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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

貴人塚古墳「美旗古墳群」

2015年05月27日 | 古墳
貴人塚古墳
 馬塚古墳の南東600mの田んぼの中に綺麗な墳形を見せています 撮影日;2015.04.26

 全長55mの小型の前方後円墳です
 周濠が在ったようで、含めると65m程になります
 後円部径35m・前方部幅35m・高さ4.5mほど

貴人塚古墳後円部墳頂 貴人塚古墳前方部

 墳丘は削られていびつな形になっていて、二段築成に見えるますが三段築成かも
 墳頂は窪んでいて、埋葬主体部は横穴式石室のようです
 (確認できませんでしたが、たくさん狐穴が開いています)

 須恵質の円筒埴輪や須恵器などが出土しています
 築造は6世紀初頭と考えられています 

★所在地;名張市下小波田
★交通;近鉄美旗駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★見学;自由(墳丘にも昇れます)
★問合せ;0595-63-9148(名張市観光協会)


小塚古墳「美旗古墳群」

2015年05月26日 | 古墳
小塚古墳北西側
 馬塚古墳の陪冢とされる方墳です 撮影日;2015.04.26

 馬塚古墳の後円部東側の田圃脇に残されています
 現状は、かなり封土が削られていて、墳形は明確では有りません
 一辺が15m・高さ3.5mの方墳

小塚古墳南側

 出土品などは不明の為、築造時期は特定できません
 馬塚古墳の陪冢とされているので同時期に築かれたと思われます

★所在地;名張市美旗町中1番
★交通;近鉄美旗駅下車 徒歩3分
★駐車場;美旗市民センター
★見学;自由 (田んぼの中に入らないように・・・)
★問合せ;名張市観光協会(なばり観光ガイド


 馬塚古墳の陪冢とされる方墳は、かつては多数存在していたようです
 そのうちの一基である玉塚古墳は馬塚古墳の南西100mの場所(テニスクラブ付近)に位置した一辺34mの方墳です
 墳丘からは多数の円筒埴輪や家形埴輪が出土
 墳頂中央部の斜面から鉄刀15口が木板上に置かれて出土しています 

馬塚古墳「美旗古墳群」

2015年05月25日 | 古墳
馬塚古墳墳丘
 美旗古墳群の中で最大規模を持つ前方後円墳です 撮影日;2015.04.26

 全長142m(前方部を南西に向ける)
 後円部は三段築成で、径98m・高さ14m
 前方部は高さ6m・最大幅100mもあります
 くびれ部(幅72m)の両側に方形の造り出しが有ります

 墳丘周囲には幅7~25mの周濠が廻っています(現在は水はありません)

馬塚古墳後円部 馬塚古墳埋葬施設跡

 墳丘の全面に川原石や山石などで葺石が施されていました(一部残っています)
 円筒埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪などが配列されていたようです
 築造は5世紀後半頃と推定されています

馬塚古墳前方部 馬塚古墳観音堂

 現在、墳丘上には33体の舟形後背に半肉彫りされた石仏(一体は台座のみ)が置かれています
 また、後援部南側に「馬塚観音」が祀られています
 古墳の盗掘での祟りを守る役目をしているそうです 

★所在地;名張市美旗町中1番
★交通;近鉄美旗駅下車 徒歩1分
★駐車場;美旗市民センター利用
★見学;自由(公園として整備されています)
★問合せ;名張市観光協会(なばり観光ガイド


