11月8日(金)日置で野菜に水やりの後、串木野の海辺を巡りました。
いちき串木野市西島平町 照島で猫に会う 以下の画像は11月8日に撮影
何十年ぶりに訪れた照島には公園と駐車場が整備され、ヨットハーバーもありビックリ。島に渡る朱色の太鼓橋のたもとに小さい石板があり、「電源立地促進対策交付金施設」の文字。ここは川内原発の隣接市だと実感しました。
島の端にある男池(おぶち)を眺めているといつの間にか猫がやってきました。全部で5~6匹ほど、人に慣れているようですが餌をねだるでもなく近くの飼猫が島に遊びに来たのでしょうか。
神社の賽銭箱は社殿内に
賽銭箱を探すと中に置かれていました。特別な行事以外は無人のため、保安対策のようです。境内には伊勢神宮遥拝所と刻まれた石が残っています。
岩と石の隙間にわずかな土
照島は小さな島で北側には防波堤が伸びています。雑木が岩の隙間のわずかな土に根をくねらせています。パワースポットとしても人気があるようです。
古い防波堤が残っていた 右奥はヨットハーバー「串木野フィッシャリーナ」
ここは旧島平港、日露戦争後の甑島航路発祥地とのこと。公園内に案内看板と船をつないでいた石がありました。この堤防もかなり古いもののようです。
潮が満ち始めた
弱い北西風ですがここは島陰。ゆったりとした波が静かに砂地をなでるように打ち寄せていました。
ここは串木野長崎鼻灯台
照島から北側の長崎鼻に移動しました。柳原白蓮の歌碑横に趣のある枯木が残っていました。日差しにきらめく海が美しい。快晴ですが見晴らしは悪く、南さつま市の金峰山、野間岳などはかすかに輪郭が判る程度でした。
釣場を見定める釣人 左奥は羽島の沖ノ島
こちらは岩場の釣人
瀬渡船「開洋丸」鎮魂之碑 石碑後ろに置かれた恵比須さん
磯釣りブームが過熱していた昭和60年3月31日に起きた大きな海難事故でした。石碑には串木野から甑島に向かっていた瀬渡船開洋丸(6.7総トン)が来襲した非情の風波により転覆し、死者13名、行方不明14名、全員が帰らぬ人となったと刻まれています。
鎮魂之碑の歌「釣る友よ 磯馴の松も 呼んでいる 愁えは深し 甑の海は」。石碑の裏に回ると恵比須さんと思われる瓦のようなものが置かれていました。関係者ならば表に置くはずなので、悲劇を知る人がそっと手向けたのでしょうか。
桜島の噴煙 高さ5500m
串木野から帰り道、国道3号中川峠を過ぎたバス停で空を見上げる人がいました。普段は見えない位置に桜島の噴煙が上がり続けるところでした。
鹿児島市都市農業センターに向かい撮影しましたが、噴煙柱はすでに傾いていました。爆発17時24分、日没時刻17時24分、撮影したのは17時32分。爆発直後は夕日に照らされて不気味な色合いでした。
このところ桜島では噴火活動が目立っていますが、鹿児島市街地では日常生活に影響を与えるほどではありません。風向き次第で火山灰が降って来るので、毎朝桜島上空の風向きが気になります。
いちき串木野市西島平町 照島で猫に会う 以下の画像は11月8日に撮影
何十年ぶりに訪れた照島には公園と駐車場が整備され、ヨットハーバーもありビックリ。島に渡る朱色の太鼓橋のたもとに小さい石板があり、「電源立地促進対策交付金施設」の文字。ここは川内原発の隣接市だと実感しました。
島の端にある男池(おぶち)を眺めているといつの間にか猫がやってきました。全部で5~6匹ほど、人に慣れているようですが餌をねだるでもなく近くの飼猫が島に遊びに来たのでしょうか。
神社の賽銭箱は社殿内に
賽銭箱を探すと中に置かれていました。特別な行事以外は無人のため、保安対策のようです。境内には伊勢神宮遥拝所と刻まれた石が残っています。
岩と石の隙間にわずかな土
照島は小さな島で北側には防波堤が伸びています。雑木が岩の隙間のわずかな土に根をくねらせています。パワースポットとしても人気があるようです。
古い防波堤が残っていた 右奥はヨットハーバー「串木野フィッシャリーナ」
ここは旧島平港、日露戦争後の甑島航路発祥地とのこと。公園内に案内看板と船をつないでいた石がありました。この堤防もかなり古いもののようです。
潮が満ち始めた
弱い北西風ですがここは島陰。ゆったりとした波が静かに砂地をなでるように打ち寄せていました。
ここは串木野長崎鼻灯台
照島から北側の長崎鼻に移動しました。柳原白蓮の歌碑横に趣のある枯木が残っていました。日差しにきらめく海が美しい。快晴ですが見晴らしは悪く、南さつま市の金峰山、野間岳などはかすかに輪郭が判る程度でした。
釣場を見定める釣人 左奥は羽島の沖ノ島
こちらは岩場の釣人
瀬渡船「開洋丸」鎮魂之碑 石碑後ろに置かれた恵比須さん
磯釣りブームが過熱していた昭和60年3月31日に起きた大きな海難事故でした。石碑には串木野から甑島に向かっていた瀬渡船開洋丸(6.7総トン)が来襲した非情の風波により転覆し、死者13名、行方不明14名、全員が帰らぬ人となったと刻まれています。
鎮魂之碑の歌「釣る友よ 磯馴の松も 呼んでいる 愁えは深し 甑の海は」。石碑の裏に回ると恵比須さんと思われる瓦のようなものが置かれていました。関係者ならば表に置くはずなので、悲劇を知る人がそっと手向けたのでしょうか。
桜島の噴煙 高さ5500m
串木野から帰り道、国道3号中川峠を過ぎたバス停で空を見上げる人がいました。普段は見えない位置に桜島の噴煙が上がり続けるところでした。
鹿児島市都市農業センターに向かい撮影しましたが、噴煙柱はすでに傾いていました。爆発17時24分、日没時刻17時24分、撮影したのは17時32分。爆発直後は夕日に照らされて不気味な色合いでした。
このところ桜島では噴火活動が目立っていますが、鹿児島市街地では日常生活に影響を与えるほどではありません。風向き次第で火山灰が降って来るので、毎朝桜島上空の風向きが気になります。