
それにしても、レッスンに行くと自分のペラペラの脳みそに、適度な
重さの文鎮をガシッと置いてもらったように安定する。
結局、前の先生と今の先生、二人の先生に導かれているのだな。
ありがたい。

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