 美旗古墳群(4~6世紀)は、この地を支配していた豪族の墓で、伊賀地方で最大規模の古墳群です
 伊賀地方を代表する古墳群としてきわめて重要であるとして、昭和53年に国の史跡に指定されました
 名張川支流小波田川上流右岸に広がる標高200mの大地に位置する古墳群で、古墳時代の前期から後期に築造されました
 馬塚・女良塚・殿塚・毘沙門塚・貴人塚の5基の前方後円墳の他、方墳の小塚と円墳の赤井塚があります
 (カブト塚・矢羽塚・玉塚など消滅した古墳も在りました)
美旗古墳群の碑
 なばりの昔話 〜美旗古墳の伝説〜
昔々、美濃国(岐阜県の南部)の土岐氏の奥方様がな、 大和の長谷観音にお参りしての帰り道のことやった。
小波田あたりで奥方様の乗った馬が突然、 前足を上げ暴れだしたんじゃ。
そばにおった家来たちが暴れる馬を押さえようしたんじゃが、どうしてもしずまらんかった。
奥方様は血の気を失い、しがみついているのが精一杯。
ついには振り落されてしもうてな。地面にたたきつけられたんじゃ。
それに馬は奥方様にかみついて、はなさんかったやと。
驚いた家来は、刀で馬を切り殺してしもたそうじゃ⋯。
ところが、奥方様もそのまま死んでしもうたんや。
家来たちは、そのまま美濃国へ帰るわけにもいかず、その場で自害してしもうたそうや。
村人たちは、高貴な人たちの思いがけない死を哀れんで、 立派な墓を作るっていうことになったんやと。
それで馬をうめた墓を「馬塚」、奥方様を埋めた墓を「女郎塚」、 男女の家来たちを埋めた墓を「殿塚」「貴人塚」というてな、 持っていた宝物を埋めた所を「玉塚」、持っていた仏の毘沙門天を埋めた所を「毘沙門塚」と呼んでな、 今でも伝わっているんじゃ。
「小塚」は奥方様の子を埋めた墓ともいわれてるんじゃ⋯。

古堂塚古墳「フロンド古墳」

2015年05月12日 | 古墳
フロンド古墳遠景
 田んぼの中に長方形の土壇がぽつんと有ります 撮影日;2015.04.19

 遺跡地図には記載が無く、古墳かどうか不明ですが、かつてここから高坏、壷形土器が出土したそうです
 規模は南北10mほど、東西5mほど、高さ1.5mほどです
 墳丘上に石仏を祀る堂が有ります

フロンド古墳南側 フロンド古墳祠 
フロンド古墳石仏 フロンド古墳北側

 西方に鳥屋ミサンザイ古墳「宣化天皇陵」枡山古墳「身狭桃花鳥坂墓」が有り、北方には益田池堤跡など見所が多い場所です

★所在地;橿原市鳥屋町
★交通;近鉄橿原神宮前駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;


豊田トンド山古墳(仮)

2015年05月10日 | 古墳
豊田トンド山古墳(仮)
 巨石を使った古墳が見つかりました 撮影日;2015.05.02

 石上神宮布留遺跡を見下ろす丘陵の頂部に築かれています
 遺跡地図の「8D-306」です
 古墳として認識さていたようですが、言い伝えや出土品に係る伝承など無かった為、今回の発掘で初めて横穴式石室が有ることが明らかになりました

 墳丘は中世に山城が築かれ、南側が大きく改変されています
 北半分の形状から、径30mほどの円墳と考えられます

豊田トンド山古墳石室 豊田トンド山古墳城遺構

 横穴式石室は南南西に開口していますが、天井石や側壁の一部は失われています
 石室全長は9.4m

 玄室は両袖式で、長さ4.9m・幅2.0m・高さ2.6m
 最大の石材は左袖石側側壁に有り、一辺3mにも及びます
 床面には30cm程度の床石が敷き詰められています
 奥壁下段の石材にベンガラにより赤彩されていました
 凝灰岩の石片が散在しており、石棺が安置されていたと考えられます

 羨道部は長さ4.5m・幅1.7m
 床にはベンガラが付着していて、鉄釘が出土しています
 木棺が追葬されていたようです

 出土遺物は須恵器・土師器・鉄鏃・太刀の破片などが有りました
 築造年代は7世紀前半と推定されています

豊田トンド山古墳出土品1 豊田トンド山古墳出土品2

 被葬者は特定できませんが、単独で高所に立地し、墳丘や石室の規模から、布留遺跡と密接に関わる有力な(物部氏?)首長層の墓と考えられます 

★所在地;天理市豊田町字中ノ谷(小字トンド山)
★交通;JR・近鉄天理駅下車 徒歩30分
★駐車場;有りません
★見学;2015.05.02 現地説明会が行われました
★問合せ;天理市教育委員会文化財課


都祁シントク1号墳

2015年04月15日 | 古墳
Pシントク1号墳
 現地は、太陽光パネルが設置されているようです(太陽光発電)
 パネルの下に現状保存されている? 

