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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

十輪院の魚養塚

2013年05月03日 | 碑・塚
魚養塚石室
 古墳の横穴式石室のような施設が有ります 撮影日;2013.04.14

 十輪院の魚養塚は朝野宿禰魚養(あさののすくねのなかい)の墳墓と伝わります
 本堂の東隣の御影堂脇にある径4m程の小さな塚です

 塚の北側に横穴式石室のように開口部があり、奥壁に如来坐像が浮き彫りされています
 終末期古墳の横穴式石室のようですが、北に向けて開口するなど古墳の石室を転用したかは不明です
 
魚養塚 魚養塚開口部

 朝野魚養は奈良時代の官人で能書家
 吉備真備の長男だとの説が有る人です
 延暦6年(787)に正六位上から外従五位下に昇り、翌年播磨大掾・典薬頭に任じられました
 書に優れ、大和薬師寺の扁額および同寺所蔵の大般若経33巻(魚養経と称される)は彼の筆と伝えられます 

★所在地;奈良市十輪院町27
★交通;近鉄奈良駅下車 徒歩15分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★開館時間;入山は4時までに
★問合せ;(十輪院


高山右近碑

2012年11月12日 | 碑・塚
高山右近碑地
 キリシタン大名として有名な高山右近をたたえる石碑です 撮影日;2012.11.04

 沢地区の集落入口に昭和45年に建てられました
 永禄3年(1560)~10年までの8年間、高山右近の父・高山友照は、松永久秀の配下として沢城を居城としていました
  
高山右近碑 高山右近顕彰会碑

 右近は永禄7年(1564)、「ジェスト」即ち正義の教名をもって洗礼を受けました
 母や家臣150人とともに洗礼を受け、20歳まで過ごしています
 右近は高槻、次いで明石の領主となり、慶長年間に徳川家康のキリスト教禁止令によってマニラに追放されました

★所在地;宇陀市榛原大貝
★交通;近鉄榛原駅より 菟田野町方面行きバスで「比布」下車 東へ徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


塞の神石碑

2012年04月25日 | 碑・塚
塞の神石碑
 この碑は道祖神だそうです 撮影日;2012.04.15

 高さ103cmの緑泥片岩に『塞神守護』と彫られています
 民間信仰を伝える貴重な民俗資料として、下市町の文化財に指定されています
 (昭和50年の指定)

 塞の神は道祖神であり、境を護る神でもあり、また悪疫悪霊の入り込むのを遮る神として、古くから信仰されていたそうです

塞の神石碑と堂 塞の神石碑の説明版

★所在地;吉野郡下市町新住
★交通;近鉄下市口駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-52-1711(下市町教育委員会)

 碑の建っている分岐を登っていくとの森が広がっています


鶴澤三枝の碑

2011年11月15日 | 碑・塚
 鶴澤三枝は南畑歌舞伎の座長さん 撮影日;2011.11.08

 明治22年(1889)頃、南畑に「日出座」という歌舞伎一座がありました
 地元の人たちから南畑歌舞伎と呼ばれ親しまれていた座長の鶴沢三枝の碑です

 鶴澤三枝は本名を森惣三郎と言い、慶応の頃南畑で生まれました

 地元の青年に歌舞伎を教え一座を結成し、南畑を中心に法隆寺や田原本、大阪の道頓堀でも公演したそうです 
 この碑は、明治24年に63歳になった三枝を祝って門弟たちが建立しました

★所在地;生駒郡三郷町信貴南畑
★交通;近鉄信貴山下駅より バスで「信貴山」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-73-2101(三郷町教育委員会)


北浦定政顕彰碑

2011年11月08日 | 碑・塚
 光仁天皇陵の近くにひっそりと建てられています 撮影日;2011.11.05

 北浦定政は、大和国添上郡古市村(現奈良市古市村)に町人の子として生まれています
 藤堂藩古市奉行所に出仕し、一方で国学を修め、山陵の比定や修復、平城京条坊復元などに功績を残しました
 春日宮天皇陵・光仁天皇陵・崇道天皇陵の修復に関わったことを称え、村人が建立したそうです

北浦定政顕彰碑説明板 文久元年(1861)ごろ「平城宮大内裏跡坪割図」を作成しています
 定政の功績は、条坊・条里研究の嚆矢です
 平城宮跡の地図を作成したことが、宮跡保存の端緒を作ることにつながりました
 後年、定政の子息が棚田嘉十郎と出会い、父の残した資料類を貸与しています
 棚田の保存活動のきっかけの一つとなったそうです(棚田嘉十郎像

 晩年、光仁天皇陵などの陵長などを勤め、明治4年(1871)に55歳で没しました 

★所在地;奈良市日笠町
★交通;近鉄奈良駅より バスで「日笠」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;



北畠親房墓

2011年04月20日 | 碑・塚
 玉垣に囲まれた円墳の上に五輪塔が立っています 撮影日;2011.03.26

 墓がある地は五條高等学校の賀名生分校がかつてあったところです
 昔は賀名生皇居があったそうです 
 
 北畠親房は、後醍醐天皇・後村上天皇の2代にわたり南朝の中心として活躍した公家です
 神皇正統記を執筆したことでも知られています
 正平9年・文和3年(1354)、賀名生の地で死去したとされます

