浪漫飛行への誘(いざな)い

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服部良一と笠置シヅ子〜のり子・はま子…女王たちの時代〜

2024年03月11日 05時55分12秒 | 音楽

 

3月10日のBSテレ東で、今NHKの朝ドラ「ブギウギ」で話題となっている服部良一と笠置シヅ子とに焦点を当てた特別番組があった。二人が出会う前に、服部氏にはドラマにも出てくる淡谷のり子との出会いがあり、昭和12年の「別れのブルース」を始め、数多くのブルースを作曲し、彼女は「ブルースの女王」と呼ばれるようになった。慰問にもノーギャラで「別れのブルース」を歌っていたという。

また、服部氏は昭和13年に中国慰問団に参加し、慰問先で渡辺はま子と出会い、中国の風景に心を奪われ、チャイナメロディを作曲。その一つが「蘇州夜曲」(昭和15年)で、李香蘭(山口淑子)と「長谷川一夫が」共演した「志那の夜」の副主題歌となって、渡辺はま子が歌った。作詞は西條八十さんであるが、28年前に蘇州を訪れたことがあるので、親近感がある。服部氏本人が一番好きな曲だという。彼女は、積極的に慰問に参加していたようである。

笠置シヅ子は幼少の頃から歌と踊りが大好きで大阪松竹楽劇部に入り、その後昭和13年に上京、松竹楽劇団旗揚げ公演で服部氏と出会う。彼は当初、シヅ子にいい印象はなかったがステージを見て才能に惚れ込む。その後、名曲「ラッパと娘」が誕生、ジャズ歌手としてデビューするも、戦時中ゆえ、当局の指導によりたびたびの公演中止を余儀なくされたという。個人的には、あまりよく知らなかった曲だが、朝ドラ「ブギウギ」で何度も聴くことになり親しみを覚えていた。番組では当時の実際の映像も初めて見ることができた。

服部氏は戦死したシヅ子の弟に捧げた「大空の弟」を作曲。その後、吉本興業の御曹司と結婚するが、昭和22年に死に別れ、失意のどん底の中で歌ったのが「東京ブギウギ」(昭和23年)で、爆発的ヒット曲となった。その後、シヅ子は「買物ブギー」(昭和25年)や黒澤映画の主題歌「ジャングルブギー」などヒットを連発し、ブギの女王と呼ばれるようになった。タイムリーな特別番組で、朝ドラがますます楽しみになってきた。服部氏は、青春ソング「青い山脈」や皆を元気づけた「銀座カンカン娘」など昭和歌謡の黎明期にいち早くジャズとポップスを融合した西洋の新しいメロディーを取り入れ、数々の名曲を作り上げたまさに昭和歌謡史を支えた第一人者といえる。

 

「ラッパと娘」: https://www.youtube.com/watch?v=Lto7CLt6Txs

「東京ブギウギ」: https://www.youtube.com/watch?v=9-exu6mzKLE

「蘇州夜曲」: https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=siK56nFQyzA

「別れのブルース」: https://www.youtube.com/watch?v=d3wPTUQk3EE

 

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