 1号墳「9D-02」は、径17m の円墳です

 東に開口する横穴式石室が有りました
 石室長さ約9mで、縦長の特徴を持ちます
 玄室奥壁の幅1.4m・高さ2.5mで、花崗岩の自然石を利用して築かれていました
 羨道部から、榛原石の板石が立てかけられた状態で見つかっており、箱式石棺が有ったと思われます

 遺物:土師、須恵、耳環、鉄鏃、砥石、刀子
 6世紀後半の築造

Pシントク壺 出土の須恵器(橿原考古学研究所提供)
 器体が球形で、フラスコ形長頸瓶と呼ばれています
 東海地方で焼かれたものと思われ、東海地方との交流がわかる遺物です
 石室の入口を閉める際にほかの土器と一緒に儀礼に使われたようです

 隣接してある2号墳は、1号墳の墳丘北側に重なるように築かれていました
 東西11m・南北8mの円墳です
 横穴式石室は全長約6m。玄室幅約1.4m・高さ2m
 遺物:土師、須恵、耳環

★所在地;奈良市針町 ⇒MAP
★交通;名阪国道「一本松IC」下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★見学; 不可 (消滅か?)
★問合せ;


岡崎山1号墳

2015年04月13日 | 古墳
岡崎山古墳群遠景
 古代朝鮮より移住して来た百済王ゆかりの古墳と伝わります 撮影日;2015.03.28

 前方部を南西に向ける、全長27.5mの小型の前方後円墳です
 後円部径19.5m、前方部幅16m

 東側に神社の建物があり、墳丘は削られています

岡崎山1号墳後円部 岡崎山1号墳前方部

 三野山 岡崎稲荷神社の境内地に有ります
 2~3基の円墳(径15mほど)が墳丘を接して築かれています 

岡崎山稲荷神社 岡崎山円墳

 1kmほど東に有る専立寺「高田御坊」の庭園に、岡崎山古墳群から出土した物と伝えられる石棺が有るそうです
 二上山(岩屋峠)凝灰岩製のくり抜き式家形石棺(蓋・身)と緑泥片岩製の組合せ式箱形石棺

★所在地;大和高田市岡崎30
★交通;近鉄大和高田駅下車 徒歩20分
★駐車場;有ります
★見学;自由
★問合せ;


玉手山7号墳

2015年04月09日 | 古墳
玉手山7号墳頂の石塔
 墳頂に大坂夏の陣の戦没者の供養の宝篋印塔が建っています 撮影日;2015.03.15

 安福寺の後ろにあることから後山古墳ともよばれます
 全長150mの前方後円墳です(玉手山古墳群中、最大)
 西側(安福寺にむかって)に前方部が有ります

 昭和55年に、後円部で滑石製の盒子が採集されています
 盒子は容器の事で、長さ10cm・幅8cmの小さい楕円形をしているそうです
 この出土により、この古墳は玉手山古墳群の中で、もっとも新しい前方後円墳の一つであると考えられています

7号墳墳丘 7号墳前の保存石棺と石室 

 玉手山丘陵上には、合計14基の前方後円墳と数基の円墳が南北に連なって築造されています

 1号墳は小松山古墳とも呼ばれる前方後円墳(全長110~120m)です
 後円部の頂上に大坂夏の陣で討ち死にした、徳川方の武将・奥田三郎右衛門の墓が有ります

 2号墳:前方後円墳(全長60~70m)
 現在は、古墳全体が墓地になっています

 4・5・6号墳は全長50~75mの前方後円墳でしたが消滅しています
 8号墳は全長80m、9号墳は全長65mの前方後円墳です
 10号墳( 北玉山古墳 )は全長45~55mの前方後円墳ですが消滅しています

