浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

歌謡曲で巡るヨーロッパの旅

2018年06月09日 23時49分29秒 | 音楽
歌謡曲を聴くのは大好きだが、中には世界の国々や都市や観光地をテーマにした歌謡曲に出会うことがある。日本でいえば、ご当地ソングともいえる曲だが、調べてみると世界各地を歌った曲もたくさんあることがわかる、海外旅行も大好きなので、世界各地の第一弾として、ヨーロッパをテーマにした歌謡曲を集めてみた。

あまり知られていない曲も多いが、皆が知っていそうな曲としては、ロンドン急行(井上陽水)、巴里にひとり(沢田研二)、ブルージュの鐘(松田聖子)、魅せられて(ジュディ・オング)、地中海の感傷(松任谷由実)、モンテカルロで乾杯・飛んでイスタンブール(庄野真代)等々。

自分のHPでは、そのような歌謡曲を50曲リストし、掲載している。YouTubeの連続再生でも約40曲を聴くこともできるようになっている。ヨーロッパは53ヵ国すべてに足を踏み入れているが、リストされた曲には、ヨーロッパの雰囲気を醸し出している曲や都市名・観光地名が出てきて懐かしくなる曲も多い。たまには、息抜きに日本の歌謡曲でヨーロッパを巡る旅に出かけてみてはいかかですか?

ヨーロッパを歌った歌謡曲50曲:

       http://romanflight.web.fc2.com/OngakudemeguruEUROPE.html

歌謡曲でめぐるヨーロッパの旅(YouTube連続再生):

       https://www.youtube.com/watch?v=xx4qCFoH49U&t=7s&list=PL6p6Jz3Qnb1IkD0x8gikWNpvhePvFz6mn&index=38
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空港・飛行機・航空関連の音楽がついに1000曲

2018年06月07日 10時24分38秒 | 音楽

 

会社に入って、仕事柄、空港や飛行機等航空関連の楽曲が耳に触れるようになったが、コレクションを始めて40年、ついに1000曲を超えた。

自分のホームページ上で、空港、飛行機、航空関連をテーマとした楽曲をリストアップしているが、日本の歌が約700曲、外国の歌が約300曲となっている。空港、エアポート、飛行機、フライト、最終便、夜間飛行等空港関連の楽曲をはじめ、少し解釈を拡大して飛行機雲、紙飛行機、グライダー、翼、飛行船、気球、海外旅行、航空会社CMソング、歌詞に空港関連用語が出てくる曲等も含まれている。調べているとこんなにも多くの曲があるのかとビックリするほどである。

空港をテーマにした楽曲は、別れとか寂しいイメージの曲が多く、意気揚々と旅行に出かけるような曲は少ない。音楽を聴いていて、空港・航空関連の用語が歌詞に出てくると懐かしい思い出が蘇る。

1000曲ともなると馴染みのない曲がほとんどかも知れないが、HP上では、自分の好みで比較的知られている曲100選のリストや各空港を歌った楽曲選も載せている。ネットで検索すると、このような楽曲をリストしているものもあるが、マニアックな趣味からか、1000曲もリストし、しかもその大半はYouTube等で音楽を聴けるようにしているのは自分のHPだけのようである。

興味のある方は暇な時に覗いてみてください。もし、リストされていない曲があれば追加するので教えてください。

  HP: 「浪漫飛行への誘い」

     http://romanflight.web.fc2.com/

 
  音楽シリーズ ⇒ 空港シリーズ (1) (2) (3)(4) (5)  各空港   


  100選: http://romanflight.web.fc2.com/KukoSeries100.html

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セントーサ島の思い出

2018年06月06日 11時30分10秒 | ニュース
6月12日に、史上初の米朝首脳会談がシンガポールのセントーサ島にあるカペラシンガポールという高級ホテルで開催されるというニュースが入ってきた。無事開催され、何らかの成果が得られることを切に願うところである。

