![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/15/b837e5923de278130926b4071c26ae52.jpg)
大津皇子ゆかりの寺院跡とされます 撮影日;2011.09.11
“薬師寺縁起”にある加守寺(掃守寺、竜峯寺とも称されたようです)は、大津皇子の鎮魂のために建立されたとされています
加守廃寺は二上山の尾根を挟んで 南遺跡(加守神社の周辺)と北遺跡(塔土壇)に分かれます
北遺跡では塔及びそれを囲む廻廊が検出されました
塔基壇は凝灰岩製の壇上積基壇で、犬走を伴う
但し基壇の大半は既に削平されていました
回廊は塔の西側と南側で礎石(自然石)及び礎石抜取り穴が確認され、塔を取囲むものであったとされます
また残存する土壇を断ち割ると、流紋岩製の円形造り出しを持つ2個の礎石が出土しました
南遺跡で発掘された長六角堂跡は大津皇子の供養堂説が有力です
四天王堂付近で瓦を出土し、礎石が残っていました
(この後方が廃寺跡になりますが、今は更地で何もありません)
塔心礎は教善寺に、金堂礎石は當麻寺護念院に移されているようです
當麻寺中之坊に古図があり、加守附近に三層の塔婆を描き掃守龍峯寺と記されているそうです
遺跡所在地の旧名をトンタニと称するそうです
「塔谷」の転訛で、龍峯寺の塔跡ではないだろうかとのこと
大津皇子は、初めここに埋葬されたとも伝わります(大津皇子墓)
池の畔に、悪霊となった大津皇子が馬に乗って飛び降りた時の蹄跡と伝わる「ひずめ石」があるそうです
江戸時代の絵図に「神馬蹄石(しんめひづめいし)」と載っているそうです
★所在地;葛城市加守
★交通;近鉄
二上神社口駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学可
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)
“薬師寺縁起”にある加守寺(掃守寺、竜峯寺とも称されたようです)は、大津皇子の鎮魂のために建立されたとされています
加守廃寺は二上山の尾根を挟んで 南遺跡(加守神社の周辺)と北遺跡(塔土壇)に分かれます
北遺跡では塔及びそれを囲む廻廊が検出されました
塔基壇は凝灰岩製の壇上積基壇で、犬走を伴う
但し基壇の大半は既に削平されていました
回廊は塔の西側と南側で礎石(自然石)及び礎石抜取り穴が確認され、塔を取囲むものであったとされます
また残存する土壇を断ち割ると、流紋岩製の円形造り出しを持つ2個の礎石が出土しました
南遺跡で発掘された長六角堂跡は大津皇子の供養堂説が有力です
四天王堂付近で瓦を出土し、礎石が残っていました
(この後方が廃寺跡になりますが、今は更地で何もありません)
塔心礎は教善寺に、金堂礎石は當麻寺護念院に移されているようです
當麻寺中之坊に古図があり、加守附近に三層の塔婆を描き掃守龍峯寺と記されているそうです
遺跡所在地の旧名をトンタニと称するそうです
「塔谷」の転訛で、龍峯寺の塔跡ではないだろうかとのこと
大津皇子は、初めここに埋葬されたとも伝わります(大津皇子墓)
池の畔に、悪霊となった大津皇子が馬に乗って飛び降りた時の蹄跡と伝わる「ひずめ石」があるそうです
江戸時代の絵図に「神馬蹄石(しんめひづめいし)」と載っているそうです
★所在地;葛城市加守
★交通;近鉄
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
★駐車場;有りません
★入場料;見学可
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)