5月8日のNHKEテレ「3か月でマスターする世界史」は、第6回として、「モンゴル拡大 東西の統一」についての講座が放送された。この講座は、中味が濃いので、テキストがない場合、内容を理解するためには、ビデオで録画し、何回か見る必要がある。今回は、14日にメモを取りながらビデオで見た。第6回では、モンゴル高原に「なぜ空前の大帝国が実現できたのか?」について、下記の5つの大きなポイントがあるとして、歴史的背景を詳しく解説してくれた。
1 強力な指導者
テムジン(後のチンギス・カン)という強力な指導者が現われ、1206年にモンゴル高原を統一して、大モンゴル国を建設。
2 中央集権体制
千戸集団という軍事兼行政組織を編成し、中央集権体制を確立。
3 情報戦に長けていた
ウィグルやムスリム、知識人や職人の知恵をうまく活用し、情報戦をうまく展開。
4 適材適所の人材活用
1235年、オゴデイ(チンギス・カンの子供)が遊牧国家の拠点としてオルホン渓谷のカラコルムに首都を建設。人材と物資を受け入れる体制を整え交易の一大拠点とし、ジャムチ(駅伝制度)も整備。商人はじめ多彩な人を歓迎し、安全に行き来できる仕組みを構築。政権中枢に、ウィグル、ムスリム、商人を財務官僚として抜擢し、適材適所を実践。遊牧地域と農耕地域の両方を支配。西側では、ワールシュタットの戦い(1241年)でドイツ・ポーランド連合軍を撃破。
5 相手の心をつかむ戦略
手こずっていた南宋を制覇するため、クビライ(第5代カン)は、1267年に首都をカラコルムから大都(今の北京)に移し、中華王朝の装いを整えるため、国名を「元」とした。1279年に南宋を征服し、モンゴル帝国を完成させ、遊牧世界と農耕定住世界の歴史がひとつの集大成を迎えた。
今回の講座でモンゴルとウィグル、モンゴルと中国の関係がよくわかり、なぜ中国の首都北京が北部地域にあるかもわかった。モンゴルというとチンギス・カン(ジンギスカン)の名前しか出てこないが、そういえば、世祖クビライの名前や「元寇」(蒙古襲来)なんていう日本との戦いも歴史で習ったことを思い出した。そんなモンゴルに旅行したのは、2018年7月のことで5泊6日で、首都ウランバートルとチンギス・カンの巨大騎馬像があるテレルジを訪問し、年1回の国をあげてのお祭りである「ナーダム」を観覧することもできた。お祭りの一環として、モンゴル相撲や草原を走る子供競馬も見学することができた。モンゴル創設のチンギス・カンの像は、市中心部のスフバートル広場にあるし、テレルジにある高さ40mもある巨大騎馬像も見応えがあった。モンゴルを旅行する人はそんなに多くないと思うが、モンゴル帝国や中国の歴史を考えるには欠かせない旅行先であることに違いない。
モンゴル旅行(2018年 16分): https://www.youtube.com/watch?v=YUXSOrwBp2Y
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