9月20日

2018-09-26 21:52:58 | その他
以下、病気と死に関する話なのでお嫌な場合は回避してください。


父が亡くなった。
2017年9月に病気がみつかり闘病していた。

病名は肺癌で、わかった時すでに原発は7センチほどあった。
放射線治療の後キイトルーダという薬を使う予定でいたが、年明けに
脳転移がみつかり延期に。
こちらも放射線で治療し、紆余曲折を経て3月頃キイトルーダを使う
ことができた。
この薬が奏功して原発はかなり縮小し調子が良かった。
4月~5月頃はお酒も解禁になってわりと元気で仕事もしていた。

6月を過ぎてからだんだん悪い方向へ。
脳転移への治療の関係でキイトルーダが使えなくなり、他の抗がん剤を
試みたが効かず。
胸水が溜まったり、息が苦しくなったり、心臓も相当弱っており、色々な
症状が出ながら、月単位、週単位で悪くなっていった。
8月末に主治医から、これ以上の治療は難しいので自宅療養・緩和ケアへ
という話があり退院。

自宅へ戻って14日目に緩和ケア科へ入院。
それから9日目に亡くなった。
病気が見つかって1年と数日。72歳だった。

悪くなっていく過程を見ていて、わりと冷静に覚悟していた。
どう考えても良くなる要素が一つもなかった。
取り乱さずに見送るため、踏ん張るしかなく。

亡くなる前日、これはもう亡くなるのだなと、明確にわかって。
父は、少し意識が戻った時、母の名前を言った。
「呼んだ」のではなく「言った」という感じ。
頭に刻み込まれた名前だったのだろう。
……そうか、そういうことか、と妙に納得した。

最後まで目を反らさずに父が亡くなっていく姿を見ようと思った。
私にできることはもう何もなくて、これは私の『学び』なのだと
思うしかなかった。

だけど、実際に亡くなってみたら覚悟も学びもあったもんじゃない。
ただ悲しくて悲しくて悲しくて。
自分と父の関わりを一つ一つ思い出し、吟味し、後悔し続けている。
突っ張ってばかりで本当に可愛げのない娘だった。
もっと優しく接したらよかった。

心の底でこんなに大事に思っていたことが伝わっていただろうか。
いや、自分でも気づかなかったのだ。
伝わってなんかいないだろうな。
してもらうばかりで、何も返すことができなかった。
どんなふうに考えても後悔ばかりだ。

通夜・葬儀と済んだが、まだ嘘みたいで。
今この時も父は実家でテレビを見ているような気がしてならない。
「おうっ、来たのか」って、もう言ってもらえないんだな。
悲しい。本当に悲しい。

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