私は青春時代、空挺隊員になる為習志野で猛訓練を受けていた。高度500m時速300kの飛行機から飛び出す為、体力・精神力は勿論、着地 飛出し 落下傘操縦及び生命を託す落下傘点検等あらゆる事を厳しく教育を受けた。私達の教官は学習院大学で天皇陛下と同級生だったと言う俳優の松平健に似た、とても好感度のいい、男も惚れるかっこいい教官で、名前はHで階級は二尉「中尉」だったと思う。奥様も同大学出の後輩で、私も一度お会いした事があるが、素敵な美人で献身的なクリスチャンでとても優しくされた事を今でもはっきり覚えている。
H教官は教育の中でよく言ってたことが「細心にして大胆であれ」空挺隊員としても、此れからの長い人生においてもこの事を気持ちの中にしっかり刻む様にと教えられた。私はその後の人生の中でいろいろな場面でその事を思い出し、行動に注意した。また、私は長年自動車学校の教官をしたが、指導の中で同じ事をよく言った。「細心にしてかつ大胆に」要するに運転は細心に危険予測をして速度は出す所は出す、落とす場所はしっかり落とす。自分自身の運転もお蔭様で長年無事故である。 そのH教官が10年前亡くなったと噂を聞いた。私にとってH教官は人生の師で心より感謝している。心の中で有難う御座いましたと手を合わせ頭を下げた。
写真は航空自衛隊木更津基地にて(20歳の頃)私は空挺隊員になる為習志野で猛訓練を受けていた頃。
空の神兵 陸上自衛隊 第一空挺団 同期の桜(空挺29期生)と私前列右
楽しく先輩のブログを拝読しております。
「空挺隊員の心構え」今でも覚えております!
中でも「徹底的実行」の項目は、30年近く前に除隊して以降、私の心の支えになっております。
曰く、「空挺隊員は、事を行うにあたっては徹底的に実行しなければならない。その為、事前に周到な思慮を廻らし、準備の完全を期するよう習慣付けなければならない。」と戒めております。
民間の会社や自営業においても、大変有用な心構えです。他者と競争をする前に、先ずは自分自信を律して自己に勝たなければ、他者との勝負など出来ません。武道の達人である先輩に対して甚だ僭越ではありますが、私自身を常に戒めるためとご容赦願います。振り返ればこれまで人生において大事な決断をする際、いつも自衛隊時代に輸送機の空挺扉から力強く踏み切って空に飛び出す瞬間を思い描いていた気がします。
「落下傘降下の心構え」は、
確実・機敏・細心・大胆・協同、と記憶しております。
空挺が空挺たる所以は、徹底的かつ正確な基本動作の実施だと思っております。基本教練然り、自衛隊体操然り、空挺式体力向上運動然りですね。
了
ブログに公開させて頂きました。
ありがとうございます。
著名な小説家の浅田次郎先生は昭和40年代、当時市ヶ谷駐屯地に配置されておりました、32普連に2任期、4年間在隊された経歴をお持ちです。浅田先生のご著書に「歩兵の本領」(講談社文庫) という、自衛隊を材題とした小説があります。浅田先生の自衛隊時代のご経験にフィクションを混ぜ合わせた話しですが、架空の人物たる主人公が任期満了で自衛隊を去る場面が、小説のエピローグとして描写されています。以下、引用です。
「憂いは残すな。立つ鳥後を濁さず。きちんと返納するのは小銃や銃剣ばかりではなかった。返納しきれぬ思いのすべてを、先任陸曹は私の胸からきれいさっぱり片付けてくれたのだった。」
「変わりゆく時代の中で、反動と呼ばれようが偏屈者と罵られようが、かつて軍人であった矜りを捨ててはならなかった。銃も銃剣も国に返したが、返納してはならなぬ歩兵の本領を、老いても尽きぬ背骨に、私はしっかりと刻みつけていた。」
遠い昔、私が10年間青春の時を燃焼させた陸上自衛隊 : 空挺団を去また日の光景や心情が蘇る文章です。 了
成田街道様 コメントありがとうございました。
先輩が半年間臨時勤務をされたのは、東方総監部の作戦担当部署ですね!頭脳明瞭でなければ務まらない勤務地です。その当時も私が在隊間も防衛庁本庁は六本木 : 檜町にあり、市ヶ谷台には東方総監部と32普連が所在しておりました。
私などはよく上官から「お前の頭はただの帽子掛け、首から下で勝負しろっ!」と言われておりましたので、半年以上の他部隊勤務は板妻の陸曹教育隊、朝霞の体育学校くらいしか経験がありません。
浅田次郎先生の「歩兵の本領」、2004年4月の発行ですから、今は多分ブックオフで探されるのが良いかと存じます。文庫本で9つの短編を収録しています。
フィクションですがところどころに浅田先生の自衛隊時代のご経験や感じたことが散りばめられており、キラリと光る文章が出てきます。
以下引用です。
「制服を脱いだあとも、私は帝国陸軍の昔から変わらぬ歩兵の赤い兵科章を、背広の襟に飾って生きるのだと思った。この先の人生は散兵線にちがいなかった。」
また最期の解説の中に、「先輩、同期に見送られ、越えたくても越えられなかった柵を出て行く彼の姿は、戦後の日本そのもののような気がする。」 と添えられております。
小説の構成や題材を含め、娑婆と隔離された世界を経験したことがある人間にしか表現出来ない文章であると思います。
昼休みのひと時、また先輩のブログを楽しませていただきました。了
とんでもない頭脳明瞭なんて、私は雑用のお茶くみの様なものです。終戦直後ロスオリンピックで日本人が歓喜した水泳の古橋、橋爪両選手の橋爪一佐に会えた事や激戦の沖縄で中隊長していた皆本二佐の体験話など夜居酒屋でまだ若い候補生の私にいろいろ聞かせて下さり素晴らしい思い出となっています。陸軍士官学校出身本間、田茂二佐共の人生体験談も聞く事が出来、総監部勤務は私の人生にとって最高の勉強となりました。
成田街道様、少し年代は違いますが、20代の青春時代お互いに懐かしいですね。