旅行

2023-06-01 07:50:18 | その他
3月下旬のことなのでかなり前になってしまったが数年ぶりに旅行に出かけた。
娘の合格、卒業、入学祝いを兼ねたもので、昨年の11月頃から計画していた。
私は荒れた海に興奮するタチで、渦潮が見てみたい!と主張した。
夫が色々考えてくれて、渦潮と、ドラクエアトラクション、姫路城をまわる
プランになった。

渦潮、流れがぶつかり合う大迫力!すごかった。
夫が熟考の末選んだ観光船が最高で渦の中へ色んな方向から船を入れて
くれて目の前で渦潮を堪能した。
天気がイマイチかつ強風だったことで、更に荒海感が増して良かった。
ものすごく興奮した。死ぬまでにもう一度見たい。


ドラクエ好きにはたまらない、二次元のドラクエアトラクション。
大混雑で攻略までかなり時間がかかり、帰る頃にはすっかり夜に。
各所に置かれているモンスターのオブジェが可愛かったが、やっぱり
スライムがダントツの存在感だった。

そして姫路城。
こちらも激混みだったけど頑張って一番上まで行った。
真っ白で美しくて壮大。本当に素晴らしいお城で感動。
お城の下の広場が開放されていてのどかな雰囲気なのもよかったなあ。

娘もこのお城の素晴らしさに感激したようで携帯の待ち受け画面を姫路城に
している。
元々、娘の受験慰労とお祝い旅行だったのでUSJとかにする?と聞いたが、
このプランの方がいいと言ってくれて嬉しかった。


いつも読ませていただいている素敵なブログで、同じような角度から撮った
写真を見て嬉しくなった。
同じ景色を見たんだ~!と感慨深い。
本当に良い旅だったなあ。

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1月も終わりの方

2019-01-22 23:07:49 | その他
ぼやぼやしていたら1月も終わりに近づいてしまった。
昨年、娘がクリスマス会を開いて夫にバイオリンを聞かせたいと
言っていると書いたが、夫の耳鳴りによりプログラムが大幅に
縮小となった。
狭いところで大きい音を聞くとマズいとかで、練習室のドアを
開けた状態で廊下に夫が座って娘のソロ曲のみ上演。
色々準備していたのにね。
娘は大して気にしていなかったが、いやはや、って感じ。

耳鳴り。
夫はヘッドフォンを使い過ぎたせいと言っているが、私は頭を
使い過ぎているせいだと思う。
知らんけど、多分そう。
色々言いたいことはあるが、私のアドバイス的なことはわりと
一切聞かない人なので、うっすら無視している。
…仕方ないね。

娘はどんどん上達しており、先生と通じ合いながら音楽を作り
上げている。
練習もレッスンも、聞いていて常にうらやましく思う。
プロを目指すような子供のように上手、というわけではないが
音程の感覚が私と全く違うように感じる。
「微妙に合っていない」私。
「微妙に合っている」娘。
といったところか。
こういう感じ、わかる方はわかると思うのだが、どうだろう。

そんな娘の練習をみながら、色んな事を考えている。

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とりとめのない話17

2018-10-02 12:37:29 | その他

先日、父の葬儀の後に親戚で食事をした。
その際スマホで撮影した娘の発表会の動画を皆に見てもらった。
皆とても褒めてくれて、娘は超ご満悦。
帰宅後に娘から、
「私にバイオリンを弾かせてくれてありがとう」
みたいなことを言われた。
あまり付き合いのない大人から褒められて相当嬉しかったようだ。
やはり褒められるのってエネルギーになるんだな。
こういう経験てとても大事だなと思った。


その発表会で、3月に娘が弾いたザイツの曲を弾いた子がいたの
だが、ピアノ伴奏の先生が前奏でミスをした。
私が娘の伴奏でミスした部分と全く同じところ。
もちろんそんな大事故にはならなかったが。
プロでもミスするんだから私がミスしたのも仕方ない!よし!
と、一人で納得した。
まだ結構気に病んでいたんだ。本当は。


私はとても怖がりだが、オカルトとか怪談とか大好き。
いわゆる『霊感』みたいなものはないが、そういうことを信じて
いるというか、なんとなくあるだろうなと考えている。
(もしかしたらそうかな、という些細な経験はいくつかある)
だから、父が亡くなって何か起こるのではないかと思っていた。
亡くなる時間に知らされるとか、リアルすぎる夢を見るとか、
葬儀の際にチラチラ見えるとか、仕事場に影がよぎるとか。

……全然ない。

私よりもはるかにそういう感覚が強い母も、全くないと言う。
考えてみれば、父は明るく屈託なく、万事において深い執着の
ない人だった。
現世から解き放たれ、自由に快活に新しい道を進んでいるのだな。
いや結局、亡くなったら全く無になるのかもしれない。それもいい。
本当のところはぜーんぜんわからないが、そんなふうに想像して
わりと安堵している。

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9月20日

2018-09-26 21:52:58 | その他
以下、病気と死に関する話なのでお嫌な場合は回避してください。


父が亡くなった。
2017年9月に病気がみつかり闘病していた。

病名は肺癌で、わかった時すでに原発は7センチほどあった。
放射線治療の後キイトルーダという薬を使う予定でいたが、年明けに
脳転移がみつかり延期に。
こちらも放射線で治療し、紆余曲折を経て3月頃キイトルーダを使う
ことができた。
この薬が奏功して原発はかなり縮小し調子が良かった。
4月~5月頃はお酒も解禁になってわりと元気で仕事もしていた。

6月を過ぎてからだんだん悪い方向へ。
脳転移への治療の関係でキイトルーダが使えなくなり、他の抗がん剤を
試みたが効かず。
胸水が溜まったり、息が苦しくなったり、心臓も相当弱っており、色々な
症状が出ながら、月単位、週単位で悪くなっていった。
8月末に主治医から、これ以上の治療は難しいので自宅療養・緩和ケアへ
という話があり退院。

自宅へ戻って14日目に緩和ケア科へ入院。
それから9日目に亡くなった。
病気が見つかって1年と数日。72歳だった。

悪くなっていく過程を見ていて、わりと冷静に覚悟していた。
どう考えても良くなる要素が一つもなかった。
取り乱さずに見送るため、踏ん張るしかなく。

亡くなる前日、これはもう亡くなるのだなと、明確にわかって。
父は、少し意識が戻った時、母の名前を言った。
「呼んだ」のではなく「言った」という感じ。
頭に刻み込まれた名前だったのだろう。
……そうか、そういうことか、と妙に納得した。

最後まで目を反らさずに父が亡くなっていく姿を見ようと思った。
私にできることはもう何もなくて、これは私の『学び』なのだと
思うしかなかった。

だけど、実際に亡くなってみたら覚悟も学びもあったもんじゃない。
ただ悲しくて悲しくて悲しくて。
自分と父の関わりを一つ一つ思い出し、吟味し、後悔し続けている。
突っ張ってばかりで本当に可愛げのない娘だった。
もっと優しく接したらよかった。

心の底でこんなに大事に思っていたことが伝わっていただろうか。
いや、自分でも気づかなかったのだ。
伝わってなんかいないだろうな。
してもらうばかりで、何も返すことができなかった。
どんなふうに考えても後悔ばかりだ。

通夜・葬儀と済んだが、まだ嘘みたいで。
今この時も父は実家でテレビを見ているような気がしてならない。
「おうっ、来たのか」って、もう言ってもらえないんだな。
悲しい。本当に悲しい。

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