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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

藤原百川公墓

2013年11月01日 | 碑・塚
藤原百川公墓
 公園のように遊具(滑り台)が有りますが、玉垣で囲まれ双丘(二つの円墳)の有る墓所です

 藤原百川と夫人の藤原諸姉(藤原良継の娘) の墓とされています

 藤原百川(雄田麻呂)は、藤原式家の始祖・宇合の八男で、藤原鎌足の曾孫にあたる人物です
 宝亀元年(770)に称徳天皇没後、道鏡を追放して光仁天皇を擁立
 山部親王(後の桓武天皇)を皇太子に立て、藤原氏を復権させました
 宝亀10年(779)7月、参議中衛大将兼式部卿従三位の地位で没しました(47歳)

 百川と夫人の墓所は、一時所在が分からなくなっていたようです
 明治27年に、伝承や江戸時代の文献から当地に比定されました

 墓所には桜の木が植えられ、春には桜の名所となっています

★所在地;木津川市相楽城西
★交通;近鉄山田川駅下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0774-72-0501(木津川市教育委員会)

 相楽神社の北西300mほどのところに有ります


夫婦塚「御炊屋姫の墓」

2013年10月22日 | 碑・塚
夫婦塚
 田畑の畦道脇に碑だけが有ります 撮影日;2013.10.06 

 塚と称していますが、墳丘は無く近くまで行かないと見えません
 神話に登場する人物の塚とされています
 「夫婦塚」と刻まれた文字の下には、小さな文字で「傳稱」と刻まれています

冬は回りの花も枯れてはっきり見えるようです 『金鵄発祥史蹟考』には、北倭村の「字高樋にあり御炊屋姫塚なりといふ」と記されています
 御炊屋姫(三炊屋姫、登美夜毘売)は饒速日命の妻で、長髄彦の妹です
 毎日お参りに来る人があるそうです

 富雄川を挟んだ丘陵には神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑が建てられています
 (天忍穂耳神社

★所在地;生駒市上町5・二名4
★交通;近鉄富雄駅より バスで「上町高樋」下車 徒歩2分
★駐車場;有りません
★入場料;農作業されている方の邪魔にならないようにしましょう
★問合せ;


饒速日命墳墓

2013年10月17日 | 碑・塚
饒速日命墳墓
 生駒総合公園の、北の山中にあります 撮影日;2013.10.06

 径2m・高さ1mほどの石積の塚です
 山伏塚、または檜窪塚と呼ばれているようです

 真弓塚を饒速日命の墳墓に比定する説を批判する形で、大正期にここをあてる説があらわれたようです
 山伏塚を山主塚の訛りと見て、貴人の墳墓と考えられました 

饒速日命墓 饒速日命墓墳丘

 ニギハヤヒノミコトが実在したかどうかは分かりませんが、この辺りには神話に係る地が多く有ります
 夫婦塚・「金鵄発祥之処」の碑長髄彦の本拠地

★所在地;生駒市上町
★交通;近鉄生駒駅より バスで「あすか野団地口」下車 徒歩15分
★駐車場;生駒総合公園に無料P有り
★入場料;見学自由 (蛇に注意!)
★問合せ;


 生駒総合公園の体育館前にある広いグラウンド先に高圧線鉄塔が有ります
生駒総合公園体育館 生駒総合公園グラウンド
 その右下に饒速日命墳墓へ続く道が有ります(標識はありません)
 10分ほどの山道ですが、ほぼまっすぐ進んでいくとフェンスで囲まれた鉄塔に着きます
 その右手前に石の塚があります

ウォーナー塔

2013年10月07日 | 碑・塚
ウォーナー供養塔
 法隆寺・西円堂の西側、森の中に建てられています 撮影日;2013.09.22 

 法隆寺の非再建論を展開した平子鐸嶺の供養塔と仲良く並べられています
 昭和32年に、細川護立(文化財保護委員)や梅原末治(京大教授)らが中心になって建てられました

