震災発生から一ヵ月がたちました。
ちょうど一ヵ月前のいまごろ(午後三時半ころ)、わたしは家で仕事をしていました。
一段落ついて、テレビをつけると、すでに大地震発生のニュース速報がながれていた。
そして、津波の映像。あの恐ろしい映像。アナウンサーも言葉をうしなっていた。
リアルタイムであの映像を見た人たちのなかには、衝撃の大きさに精神状態が不安定になってしまった人も多くいたようです。
わたしも、そうでした。
しばらくのあいだは、ただ驚愕だけがあって、あまり深くかんがえなかった。一種の思考麻痺状態になっていたのかもしれません。とにかく、大きなことが起きてしまった、という、ふわふわした感覚だけがあった。
それから、3日、4日、5日とたつうちに、だんだん苦しくなってきました。
一日中流れるニュースを見ているのが耐えられず、でも見ないでいることはどうしてもできなくて。
安否情報が不足するなか、いろいろな避難所からのビデオレターが、テレビで放送されはじめた。
お国ことばで、遠くに住む家族や友人に語りかけるひとたち。本来ならば、完全にプライベートであるはずの通信を、完全にパブリックな場であるテレビで、全国民が共有した。「元気でやってるから心配しないで」と、涙をこぼしながら誰もが言っていました。
いまだかつて見た事のない映像。極限状態におかれた、ごくふつうの人々の、生の声。生の顔。そのすべての顔はとてつもなく美しく、耐えがたいほど悲しかった。あのひとたちの苦しみにたいして、何をすることもできない自分。その無力感。
ある日、迷いながら、映画を観に行きました。『ブンミおじさんの森』というタイ映画です。
なぜ自分はいま映画館なんかでのんきに映画を観たりしてるんだろう、と、ぼんやりして、なかなか集中できなかった。だけど、映画はすばらしかった・・・
タイ東北地方の森に暮らすブンミおじさん。腎臓がわるくて、毎日透析をしないと生きていけない。そんなおじさんの前に、十数年前に死んだ妻の幽霊があらわれる。死んだころのままの若々しい妻は、まるで生きてもどってきたかのように、おじさんやその友人たちとふれあい、しずかに思い出話をする・・・
悲しみと、笑いと、あたたかさがいりまじる不思議な気分で映画館を出て、喫茶店にはいると、別の映画を観に来ていた先輩に偶然会いました。コーヒーを飲みながら話をしていて、地震の話題になったとき、じぶんでもまったく予想のつかないことでしたが、急に感情がたかぶり、嗚咽しました。
それはほんとうに一瞬の感情の爆発だった。そのとき先輩がやさしく背中をさすってくれた手のあたたかさが、それまでの数日間ためこんでいた苦痛を、いっきに解放してくれました。それ以来、わたしはなんとかだいじょうぶになれた。
被災地からとおくはなれた場所にいる人間だから、こうしてだいじょうぶになることができる。けれど、被災者にとっては、どうなのでしょう。
一ヵ月たっても、なかなか状態が改善しない場所がまだたくさんある。その被害は、さまざまな連鎖反応をもうんでしまっている。被害の規模が、あまりにも大きすぎ、どこからどうメドをつけていけばいいのかわからない状態です。原発の処理にかかりきりの政府は、はなからあてにならない。
いまでもときどき、ニュースや新聞を見るのがつらくなることがあります。被災者のひとりひとりがかかえる大きすぎる悲しみを、わたしみたいにちっぽけな人間にはとても共有しきれない、と、逃げ出したくなることもある。
われわれが映像で見ているのは、きっと被害のほんの一部、表面でしかない。避難所では多くの被災者がインタビューにこたえているけれど、カメラが映さないところで、インタビューを拒否するひとたちだっている。あるいは、カメラではとても映せないような想像を絶する苦悩も、あるでしょう。
「希望の光り」「改善のきざし」として報道される映像の影には、想像をはるかにこえた苦しみがある。せめて、その事実から逃げないこと。いま自分にできるのは、それくらいしかありません。
このブログでは、なるべく悲観的なことは書きたくないと思っています。不安の煽動者にだけは、なるつもりはないからです。だから、過剰な自粛もするべきじゃないと、最初から書いてきました。
ただ、自粛をしすぎないということと、震災をわすれることとは、ちがう。そんな気がしています。犠牲者への想いを、忘れずにいきたい。起きてしまった震災を、なかったことにはできません。うしろむきになるわけじゃなく、ただ、忘れないように。
悔しいけど、いますぐ自分になにかができるわけじゃない。こんなブログでほそぼそとつづる言葉なんかが、いったい何の役に立つだろう?