セントーサ島には、1996年3月末に家族4人で旅行したが、あれから22年も経っているので、相当変貌していると思われる。ケーブルカーに乗って島に渡ったが、まだリゾート開発が進んでいる印象は全くなく、自然が残されていて、砦で戦車や大砲を見て回った記憶がある。ネットで見ていたら、2010年にユニバーサル・スタジオやカジノもオープンしているとのことである。今回の会談の会場となるカペラシンガポールというホテルはじめ、高級リゾートホテルが乱立しているようなので、当時の面影は全くないと思われる。

テレビの映像でセントーサ島の模様がいろいろ紹介されると思うが、その変貌ぶりを見るのも楽しみである。旅行というのは、実際にその場に行って、自分の目でその景色を見たという実体験から、何年経っても、その記憶は鮮明に蘇ってくる。特に、テレビ等で取り上げられると、あそこに行ったことがあるという親しみが沸いてくるのも、まさに旅行の楽しみの一つである。

シンガポールは大変綺麗な街であるが、一度行ったらそれで十分とも揶揄されることがある。しかし、リゾート化された今のシンガポールの映像を見ているともう一度行ってみたいという気持ちが沸いてきた。

写真は、セントーサ島ヘのケーブルカー(1996年当時)

夢のシンガポール:  https://www.youtube.com/watch?v=OSIt0dmJsSw
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走高跳の世界記録保持者

2018年06月04日 11時14分04秒 | スポーツ

 

普段、卓球の練習で地元にある総合体育館を利用しているが、エレベーター近くの壁に走高跳の中学記録、高校記録、日本記録。世界記録等の高さが保持者の名前とともに刻まれている。その高さを目の当たりにすると、こんな高いところを跳び越えるなんて想像もできないほどである。

特に、世界記録は、2m45で、キューバのJavier SOTOMAYOR(ハビエル・ソトマヨル)選手が1993年7月27日に記録したものである。身長も195㎝と高く、走高跳で8フィート以上を記録した唯一の選手であるが、その記録は25年もの間破られていないことを考えると超人的な記録ともいえる。

そのソトマヨル選手を直接見る機会が1999年2月にあった。前橋で世界室内陸上競技選手権が開催された時である。当時、キューバから走幅跳の世界のトップ選手のイバン・ペドロソという選手と一緒に参加していて、注目を浴びていた、たまたま、会場で両選手と話しをする機会があり、写真も一緒に撮ってもらった。世界記録保持者との写真は自分にとってお宝でもあるが、未だにその世界記録が破られていないので、そのすごさを再認識する次第である。エレベーターを利用するたびに当時を懐かしく思い出す今日この頃である。

写真は、ソトマヨル(左側)とペドロソ選手

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島倉千代子と「人生いろいろ」

2018年06月03日 09時26分28秒 | 音楽

島倉千代子は、1938年3月に品川宿で生まれた地元出身の有名な歌手であるが、惜しくも。2013年11月に亡くなられたのは誰もが知っていることだと思う。通った小学校も我が子と同じ学校であり、親しみを感じる。1955年に「この世の花」で歌手デビューし、「東京だヨおっ母さん(1957年」、「からたち日記(1958年)」を始め、数々のヒット曲を出しているが、最も印象的な曲は、「人生いろいろ(1987年)」である。小泉首相(当時)が言及したこともあって、知らない人は
いないと思う。

この名曲は、品川宿にある京浜急行の「青物横丁駅」の列車接近メロディーにも使われているので、駅を利用する時はよく耳にする。この曲の採用はアイデアとしても素晴らしい。歌詞も素晴らしく、まさに人生いろいろで、共感を覚える。

亡くなる前から、彼女は近くの東海寺の大山墓地にお墓を用意していた。この墓地には、たくわんで有名な沢庵和尚、国学者で有名な賀茂真淵、鉄道の父といわれる井上勝のお墓もあり、そこに彼女の墓が仲間入りしたのである。「こころ」の文字が印象的で、からたちの花も植えられているようである。実際、亡くなってすぐにこのお墓を訪ねてみたが、まだ納骨前だったので誰もいなかった。千代子ファンであるなら、是非一度お墓参りに訪れてみてください、


写真は、島倉千代子のお墓(2013 11/15撮影)