 ウォーナー博士は岡倉天心の弟子ともされます
 東アジアの文化財、特に日本の白鳳期の文化財を高く評価していました
 生前、京都・奈良の文化財を空爆から救ったことを、自身の功績とされることを拒んでいたそうです

 碑文には「奈良・京都を戦禍より救うため、献身的に努力されたことは、博士自身の否定にもかかわらず疑う余地のない事実である」と書かれています

ウォーナー塔前 ウォーナー鐸嶺供養塔

 ウォーナー博士供養塔は、安倍文殊院にも有ります

★所在地;生駒郡斑鳩町法隆寺
★交通;JR法隆寺駅より バスで法隆寺門前下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 法隆寺西門を出て、北へ細い道を上って行くと有ります


北畠親房之墓(室生寺)

2013年09月29日 | 碑・塚
北畠親房之墓
 鎌倉時代末期の五輪塔(国重文)です 撮影日;2013.09.18

 本堂手前の西側の林の中に建っています
 古くから『神皇正統記』の著者として知られる北畠親房の墓と伝えられてきました

 一辺3.95mの基壇の上に建つ、高さ190cmもある五輪塔です
 大正5年に五輪塔内部から、ていねいにつくられた木製五輪塔が発見されました
 さらにこの木製五輪塔の下2輪(地輪・水輪)の内部がくり抜かれ、水晶製五輪塔が納入されていました
 また、塔下からは納骨壺が見つかり、なかに水飴状の液体と少量の骨片のあることが確認されたそうです
 埋葬者を確定することはできなかったようです
 (北畠親房墓は西吉野の賀名生に有ります)

左側に有る石塔
 左手にも五輪塔が有ります
 南北朝時代の物で、風・空輪を欠失し、小五輪塔の水輪を載せています
 高さ115cm

★所在地;宇陀市室生78
★交通;近鉄室生口大野駅より バスで室生寺終点下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(有料)
★入山料;大人600円
★問合せ;


島の宮万葉歌碑

2013年09月25日 | 碑・塚
島の宮万葉歌碑
 島庄遺跡が見下ろせる場所に有ります 撮影日;2013.09.18 

 島の宮 上の池なる 放ち鳥 荒ひな行きそ 君いますとも (巻第2-172)

 島庄遺跡では、昭和47年3月に約43m四方の方形池が見つかっっています
 嶋宮推定地一帯に広がる縄文時代以降の複合遺跡です
 7世紀前期の建物跡も見つかっていて、日本書紀に度々登場する馬子の邸宅跡の可能性が高いそうです

 石舞台古墳の西側に有り、現在駐車場として使われている広場で、以前ここには高市小学校が有りました
 その北側で見つかった方形池は、7世紀の初め頃に作られた池です
 西北の護岸の石組は豪壮なもので、池底には、径20cmほどの川原石をびっしりと敷きつめていたそうです
 この池跡は馬子の邸宅にあった人工池「勾(まがり)の池」と推定されています
 嶋宮はその跡地を利用して築かれた宮だそうです

島の宮万葉歌碑からの眺望

★所在地;高市郡明日香村島庄
★交通;石舞台古墳より 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由


 参考;島庄遺跡

柳生摩利支天碑

2013年06月21日 | 碑・塚
摩利支天山
 平成19年に建てられました 撮影日;2013.06.16 

 柳生八坂神社のすぐ北側に小高い丘「摩利支天山」が有ります
 柳生十兵衛三厳の弟・宗冬が武道の守り神摩利支天を祀ったと伝えられます
 以前は、祠があったそうです

摩利支天 摩利支天碑

 東側に芳徳禅寺、北側に旧柳生藩家老屋敷、南側に旧柳生藩陣屋跡が見えます

★所在地;奈良市柳生町
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで柳生下車 徒歩10分
★駐車場;柳生花しょうぶ園前に無料駐車場有り
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-94-0002(柳生観光協会)


