いつもの練習です。相変わらずキツいもキツい。でも、最近少しづつでも走っているためか、これでもちょっと前よりはマシになった気がします。人間は慣れる生き物。私も変化した環境に順応し始め、それにつれて日々の生活の中にほんの僅かな修練の時間を確保し、なんとかその時間を有効活用しようとしています。職場が変わって右も左もわからないでテンパッていた夏の日に比べれば、大きな進歩だと思います。まあ、スーツケース一つ引き摺って単身タイを始めいろんな国へ渡って、そこに溶け込んで自分のコミュニティまで作ったりしてきた順応性をもってすれば、どこに行ってもなんとかやっていけるとは思ってましたけど。(笑)そして、人間は状況が困難であればあるほど、創意工夫しながら打開していけるものだと信じています。
「いつまでやるのか?」「なんでやっているのか?」という私の活動に対する二大質問があります。これは家族を始め周囲の人達からさんざん言われるだけでなく、自分でも度々自分に問いかける質問です。終焉の時についてはまだ何とも言えません。限界を感じていないからです。でも、なぜ格闘技を始めて長いことやっているかと言えば、それは私が弱い人間だからです。これは明確に答えられます。強い人はそもそも格闘技なんかやりません。何もしなくてもナチュラルに強いのだから。弱いから強くなりたくてやっているのですが、ただその強さとは人をぶん殴る強さとは少し違います。私はよく悩むのでそんな時は本を読むことが多いのですが、最近読んだ本で感銘し、すごく共感できることがありました。その本にはこんなことが書いてあったのです。 『世の中で一番重要で一番難しいのは自分の心をコントロールすることです。どんなジャンルでも目標を持ち、「詰める作業」を根気よく続け、さらにイヤな仕事にも根性を発揮して、ここ一番で実力を表す。それが成功の秘訣ですが、そのためには心のコントロールが絶対に必要であり、あなた方はその心のコントロール法を厳しいスポーツの世界の中で身に付けていくのです。』
まさにこの通りだと思います。これが勝ち負けを超越してスポーツに真剣に取り組む意義だと思います。そして、私はたまたま自分が選んだ格闘技という道で、幾多の修練や恐怖に向かっていく過程で、少しでもこのことを自分の中に体得できたなら、いつか後に続く誰かに伝えていきたいと思っています。弱いなりに何をやったかが重要なのだということを…。ちっぽけな夢です。
『力まずやるんだ。格闘は本能。魂の解放。小さな自分を撃ち破る道。』
(ロードワーク 4km)