私は静まりかえった深夜の都内を鼻唄まじりで一人ぶらぶら歩くのが好きです。(決して怪しい者ではございません。笑) 夜にはある独特の匂いがあります。 そして夜の街には夜だけの佇まいがあるのです。
白銀の丘から東京タワーが見えました。 さりげなくセクシーで、なんとも言えない哀愁があって、本当に美しく見えました。 いろいろ新しくなっていっても、私は断然東京タワーが好きです。
何年ぶりかの歴史探訪シリーズ復活です。
ファミリー芸人『ユリオカ超特Q』さんと風間ルミさんの神楽坂のお店に行った帰り、疲労の溜まっていた私は見事に電車を乗り過ごし、起きたら豊田という初めての駅でした。(笑)
夜中の町をフラフラと宛てもなく歩き、とあるとても感じの良いスナックを見つけて温かい地元の人達とお店のマスターと歌って一夜を過ごしました。
(たまにやってしまう黄金パターンです。笑)
そして、みんなと話しながら私はふと、思ったのです。
“ここは新撰組の故郷に近いのではないか。”と。
地元の人達に聞くと、まずは高幡不動、それから新撰組資料館、そして日野の本陣のことを教えてくれました。
立川まで行って、モノレールに乗ると良いと。まだ薄暗い明け方の町を、私はなぜだか立川まで歩いてみようと思いました。
しかし、たちまち道がわからなくなりました。
前から歩いてきた大学生くらいの女の子に道を尋ねると、少し酔っていたのかめちゃくちゃノリの良い彼女が一緒に立川まで歩いてくれると言ってくれたのです。
こうして私たちは奇妙で楽しい突然の二人散歩をしたのでした。(笑)
彼女は英国籍も持つスザンヌ似のクウォーターの女子大生。
やったらしゃべってくれて、それがなんの違和感もなく打ち解ける感じで、私たちは1時間以上歩き、いろんなことを話しました。
普段まず合わない世代の女子とこんなに話せて本当に刺激的で楽しかったです。
そして私は立川で彼女にお礼にお寿司をご馳走し、そこで別れました。それから高幡不動を目指すと、私が憧れる男の一人である、新撰組鬼の副長、土方歳三1835年~1869年)の銅像が迎えてくれました。
ひとしきり感慨深く見て回ると私の燃料が底を尽き、境内の木陰で少しうとうとさせてもらおうとすると、たちまち爆睡。目が覚めると昼過ぎでした。(笑)
それから新撰組歴史資料館へ行きました。
新撰組が結成されるまでの時代背景や当時の多摩の有様、また新撰組の母体となった試衛館道場やそこで磨かれた天然理心流の資料、土方歳三のDVDを観ているうちに、なぜだか涙が出てきました。
あの時代、どうしても武士になりたかった男達。時代の激流の中を武士よりも武士らしく生き、死んでいった男達。私はそのまま日野宿本陣まで歩きました。日野宿本陣とは、土方歳三の実の姉のぶが嫁いだ佐藤彦五郎(1827年~1902年)の屋敷跡です。佐藤彦五郎はこの日野宿の名主(有力者)で土方姉弟の従妹にあたり、ガイドの方の話によれば、土方歳三は姉のいるここが居心地が良く、入り浸っていたそうです。そして、佐藤彦五郎は天然理心流3代目宗家、近藤周助に弟子入りし、近藤勇と土方歳三の出会いのきっかけを作り、また新撰組の最大の後援者となっていくのでした。
この部屋で土方歳三は良く寝っ転がってくつろいでいたそうです。
私もやってみようと思いましたが、たくさんの観光客の手前、ちょっと勇気がありませんでした。(笑)
でも、こうして憧れの男由来のリアルな史跡が残っていることに本当に感謝です。
その部屋の掛け軸が私の心に響きました。
これは佐藤彦五郎と親交のあった柳田正斎(1797~1888)という著名な儒学者・書道家が書いたものだそうです。
『乃武乃文』(すなわち武、すなわち文)と読み、いわゆる文武両道じゃなければなりませんよという意味だそうです。
「土方歳三もこれを毎日見ていたのでしょうか?」「どうでしょう。でも、よくここで寝転がっていたそうですから、その可能性は高いかも知れませんね。」とガイドさんが教えてくれました。少年、青年、土方歳三はどんな思いでこれを見てその志を固めたのだろうと私もしばらく眺めていました。
哲学に詳しい人ならご存知だとは思いますがザインとゾルゲンという言葉がドイツ語にあります。ザイン=ある。ゾルゲン=あるべし。あの時代、武士に生まれたものはザイン。農民の出であろうと武士以上に武士らしくあろうと志すのがゾルゲン。新選組こそ、あの時代の最後のゾルゲンの結晶体だったように思えます。どんなことでも、“こうありたい”、というゾルゲンの心を胸に抱くのは大切なことであると思います。