青物横丁駅の列車接近メロディー : https://www.youtube.com/watch?v=vkaoXJKxFhM


人生いろいろ: https://www.youtube.com/watch?v=oaPt6seJLFg

 

 

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ドイツ人のポン友

2018年06月03日 08時49分14秒 | 卓球
ポン友という言葉は今では死語になりつつあるように思えるが、その言葉がピッタリの35年来のドイツ人のポン友がいる。彼はルフトハンザのメカニックで、最初の出会いは、1983年5月に我がクラブチームと卓球の親善試合を行った時である。彼をリーダーとするに6名がフランクフルトから千葉で開催された世界卓球選手権に観戦に来たが、その折、彼らの日本支社を通じて、我が社との親善試合の申し入れがあったものである。

それから、2年後、今度は、こちらがフランクフルトに転勤することになり、再会が実現し、4年半の間、公私ともにお世話になることになった。彼の紹介で、彼の所属する地元のクラブチームに入ることになったが、その場所が我が家の前の大きな公園の端、歩いて5,6分のところにあった。彼の住まいも車で5,6分のところにあり、何度も我が家に遊びに来たり、先方にお邪魔することもあった。

卓球は、クライスリーガといって、ブンデスリーガのはるか下の方でレベルだが、1チーム6人で対外試合にも一緒に参加し、そのたびに飲み会もやっていた。練習場には、レストランもあるので、練習の後に、一杯やる機会も多くあった。

彼は、早期リタイア後、モーターバイクのツーリング関係の仕事をしていたが、フランクフルトの家を人に貸し、出身地でもあるドレスデン近くのグラウハウという田舎町に引越し、その後、再婚もしていた。2006年4月には、観光で来日し、1週間ほど我が家に泊まったこともあった。同じ年の7月には、今度はこちらが泊まりにいくことなり、ワルシャワやプラハへ旅行した際、車でプラハまで迎えにきてくれた。

その後、彼は離婚し、今度はハンガリーのドンボヴァールという田舎町に一人で移り住んでいたが、来訪の誘いを受け、2012年5月には、3泊させてもらった。世界遺産のペーチの街やバラトン湖にも車で案内してもらった。

フランクフルトには、2年に1回位のペースで訪問していたが、その度ごとに、彼もフランクフルトに来てくれて、レンタカーでライン川やモーゼル川やワイン街道にも連れて行ってくれた。彼は、まだ自宅を人に貸しており、旅行関係のメッセ(見本市)に合わせでフランクフルトによく来ているので、こちらもそれに合わせて旅行計画を立てていた。そのメッセが5月ということもあって、新緑の5月(ドイツでは一番いい季節)に行くことが多く、彼と再会し、いっしょにホワイトアスパラガスを食することが楽しみの一つでもあった。たまには、ラケットを持っていって、古巣の卓球クラブでプレイすることもあった。知り合ってからもう35年になるが、まさにポン友といえる友人である。

写真は、出会いとなった親善試合(1983年)
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東海道品川宿の魅力

2018年06月02日 09時29分46秒 | 交通
品川宿界隈に住み始めてから35年になる。当時、勤務地は羽田、本社が東京という環境の中で家探しをしていたが、辿り着いたのが品川宿界隈であった。最大の魅力は、足回り、それに江戸情緒と再開発地域の調和であった。当時、臨海副都心線(現りんかい線)の開通(1996年3月30日実現)、りんかい線と埼京線が大崎でドッキングする計画(天王洲アイル駅までの延伸は2001年3月31日、ドッキングは2002年12月1日に実現)や東海道新幹線の品川発着計画(2003年10月1日実現)もニュースになっていて、あらゆる情報を精査した上、品川宿界隈がベストであるとの結論に至った。

