
『延喜式』の「後阿陀墓」に当たります 撮影日;2008.4.15
武智麻呂は没後、平城京北方の佐保山で火葬されましたが
天平宝字(757~765)末年頃に子の仲麻呂が栄山寺裏山の当地に改葬したようです
方形の基壇上に、元禄6年(1693)建立の墓石が立てられています
明治20年頃に、付近から骨臓器が発見されました
国の史跡に指定されています
★所在地;五條市小島町栄山寺裏山
★交通;JR
五条駅より
南阿田方面行きバスで栄山寺前下車 徒歩20分
★駐車場;5台程度(栄山寺裏山展望所前)
★入場料;見学参拝自由
★問合せ;0747-22-4001(五條市商工観光課)
【藤原武智麻呂】天武天皇9年(680)~天平9年(737)
藤原鎌足の孫、不比等の長子で藤原南家の祖
不比等の死後、中納言となり藤原一族の中心的存在となり、聖武天皇のもとで右大臣を務めます
737年、天然痘で倒れ余命いくばくもないということで左大臣に昇進
大学頭だった時代に大学制度の設立につくすなど文教行政面での活躍は特筆されます
聖武天皇の皇太子時代には家庭教師役に選ばれたりもしています
参考;藤原朝臣武智麻呂
武智麻呂は没後、平城京北方の佐保山で火葬されましたが
天平宝字(757~765)末年頃に子の仲麻呂が栄山寺裏山の当地に改葬したようです
方形の基壇上に、元禄6年(1693)建立の墓石が立てられています
明治20年頃に、付近から骨臓器が発見されました
国の史跡に指定されています
★所在地;五條市小島町栄山寺裏山
★交通;JR

南阿田方面行きバスで栄山寺前下車 徒歩20分
★駐車場;5台程度(栄山寺裏山展望所前)
★入場料;見学参拝自由
★問合せ;0747-22-4001(五條市商工観光課)
【藤原武智麻呂】天武天皇9年(680)~天平9年(737)
藤原鎌足の孫、不比等の長子で藤原南家の祖
不比等の死後、中納言となり藤原一族の中心的存在となり、聖武天皇のもとで右大臣を務めます
737年、天然痘で倒れ余命いくばくもないということで左大臣に昇進
大学頭だった時代に大学制度の設立につくすなど文教行政面での活躍は特筆されます
聖武天皇の皇太子時代には家庭教師役に選ばれたりもしています
参考;藤原朝臣武智麻呂