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精矛(くわしほこ)神社での加治木太鼓踊り続編を以下のとおり掲載します。
16日の天気予報は曇り時々雨でしたが、未明に雨が止んで日差しが和らぎ幸いなことでした。
小山田保存会 衣装を調える
小山田保存会 精矛神社での奉納風景
境内を後にする小山田保存会
仮屋馬場へ移動する小山田保存会
伝統芸能の継承には鹿児島県内どこの団体も大変苦労されています。特に真夏の踊りは小学生や幼児には大変な負担で、親御さんがつきっきりでした。青壮年男子だけの踊りが最近は少なくなり、女性や小中学生の参加が増えています。
踊り子さんの確保だけでなく長期間の練習、衣装や道具などの維持管理費も多大な負担だと思います。様々な困難を乗り越えて伝統芸能を継承されている保存会の方々に深く敬意を表するものです。
精矛神社社殿
雨上がりの日差しが出てきました
神社額は公爵近衛篤麿の揮毫
精矛(くわしほこ)神社の御祭神は島津義弘公です。天下分け目の関ヶ原の戦いで適中突破した「島津の退き口」で知られ、「鬼島津」と恐れられた勇猛な戦国武将です。管理に訪れた方の話では、旧社格は県社で氏子のいない神社とのこと。何箇所も管理しているので、夏場は境内の草刈だけでも大変だと話されていました。
近衛篤麿は1863年(文久3年)旧暦6月26日、左大臣・近衛忠房と島津斉彬娘(実は養女)・貞姫の長男として京都に生まれています。戦前の首相近衛文麿の父であり、細川元首相の曽祖父にあたります。
脇社と経塚など
朝鮮から持ち帰った石臼
朝鮮出兵の帰りに船を安定させるため積み込んだとされる石臼と手洗鉢(ちょうずばち)が残っています。
境内右手にある国士之碑
碑文
神社階段横にある立派な石碑です。小さな文字で個人の業績などが書かれています。よく探せば案内文などがあるかと思いますが、見当たりませんでした。島津家の後継藩主をめぐる、「お由良騒動」では斉彬公側で尽力した人物のようです。
精矛(くわしほこ)神社での加治木太鼓踊り続編を以下のとおり掲載します。
16日の天気予報は曇り時々雨でしたが、未明に雨が止んで日差しが和らぎ幸いなことでした。
小山田保存会 衣装を調える
小山田保存会 精矛神社での奉納風景
境内を後にする小山田保存会
仮屋馬場へ移動する小山田保存会
伝統芸能の継承には鹿児島県内どこの団体も大変苦労されています。特に真夏の踊りは小学生や幼児には大変な負担で、親御さんがつきっきりでした。青壮年男子だけの踊りが最近は少なくなり、女性や小中学生の参加が増えています。
踊り子さんの確保だけでなく長期間の練習、衣装や道具などの維持管理費も多大な負担だと思います。様々な困難を乗り越えて伝統芸能を継承されている保存会の方々に深く敬意を表するものです。
精矛神社社殿
雨上がりの日差しが出てきました
神社額は公爵近衛篤麿の揮毫
精矛(くわしほこ)神社の御祭神は島津義弘公です。天下分け目の関ヶ原の戦いで適中突破した「島津の退き口」で知られ、「鬼島津」と恐れられた勇猛な戦国武将です。管理に訪れた方の話では、旧社格は県社で氏子のいない神社とのこと。何箇所も管理しているので、夏場は境内の草刈だけでも大変だと話されていました。
近衛篤麿は1863年(文久3年)旧暦6月26日、左大臣・近衛忠房と島津斉彬娘(実は養女)・貞姫の長男として京都に生まれています。戦前の首相近衛文麿の父であり、細川元首相の曽祖父にあたります。
脇社と経塚など
朝鮮から持ち帰った石臼
朝鮮出兵の帰りに船を安定させるため積み込んだとされる石臼と手洗鉢(ちょうずばち)が残っています。
境内右手にある国士之碑
碑文
神社階段横にある立派な石碑です。小さな文字で個人の業績などが書かれています。よく探せば案内文などがあるかと思いますが、見当たりませんでした。島津家の後継藩主をめぐる、「お由良騒動」では斉彬公側で尽力した人物のようです。