先日、散歩仲間3人とお墓の問題がテーマになった。
その1人の友人は鹿児島県の薩摩郡の出身、兄弟4人(男2人、女2人)の末っ子である。姉2人は青森と奈良に嫁ぎ、長男も友人も東京に出たから郷里は両親2人だけになった。長男の奥さんは子供2人を残し早くに亡くなってしまった。そのため、長男は東京に墓地を買いそこに奥さんを埋葬する。一方鹿児島の実家は母親が先に亡くなり、やがて父親も亡くなり、両親は鹿児島にある先祖代々のお墓に祀ってある。
長男家が管理すべきお墓が鹿児島と東京の2つになってしまった。本来なら郷里に身寄りがなく、お墓の管理が難しくなった時点で鹿児島の方を墓じまいし、東京のお墓と合祀するべきだったのであろう。しかし兄は郷土と縁を切るのが嫌だったのか、何もしないうちに亡くなってしまった。当然兄は妻が眠る東京の墓に埋葬される。兄には子供が2人(男1人、女1人)がいるが、彼らにとっては両親が葬られている東京のお墓が管理対象、縁の薄い鹿児島のお墓は放置され、やがて無縁仏になる運命になる。
残っている姉2人と末っ子の友人にとって、鹿児島の墓は両親が眠る墓である。どうすれば良いか?、兄弟で話し合って、一番動きやすい友人が墓じまいし、東京にある兄の墓とを合祀することになった。地元役場の改葬許可、地元での供養と抜魂式の手配、墓石の整理、東京のお墓への受け入れ証明、新しいお墓に埋葬する供養と入魂式、墓石への法名を彫ってもらうための手配、合祀の為の手続きと根回しは大変で、友人はウンザリした様子である。こんなに苦労して移しても長男の息子(甥っ子)は40歳を越すが子供がいない。従ってこの東京のお墓もいずれ無縁仏になってしまう可能性が高い。
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もう1人の友人T氏は宮崎県高千穂町の出身、兄弟は姉と2人、姉は地元の中学校の先生をして、入り婿を取って後を継いだ。T氏は東京に出て今は埼玉県に住んでいる。姉夫婦の2人の子供はどちらも女で既に大阪と東京に嫁いで子供もいる。姉の旦那さんは早くに亡くなり、姉も一昨年なくなった。姉は高千穂のお墓に入り、今高千穂には実家の家とそのお墓が残されている。
T氏夫婦には子供がいない。お姉さんが亡くなってからは、仕事をリタイヤしたこともあり、年に3~4回度は故郷に帰り、実家とお墓を管理している。彼の悩みも「故郷のお墓をどうするか?」、「自分たち夫婦はどうするか?」である。T氏が先に亡くなるとして、その時は妻はT氏を高千穂のお墓に葬ってくれるだろう。しかし、いずれ無縁仏になる墓の管理、その後どうするかの決断を妻に任せるわけいはいかない。さらに妻がなくなった時はどうするか?、そろそろ方向を出さなければいけないと思っている。
今、彼は高千穂の地元のお寺と相談しているそうである。今ある実家の墓(私有地)を墓じまいし、お寺で永代休養してもらう。その場合はどのような状態になるのか、そしてその費用は?、その条件が折り合えばそれが一番ベターだと思っている。そう決めておけば彼が亡くなった場合、妻はそのお寺に彼を葬ってくれるだろう。しかしその後妻自身はどうするのか?という問題が残る。千葉県出身の彼女にとって、関わりの薄い九州の山奥の村に葬られるより、親戚縁者がいて両親の眠る千葉の方が希望のようである。そうなると夫婦は別々になる。悩ましい問題でもある。
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我が家の場合は男3人兄弟、3人とも学校を卒業と同時に家を出た。残された両親は下関に住み続けたが、やがて老後の問題が深刻になってきた。そのため両親と我々息子3人が下関に集まり話し合う。その結果、末の弟が新潟に永住を決め家を建てるのに合わせ、父が資金を出して2所帯住宅を建て、新潟に移住することになった。その後お墓も下関から新潟の霊園に移し、今両親は新潟に眠っている。維持管理は末の弟がやっていて息子(甥)の代までは大丈夫である。しかし息子(甥)が独身でいるため、その先の継続は未知数である。
「さて我が家のお墓をどうするか?」、この問題は何時も私に付きまとっていて頭の中から離れることはない。今は子供たちは首都圏に住んでいる。しかし現代は生き方も多様化して流動性も激しく、家族が同じ地域に留まる保障はどこにもない。また少子化の中で昔のような家制度が継続することもありえない。そう考えると何百万もの費用をかけてお墓を作っても、それを継続して維持管理していくことに問題が残る。その問題は我々世代だけではなく、それを維持管理していく子供達世代の問題でもある。
多くの問題があることが分かっているのに、安易にお墓を作る気にはなれない。かといって、今よく取り上げられている散骨や樹木葬にするか?、しかしこれも少し極端な方法のように思えてくる。今は考えられる選択肢の中で、首都圏近郊に永代供養してくれるお寺か霊園を探し、そこと契約することが一番現実的な方法かもしれないと思っている。どちらにしてもあまり時間は残されてはいない。この問題は我々世代に突きつけられた深刻なテーマの一つなのだろう。もう少し具体的な検討を重ね、そろそろ結論をだしておかないといけないと思っている。