伝・実範上人廟塔

2013年06月09日 | 碑・塚
伝実範上人廟塔
 一辺1.5m程の基壇上に立つ高さ2m程の五輪等です 撮影日;2013.05.26

 実範上人は明治期に廃仏毀釈で廃寺となった「中川寺」の開祖です
 唐招提寺の復興にも尽力されたお坊さんだそうです

 「中川寺」は、平安末から鎌倉期にかけては中川寺成身院として栄え、中世以降は興福寺一乗院末でした
 明治維新まで本堂と多宝塔が有ったようです
 今は、場所も特定できなくなっていますが、御廟塔付近との説もあるそうです

伝実範上人五輪塔 中ノ川町共同墓地の五輪塔

 西側の集落北側に中ノ川の共同墓地が有ります
 多くの中世・近世の石仏や石塔類が散在しています
 その中に鎌倉時代の大きめの五輪塔が有ります
 伝・実範上人五輪塔とそっくりです

★所在地;奈良市中ノ川町
★交通;近鉄奈良駅より バスで中ノ川下車 徒歩3分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;


 東京国立博物館に旧中川寺十輪院の毘沙門天立像が収蔵されている
 中川寺塔頭として「弥勒院・地蔵院・瓦坊・東北院・仏眼院・十輪院・薬師院・三蔵坊」が在ったようです

真弓塚

2013年05月20日 | 碑・塚
真弓塚
 長弓寺を創建した小野真弓長弓の墓と伝承される塚です 撮影日;2013.05.04

 径10m弱・高さ2mほどの円墳状の塚です
 墳頂に石標が立てられています
 
 一説に、長弓寺の本尊:十一面観音の頂上仏を彫った聖武天皇下賜の御弓の残余を埋めたとする説も有ります
 神話に出てくるニギハヤヒの尊の墓とする説も有るとか・・・

真弓塚碑 真弓塚墳丘

 ここは、長弓寺の飛び地境内です 
 新興住宅の中、真弓住宅街を眼下に臨む高台に築かれています
 
 小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)は神亀年間(724~729)頃に亡くなったようです 

真弓丘 真弓塚より眺望

★所在地;生駒市上町
★交通;近鉄学研北生駒駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-74-1111(生駒市生涯学習課)


龍頭塚

2013年05月18日 | 碑・塚
龍頭塚
 かつて「竜頭寺」と云う寺院が有りました 撮影日;2013.04.28

 竜頭寺跡草谷寺の旧寺地だそうです
 龍頭塚は、竜頭寺跡のすぐ北の尾根上に有る小さな塚です
 宝永7年(1710)銘の石碑と昭和の自然石碑が立っています
 (訪問時は、昭和の自然石碑は横倒しになっていました)

龍頭寺跡 龍尾塚
       龍頭寺跡↑                   草谷寺の龍尾塚↑

 草谷寺の裏山には経文塚「龍尾塚」が有ります
 「龍胴塚」はさらに登った、標高830mほどの所にあるようです

 ≪龍のお寺の伝説≫
 『金剛山の南麓、北山村には、昔、大龍がすんでいて、村を荒らしまわった。
或日、一人の修験者が、龍を退治しようとして、祈りをはじめた。一天にわかにかき曇って、あらわれ出た大龍は、今にも修験者に飛びつこうとすると、修験者は、手に持った数珠を振り上げて、ハッシと投げつけた。龍は忽ち天へ逃げ上がろうとしたが、身が三つに切れて、ぱたりと地上におちた。
 村人はよろこんだが、龍の祟りをおそれて、龍の頭の落ちた所に龍頭寺、胸の落ちたところに龍胸寺、尾の落ちた所に龍尾寺と、三つのお寺を建立して、龍を厚くとむらったと云う。
今は寺のあとかたもないが、修験者の祈祷した場所を法願田と云い、龍の胸の落ちた所を胸が段と云っている。
又、三つの寺の佛像は、今でも国宝として、北山村の草谷寺に残っている。』
 
★所在地;五條市北山町 (金剛山の南麓・標高600mの所)
★交通;草谷寺より 徒歩80分
★駐車場;草谷寺のP利用
★入場料;見学自由 (かなり難コースです)
★問合せ;