北畠親房墓 二百十人塚
 親房墓の横に《二百十人塚》が有ります

 延元~正平の頃(14世紀中頃)、宇智・吉野更に四条畷にまで敢然と起って戦い壮烈な最期をとげた郷土の忠臣二百十人の忠魂碑です
 延徳3年(1491)、西俊・珍阿の両名が本願となりこの石塔を建て供養したと伝わります
 古くからから「二百十人塚」と呼ばれ、語り伝えられています

★所在地;五條市西吉野町神野
★交通;JR五条駅より バスで「賀名生和田北口」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-22-4001(五條市商工観光課)

 賀名生皇居跡賀名生の里歴史民俗資料館賀名生梅林が近くです

 室生寺にも、親房卿の墓所があります(伊勢国太平記/室生寺/女人高野/北畠親房墓所


 参考;人物-北畠親房大隅和雄「北畠親房と『神皇正統記』」

南帝陵「御首塚」

2011年04月19日 | 碑・塚
 南朝の長慶天皇の御首を葬った処とされます 撮影日;2011.03.26

 国王神社脇の斜面に、1m四方ほどの鉄柵で囲われた柵が有ります
 中央に、子どもの頭ほどの丸い石が置かれています

 南帝陵または、御首塚と呼ばれています

 南北朝時代の応永元年(1394)頃、南朝の第98代長慶天皇はこの地に潜居していましたが、北朝勢に追われて天川郷五色谷で自害されました
 従臣たちが御遺体を天丿川に水葬にしたところ、数日後に下流の河津平の渕に御首が現れ、里人は国王神社の傍に手厚く葬ったと伝わります

南帝陵「御首塚」 南帝陵説明版 

★所在地;吉野郡十津川村字高津
★交通;JR五条駅より バスで「河津谷」下車 徒歩3分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;0746-62-0004(十津川村役場 観光振興課)

 国道168号線を五条から十津川村へと南下、谷瀬の吊り橋から少し先に国王神社の駐車場があります
 そこから少し下ったところに祀られています



石打阿弥陀寺の日待講板碑

2011年04月06日 | 碑・塚
 県で最古の寛永5年(1628)の銘が有ります

 全国でも4番目の古さで江戸時代の庶民信仰を今に伝えています
 昭和55年に旧月ヶ瀬村指定文化財になっています

 日待とは特定の日に集まり、徹夜をして籠り明かし日の出を待って太陽を拝し
 作物の豊饒を祈願するという行事です

 石打八幡神社の石段を上がり境内に入ると立派な能舞台が有ります  
石打八幡神社の能舞台
 四方吹き放茅葺きで江戸時代初期に建てられました
 昭和57年に旧月ヶ瀬村指定文化財となっています   

★所在地;奈良市月ヶ瀬石打2443-1
★交通;近鉄奈良駅より バスで「石打」下車 徒歩すぐ
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;


馬場塚

2011年02月26日 | 碑・塚
 田圃の中にぽつんと在る方形土壇です 撮影日;2011.02.13

 周長10m程で、1m弱の土壇上に小さな五輪塔が立っています 

馬場塚石塔 馬場塚上の五輪塔は甲斐武田の家臣馬場美濃守氏勝の供養塔と伝わります

 地輪・水輪が当初のもので、地輪の四面につぎの刻銘が有ります
 「前敬礼司 氏勝墓 民部少輔甲陽武田家臣百廿騎之大将仕信虎公信玄公勝頼公而有戦功後依信玄公之命改馬場美濃守信房矣戦于三州長篠引率七百人初戦既得勝敵者多勢而十倍於味方勝頼公諸勢不得防而敗北於是美濃守討死于時天正三乙亥年五月廿一日」
 五輪塔の銘文としては異例に長く、被供養者の略歴までわかる貴重な遺品です

 残念ながら、地輪石の表面は荒れていて目視では読めませんでした


★所在地;生駒郡安堵町窪田
★交通;JR法隆寺駅より バスで「かしの木台」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


代官・助宗の碑

2010年12月31日 | 碑・塚
代官・助宗の碑
 江戸時代中期の代官の「断恨碑」です 撮影日;2010.12.18

 代官助宗は、水害で困っていた農民の為に、私財で龍田川支流の塩田川を埋め、排水路として三代川を堀ました
 これにより五カ村領の農民は救われましたが、排水路工事が幕府の許可を得てなかった為
 捕らえられ、処刑されてしまいました
 人々は彼の功績をたたえ、「融念寺」境内に「断恨碑」を建てたと云う

 三代川は、処刑された助宗の身に代えてという意味で身代川と書いたといわれています
 現在「JR法隆寺駅」東側から南へ流れて、「イツボ川」と「服部川」を合流し、「大和川」に注ぐ川です  

★所在地;生駒郡斑鳩町目安1-11-19(融念寺)
★交通;JR法隆寺駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;見学可
★問合せ;