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北マケドニア共和国に国名変更?

2018年06月18日 22時52分07秒 | ニュース


6月17日、ギリシャとマケドニアの両国首脳は、マケドニアの新国名を「北マケドニア」とする合意案に調印した。」というニュースが報じられた。

マケドニアは1991年に旧ユーゴスラビアから独立して国名を「マケドニア共和国」とし、93年の国連加盟で「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」と登録したが、ギリシャは、紀元前4世紀に活躍したアレキサンダー大王の出身地「マケドニア地方」が国内にあり、「マケドニアはギリシャの地名」と反発していたそうである。

27年間もギリシャとマケドニアの間で国名論争があったことは、全く知らなかったが、合意文書に調印したものの、両国とも合意に対する反発が出ていて、今後の議会や国民投票で支持が得られるかが焦点になっているという。

マケドニアには、2009年5月20〜22日に63か国目として訪問した。ブルガリアのソフィアから長距離バスを利用して、首都のスコピエに2泊3日の小旅行をしたものである。

当時の日記(一部修正)によると、

「時差が1時間あるのに、ビックリ。国境では、出国、税関、入国、税関の4ステップが必要で、そこだけで2時間弱かかった。たいして厳しい検問をしているわけでもないのに、嫌になるほど時間がかかるのは、何とかしてほしいものである。21日は、スコピエの街を1日観光して歩いた。1963年の大地震で倒壊した旧鉄道駅(今はスコピエ博物館に利用)から始め、石橋を渡って、オールドバザールや城塞までぶらついた。何と城塞では、200人以上の人が城内の発掘作業をやっていた。学生もいるようだが、仕事でやっている人も多いようである。今だに、土器や当時の物が出てくるというからすごい。さすが、歴史の教科書に出てくるマケドニアという名前の面目躍如といった感じ。オスマントルコの影響からか、ヨーロッパとイスラム世界が入り混じったような感じの街であった。また、午後に、山の中腹にある聖パンテレイモン修道院にタクシーをチャーターーして行ってきたが、12世紀のフレスコ画が壁と天井全面に描かれ、そのまま現存していて、予想以上に感動的であった。12世紀のオリジナルという点では、世界遺産であるリラの僧院よりはるかに価値があるのではないかと感じた。そこからのスコピエの街の眺望も大変素晴らしいものがあった。ついでながら、マケドニア出身の有名人にマザーテレサ女史がいて、街には彼女の像がある。」

当時は国名論争があることなど全く知らないまま、旅行していたが、日本人があまり行かない国なので、十分な情報を持っていなかったのかも知れない。国名論争のニュースを見て、急にマケドニア旅行のことが懐かしく思い出された。


写真は、スコピエの石橋  









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