エルサレムからイスタンブールに予定より1日早く戻ったが、そのまま空港での乗継がうまく行き、予定より1日早く、3日の午前3時頃、ウズベキスタンの首都タシュケントに到着した。これで、ウズベキスタンが97か国目の訪問国となり、100か国まであと3か国となった。
当初ウズベキスタンのビザが予定に従い4月4日から11日まで有効となっていたが、これはトラブルの元で危ないと直感が働き、ビザを4月1日から30日まで有効なものに取り直していたが、そうしてなければ、1日前倒しで入国することは不可能であったのだから、結果的には大正解であった。
予定が1日早まったことで、ホテルの再調整が必要となり、4日から3泊予定のウズベキスタンホテルに交渉し、同じ料金で1日前倒しすることができた。4泊するほどの見どころはないので、3泊で切り上げ、全く予定になかったブハラという世界遺産の町に2泊、サマルカンドを3泊から2泊に変更すべく、旅程を再調整中である。
ブハラまでは飛行機、ブハラ→サマルカンド→タシュケントは、高速鉄道に乗るべく、今から切符の手配をしなければならないが、街に英語の案内がほとんどないこと、また、英語がほとんど通じないことから、悪戦苦闘が予測される。
また、空港でウズベキスタンの通貨スムに50米ドル(円は両替不可)を両替したが、インフレなのか、1000スム紙幣が100枚、500スム紙幣が30枚にもなり、とても財布に入れることができるような代物ではかった。皆、どうやってお札をしまっているのか調べたいほどである。たった、50米ドルだけでも厚さが2センチ近くになるのだから、100米ドルも両替したら、背広の胸ポケットにも入らないのではないかと思われる。昔インフレで貨幣価値が下がったヨーゴスラビアの大量なお札を思い出してしまった。
新市街にあるホテルの周辺を散策したタシュケントの街の印象は、道路がとにかく広いこと建物が単調で無機質であること、英語の案内がほとんどないこと、人があまり外を歩いていないこと、観光客もほとんどいないこと、お店やレストランがほとんど見当たらないこと等、旧ソ連時代の名残りが強く残っている印象であった。明日、旧市街に行ったらまた印象が違うのかも知れないが、こんな町では、2,3日もいたら嫌になりそうな感じであった。
今日4月1日はエルサレムからバスで45分ほど行ったパレスチナ自治区にあるイエス・キリストが生まれたベツレヘムという町に行った。
これで、パレスチナが96番目の訪問国・地域となった。バス料金は8シェケル(約240円)で、行きはパスポートのチェックもなく、帰りのみパスポートのチェックが車内であったが、荷物の検査もなく、治安上の心配も全くなかった。
スポーツの世界では、イスラエルはヨーロッパに属しているが、パレスチナはアジアに属していることに疑問を感じていたが、行ってみてよくわかったのは、ベツレヘムは、イエス生誕の地であるが、今ではアラブ人の町でイスラム色が強く、まさにヨーロッパではなくアジアの一部というかイスラム社会の町で、聖書にも出てくる地名のイメージとは違和感があった。
街の中心にあるのは、イエスが生まれたとされる聖誕教会で、教会の地下洞窟の中にはイエスが生まれたとされる場所に銀の星の形がはめ込まれている。真偽のほどはよくわからないが、そうだと伝え続けられているものを目の前にすると感慨深いものがある。
2年前にネパールのルンビニというところで、お釈迦様の生まれた場所にも行ってきたので、これで仏教とキリスト教の2大生誕地に行ったことになる。ベツレヘムといっても他にはあまり見るべきものもなく、イスラムの町からか町全体もあまりきれいではないので、キリスト教世界のベツレヘムのイメージをこわしそうである。
エルサレムに戻ってからムスリム地区に行こうと思ったが、金色の岩のドーム他、信者以外には入れないものがほとんどのため、諦めてスークを歩き回り、今日も万歩計は23000歩にもなっていた。
明日はホテルをテルアビブに移し、テルアビブの町を観光予定であるが、イスタンブールに戻る飛行機がものすごく混んでおり、また、タシュケント行きも連日混んでいるようなので、旅行の予定が大幅に狂いそうである。