品川宿の足回りは、都心に近く、神奈川県、千葉県、埼玉県にも近く、羽田、成田にも近いので、日本各地、世界各地にも近く、新幹線で名古屋にも近いという文句なしの状況にある。ちなみに、
最寄駅(我が家から3分と7分の2駅)から、東京まで17分、銀座まで14分、新宿まで24分、大宮まで55分、横浜まで19分、お台場まで5分、ディズニーランドまで20分、羽田空港まで19分、成田空港まで1時間18分(車だと55分)、名古屋まで1時間53分(リニアだと45分)、大阪の空港まで1時間40分、千歳空港まで2時間10分といった具合である。

品川宿は、日本橋を出て、東海道五十三次の最初の宿場であり、我が家も旧東海道に面している。旧東海道は、歌川広重が浮世絵で紹介したように、どの宿も魅力があり、今でも当時の面影を残す魅力あふれる街道になっている。家の前の道を参勤交代の行列が通っていた当時を想像するだけでもワクワクする。道は狭いが、一方通行なので、車の通りも少なく、街道周辺には神社、仏閣もたくさんある。品川宿は、北の吉原に対し、南の品川(それで美南見ともいわれた)は遊郭街でもあった。落語(居残り佐平次や品川心中)や映画(幕末太陽傳)で有名な土蔵相模(相模屋という遊郭)もあった。江戸六地蔵やパリ万博に出展された鐘楼のある品川寺や昔五重塔も建っていた天妙国寺を始め、歴史ある名所、旧跡があり、江戸情緒が未だに色濃く残る界隈でもある。9月には宿場まつりも行われ、江戸風物を楽しむことができる。

一方、品川宿は、天王洲アイル、品川シーサイド、品川港南の高層ビル群など再開発された地域にも隣接しており、まさに近代と江戸時代が微妙にバランスされた雰囲気を持っているのが魅力の一つとなっている。週末になるとウォーキングで旧東海道を巡っている人をよく見かける。江戸情緒があるので、テレビでのロケ取材も多い。あまりにも便利な地域に住んでいるので、他の地域への引越しは全く考えられない。

写真は、歌川広重の描いた品川宿(1833年頃)
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「春の砂漠]TVロケ

2018年06月01日 09時43分37秒 | TV番組
1988年に成田=フランクフルトに直行便が就航したが、その記念行事の一環として、「春の砂漠」というテレビドラマ制作のスポンサーとなって、フランクフルトでのロケに全面協力した。原作は、平岩弓枝さんの小説で、1988年4月から7月にかけて、日本テレビ系列でテレビドラマ化された。

ロケ隊は1週間近くフランクフルトに滞在し、その間、ずうっとお世話することになった。女優は、名取裕子さん、檀ふみさん、国生さゆりさんの3人で、監督として深町幸男さんも一緒であった。女優さんも有名であったが、深町監督もNHKドラマを代表する演出家として有名な方であったので、女優陣は皆嬉しいと言っていた。滞在中、空港やギフトショップでの撮影に立ち合ったり、食事も何回かご一緒させていただいた。

当時、おニャン子クラブで若者に人気のあった国生さゆりさんがフランクフルトに来るという情報を日本人学校の生徒達が嗅ぎ付け、父兄の方から、子供達が騒いでいるので、サイン会か何かをやってほしいという要望があった。急遽、本人の了承を得て、支店のカウンターでサイン会を開いたが、一緒に写真を撮ったり、皆から大変感謝された。

撮影も順調に進んでいったが、折角芸能人がフランクフルトに来ているので、ロケの打ち上げと称して、駐在している日本企業のトップの方達をパーティに招待できないかというアイデアが浮かび、芸能人の方々に相談したところ、快く了解していただいた。マネジャーも同行していたし、通常だと芸能人を招いたりしたら、金銭が絡むことになってしまうが、今回は、あくまで打ち上げパーティに地元の企業の人も一部ジョインするということでうまく話しがまとまった。カウンター前の広々とした空間スペースで立食のパーティを行い、慰労と懇親を深めた。招待した企業トップの方々には芸能人とのツーショット写真を撮ってあげたこともあって、大変感謝され、セールス促進の効果も抜群であった。日本にいたら、芸能人と一緒に食事をしたりすることなどありえないが、おかげさまで大変貴重な経験をさせていただいたと感謝している。

写真は、打上げパーティにて
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