昨日、知人の奥様より貴重な珍しい切符を見せて頂いた。
当時日本の統治下にあった朝鮮京城駅(現韓国ソウル)~日本の関東茨城取手駅までの切符である。
その方は敗戦前昭和19年に帰国との事です。
私には遠い昔、終戦時外地より日本に引き揚げて帰国当時4歳だったが断片的にその頃の状況が記憶にある。
黄昏の年齢となったが、私自身の歩んだ人生誰にも言えない「心の景色」としての一遍で懐かしい!
「終戦の昭和20年8月、私は満4歳になった。 その2か月後、南朝鮮仁川(現韓国)から日本に帰る為の逃避行が始まった。 その頃の思い出は私は幼かった為ほとんど記憶がないが、断片的には少しその時の状況が頭にある。 苦労した亡父からはあまり聞いていなかったので、この度の姉の本を読んで本当に驚いている。 今日は仁川~京城~釜山港までの、朝鮮人の暴徒及び朝鮮共産軍が日本人を殺せとの危険いっぱいの中、命からがら418km逃避行をした時のことを紹介します。 又それぞれ家族は大きなリュックを背負っているので、幼い私も小さいリュックをしょって歩いたとの事、自分ながら頑張れて良かったと思う。」
「逃避行」2015,2,5ブログ参照
自分自身、何の意味もなく意識として遠い昔を自然に想い出し時々頭を過ぎる事がある。
幼い頃や小中時代の名前も忘れた悪ガキ仲間との出来事や意味もなくクラスメイトの女の子等。
高校及び青春時代やどうでもいい事など人生の「心の景色」として不思議である。
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歌手 菅原洋一の奥様が永い人生で一番心に残る大好きな主人の歌ですとの事(Tvの対談にて)
さよなら/歌
:菅原洋一/詞・曲:溝川辰夫
菅原洋一大好きな歌手ですが“さよなら”の歌は
はじめて聴きました。
とても美しく素敵で心を打つ歌ですね。
敗戦後引揚げていらしたそうですが、
年齢は上ですが私も引揚げ者です。(女学校一年)
(kazahana様コメント嬉しく拝見しました。
貴女様は私の姉と同年齢位と思います。
終戦時、引き揚げ者として時代の流れとは言え苦労されたお察しします。
その頃の姉の経験談を私のブログ「逃避行」2015,2,5に載せました。お暇の時観て下さい。
お身体に気をつけてお過ごし事お祈りしています。
コメント感謝です。有り難うございました。
手賀沼日記様いつも私のブログを観て頂いて感謝です。
認知症にならないよう頑張って何とか続けています。
これからもよろしくお願いいたします。