7号墳前の石棺 7号墳前の石室 

 7号墳の後円部から南に下りたところに、玉手山古墳群出土の石室や石棺の展示されています

 竪穴式石室は、消滅した6号墳の石室のようです
 組合式家形石棺は東ワカ山古墳(?)の石室にあったもので、蓋石には退化した縄掛け突起が有ります

7号墳前の大阪夏の陣古戦場跡 7号墳横の芭蕉句碑 

★所在地;柏原市玉手町7-1(玉手山公園内)
★交通;近鉄河内国分寺駅下車 徒歩20分
★駐車場;玉手山公園南入口に有ります(無料)
★見学 入場料;タダです
★休園日;毎週水曜日・年末年始(12月29日~1月3日)
★開園時間;9:00~17:00
★問合せ;


安福寺横穴群(玉手山横穴群)

2015年04月07日 | 古墳
安福寺横穴群南
 安福寺参道の両側崖面に掘られています 撮影日;2015.03.15

 32基の横穴墓があり、大阪府の史跡に指定されています
 短い羨道と玄室からなり、天井はゆるいアーチ状となっています

 造り付けの石棺をもつもの、陶質棺がおさめられているもの、騎馬人物像などの線刻壁画が描かれたものなどが有るそうです

 近くの玉手地域コミュニティ会館のそばにも5基の横穴が有ります
 玉手山東横穴群、約20基の存在も確認されているそうです

安福寺横穴群北 安福寺山門

 出土した土器などから、6世紀中~7世紀初めの築造と推定されています
 横穴は大阪府では、柏原市にしか有りません 

 2・3基の横穴に入室できます(懐中電灯必須)
 落書きが多すぎますね 

安福寺横穴群内部 安福寺横穴内部

★所在地;柏原市玉手町7-21
★交通;近鉄河内国分寺駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません (玉手山公園南側にP有り)
★見学;自由
★問合せ;

 玉手山公園北側の谷間に位置しています
 付近には玉手山古墳群が築かれています



 (浄土宗)玉手山「安福寺」は、奈良時代に行基によって建立と伝えられる古寺です
 寛文年間(1661~72年)に再建されています
 明治維新に至るまで歴代尾張徳川家により援助を受けたそうです

お亀石古墳

2015年04月06日 | 古墳
お亀石古墳石棺蓋石
 露出している石棺蓋の形から付けられた名前です 撮影日;2015.03.15

 羽曳野丘陵から南東に突出した尾根の先端・標高約98mに築かれています
 1辺21mの方墳です
 葺石や貼石などの外部施設は確認されていません

お亀石古墳石棺 石棺内部

 南側に開口部が有る横口式石槨墳です
 石棺の石材は二上山産の白色凝灰岩で、羨道は花崗岩が使われています

 天井石は、かなり大きな石が使われています

お亀石古墳頂部より お亀石古墳天井石

 石棺の棺蓋には6個の縄掛突起があり、その形状が”亀”に似ているので「お亀石」と呼ばれるようになったようです

 石棺の周囲には飛鳥時代の平瓦が擁壁状に多数積まれていることが確認されています
 この瓦は、古墳の南東に位置する新堂廃寺の百済系屋瓦と共通しており、被葬者が同寺院と密接な関係にあることを裏付けています

お亀石古墳 開口部

 平成14年12月19日に、周辺の新堂廃寺・オガンジ池瓦窯跡とともに国の史跡に指定されています 

★所在地;富田林市大字中野
★交通;近鉄富田林駅下車 徒歩20分
★駐車場;無し
★見学;自由
★問合せ;


お亀石古墳説明版