写真は、イエス生誕の地
朝8時半頃から行動を開始し、夕方17時頃まで一日中歩き通しであったので、万歩計の数値は、33000歩を越えた。
地球の歩き方の本を片手にキリスト教地区から始め、シオンの丘にあるダビデ王の墓、最後の晩餐の部屋、マリア永眠教会、イエスが投獄されていた鶏鳴教会、オリーブ山にあるイエスが昇天した昇天教会、主の祈りの教会、主の泣かれた教会、イエスが祈り、捕えられたゲッセマネの園、マリア昇天の場所と謂われるマリアの墓の教会を見て回った後、イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道であるヴィア・ドロローサを最終地点の聖墳墓教会までイエスをイメージしながら歩き通した。
聖墳墓教会はキリスト教最大の巡礼地で、イエスの十字架が建てられた所、十字架から降ろされた畳ほどの大理石版、イエスのお墓等があり、いつも礼拝者で溢れかえっている。イエスの墓はいつ行っても長蛇の列ができていたが、思い切って45分ほど並んで見ることができた。
実際にイエスとマリアに関連するスポットを次から次へと見て回ると歴史をタイムスリップしたような不思議な気分になる。今までに教会やイエスにまつわるものはいろいろ見てきたが、エルサレムはまさに本場なので感動が全く違うのである。
キリスト教地区の後は、ユダヤ民族の心の故郷である「嘆きの壁」に足を運んだ。テレビでは何回か見たことがあったが、ついに本物に出会うことができ、感動ものである。男性と女性の祈りの場所が分けられているが、最初あまり意識がなく、女性の方に間違って入ってしまったが、誰からも注意はなく、危なく女性の方の壁に行くところであった。
嘆きの壁の後は、ユダヤ人地区にあるカルド(世界最古の繁華街)や4つのシナゴーグを見学したが、この地区にはいろいろな遺跡が多数残っているようで、あちこちで遺跡が掘り返されている。
最後の締めくくりは、ホテルの目の前にある「ダビデの塔」を見学
イスタンブールの乗継で予定より1便早い飛行機に間に合ったので、テルアビブ空港に早朝に着き、そこからシェルート(乗合タクシー)で約50分でヤッフォ門に到着。ホテルは、ヤッフォ門にあるニュー・インペリアルという100年以上前から営業しているという老舗のホテルでドイツ皇帝のヴェルヘルム2世も宿泊したそうである。
また、セルマ・ラーゲルレーヴというスウェーデンの女性作家(『ニルスのふしぎな旅』の作者で、ノーベル文学賞を受賞)が1900年にこのホテルに宿泊したということで、スウェーデンからの観光客は必ずホテルに見学に来るそうである。彼女はスウェーデンでは超有名人のようで現行の20スウェーデン・クローナ紙幣に肖像画が描かれているとのこと。チェックインの時に、ホテルに観光客の団体が入って来たので、フロントに訊いたら、スウェーデンからの観光客で事実関係がわかったのである。
そんな由緒あるホテルであることは全く知らずに、ロケーションと値段(1シングル朝食付で70ドル)から選んで予約したものであるが、3星クラスではあるが、建物や内装も雰囲気があるので、このホテルにして正解であったかもしれない。
ホテルに早く着きすぎて、チェックインは1時以降になると言われたため、レセプションでもらったパンフレットにあった約2時間のフリーのウォーキングツアーに入った。ホテルのすぐそばから出発する英語による無料のガイドツアーで、オリエンテーションとしてはうってつけでチェックインまでの時間を有効に使うことができた。1日に3回もやっているとのことで、どうして無料なのかよくわからないが、ガイドはチップだけが収入なのかちょっと心配にもなった。
明日は、旧市街を1日中歩き回って、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の原点を少しでも勉強したい。イエスが十字架を背負って歩いた道やイエスの墓からユダヤ人の聖地である嘆きの壁まで、とにかく魅力あるスポットが目白押しなので、大変楽しみである。
*52とは、国際陸連加盟の国・地域(50)にバチカン市国と北キプロスを加えたものを採用