浪漫飛行への誘(いざな)い

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ウズベキスタン旅行の思い出

2021年10月01日 17時29分17秒 | 旅行
 
ここ1年以上コロナ禍で海外旅行は夢のまた夢と化しており、海外旅行に出かける人はほとんどいなくなってしまった。こういう時はテレビの旅行番組で妄想旅行するか今までの旅行を思い出して振り返るくらいしか楽しみがないといえる。幸い、テレビではBS放送で旅行番組が多くあるので、楽しみにしているが、過去の旅行を少し振り返ってみたい。皆が旅行であまり行くことがない中央アジアのウズベキスタン、カザフスタン、キルギスへの旅行記を振り返ってみたい。
 
まずは、2014年4月のウズベキスタン旅行。
 
2014年4月3日、午前3時頃、エルサレムからイスタンブール経由でウズベキスタンの首都タシュケントに到着した。これで、ウズベキスタンが97か国目の訪問国となった。予定が1日早まったことで、当初の予定を変更し、ブハラという世界遺産の町に2泊、サマルカンドに2泊することにした。従って、急遽、ブハラまでは飛行機、ブハラ→サマルカンド→タシュケントは、高速鉄道の切符を悪銭苦闘しながら手配した。

 新市街にあるホテルの周辺を散策したタシュケントの街の印象は、道路がとにかく広いこと建物が単調で無機質であること、英語の案内がほとんどないこと、人があまり外を歩いていないこと、観光客もほとんどいないこと、お店やレストランがほとんど見当たらないこと等、旧ソ連時代の名残りが強く残っている印象であった。
 
5日は午前中に旅行会社に行ってブハラ行の航空券を買い、その足でタシュケント駅に行って、2枚の鉄道切符を買ったが、航空券は安く買えたものの、出発の空港ターミナルを間違えて案内され、翌日早朝に大変な思いをした。ターミナル2を案内されたが、実際は2-3㎞離れたターミナル3で、早めに行ったから何とかなったが、タクシーを2回使う羽目になった。

6日は、早朝にブハラに着き、前日に急遽予約を入れたホテルにチェックインしたが、そこは、200年前のサライの建物をホテルに改装した歴史感あふれるホテルで、雰囲気は抜群であった。値段も1泊朝食付きで35ドルであった。チェックイン後、すぐに旧市街の観光に出かけたが、ブハラの旧市街は世界遺産に登録されているだけあって、見どころがいっぱいで、ガイドブック片手に全部で15か所位の名所旧跡を見て回った。ブハラのシンボルであるカラーン・ミナレットをはじめ、古いものがそのまま残っている建造物も多く、中世の雰囲気を色濃く残す町並みの中の散策は感慨深いものがある。急遽旅程を変更して、この町を訪れたのは大正解であった。

 
7日は、郊外にあるスイトライ・マヒ・ホサ宮殿まで足を延ばし、見て回った。8日はブハラからサマルカンドまで鉄道を利用したが、予想外のことがいろいろあった。まず、切符は前日までに買わなければならないようであった。また、鉄道の駅にも簡単に入れるものと思っていたが、切符を持っていないと駄目なようで、入口で厳重な手荷物検査も行われていた。駅の写真も列車の写真も撮影不可と断られた。2等席であったが、車内は十分綺麗で、一つの客車に4つのフラットモニターが付いていて、DVDらしきドラマが放映されていた。

サマルカンド駅に到着すると予想通り、タクシーの客引きがたむろしていたが、逃げるようにして振り払い、何とかバス乗場に行くことができた。日本語で話かけてくる人もいるので、何となく怖い感じである。タクシー利用は、いつも緊張感を持っていないと危ない目にあう恐れがあるので、初めての空港や駅ではなるべく利用しないようにしている。しかし、タクシー以外の公共交通機関を利用するのも至難の業である。今回は、路線バスが市内のどこを通るかの情報を全く持たないで、ガイドブックに載っていたバスの番号を頼りに市内方面に行くと思われるバスに飛び乗ったが、ホテルから少し離れたところしか行かず、バス停から15分ほど歩く羽目になった。

サマルカンドは日本人なら誰もが世界史の授業等で知っている有名な都市であるが、世界遺産に登録されているだけあって、見どころも多い。ブハラほどコンパクトに史跡が集中していないので、歩いて回るとなるとかなり辛いものがある。14世紀にティムール帝国を築いたアミール・ティムールに関連する名所・旧跡が中心で、「青の都」とか「イスラム世界の宝石」とか言われているように、青い色をした様々なモスクやメドレセ(神学校)や廟などの見どころが街に点在している。それでも主な見どころは1日もあればほとんど見て回れる感じであり、9日は一日かけてガイドブック掲載のほとんど全てを見て回ることができた。

10日は夕方1700発のアフラシャブ号という特急列車でタシュケントに戻った。新幹線ほどの快適さはないが、乗務員が乗っていて、サンドイッチの無料サービスもあった。そんなことは知らずに、この移動中に夕食を食べる計画を立てていたので、用意しておいた非常食用の五目ごはんと熱いお茶で夕食を取ることにした。座席のところに電源があったので、持っていた湯沸しポットでお湯を沸かし、お茶を入れて、海外での列車の旅とは思えないほど日本情緒たっぷりの夕食となった。ウズベキスタンは、歴史的史跡も多く、異国情緒たっぷりで、観光地として魅力あふれる国であるので、一度は行ってみたい国である。

 写真は、カラーン・ミナレット
 
ウズベキスタン旅行アルバム: https://youtu.be/teDAeM9r6fQ
 

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