でも、これから数年、数十年と、この傷をかかえてすすんでゆく道のりのなかで、忘れずにさえいれば、自分にもいつか、どこかで、なにかができるかもしれない。自分自身の傷と、あのひとたちの傷が、いつかどこかでかさなりあう時がくるかもしれない・・・
いまは、そういうきもちです。そうかんがえてやっていく以外に、ない。
とんねるずのハンマーオークション、放送日はまだ決まらないようですね。
先週木曜日に収録がおわって、おそらくいまスタッフのみなさん総出で編集作業中でしょう。
がんばってください!
ここ数日、なぜかいろいろな場所で何度も耳にする、ベートーベンの交響曲第七番。
第二楽章を、すべての犠牲者の鎮魂に。
第四楽章を、被災者が力強く進んでゆくために。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/cf/ae798ff7cd73cf79096351674d152e2e.jpg)
(カルロス・クライバー指揮 ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団)
ちょうど一ヵ月前のいまごろ(午後三時半ころ)、わたしは家で仕事をしていました。
一段落ついて、テレビをつけると、すでに大地震発生のニュース速報がながれていた。
そして、津波の映像。あの恐ろしい映像。アナウンサーも言葉をうしなっていた。
リアルタイムであの映像を見た人たちのなかには、衝撃の大きさに精神状態が不安定になってしまった人も多くいたようです。
わたしも、そうでした。
しばらくのあいだは、ただ驚愕だけがあって、あまり深くかんがえなかった。一種の思考麻痺状態になっていたのかもしれません。とにかく、大きなことが起きてしまった、という、ふわふわした感覚だけがあった。
それから、3日、4日、5日とたつうちに、だんだん苦しくなってきました。
一日中流れるニュースを見ているのが耐えられず、でも見ないでいることはどうしてもできなくて。
安否情報が不足するなか、いろいろな避難所からのビデオレターが、テレビで放送されはじめた。
お国ことばで、遠くに住む家族や友人に語りかけるひとたち。本来ならば、完全にプライベートであるはずの通信を、完全にパブリックな場であるテレビで、全国民が共有した。「元気でやってるから心配しないで」と、涙をこぼしながら誰もが言っていました。
いまだかつて見た事のない映像。極限状態におかれた、ごくふつうの人々の、生の声。生の顔。そのすべての顔はとてつもなく美しく、耐えがたいほど悲しかった。あのひとたちの苦しみにたいして、何をすることもできない自分。その無力感。
ある日、迷いながら、映画を観に行きました。『ブンミおじさんの森』というタイ映画です。
なぜ自分はいま映画館なんかでのんきに映画を観たりしてるんだろう、と、ぼんやりして、なかなか集中できなかった。だけど、映画はすばらしかった・・・
タイ東北地方の森に暮らすブンミおじさん。腎臓がわるくて、毎日透析をしないと生きていけない。そんなおじさんの前に、十数年前に死んだ妻の幽霊があらわれる。死んだころのままの若々しい妻は、まるで生きてもどってきたかのように、おじさんやその友人たちとふれあい、しずかに思い出話をする・・・
悲しみと、笑いと、あたたかさがいりまじる不思議な気分で映画館を出て、喫茶店にはいると、別の映画を観に来ていた先輩に偶然会いました。コーヒーを飲みながら話をしていて、地震の話題になったとき、じぶんでもまったく予想のつかないことでしたが、急に感情がたかぶり、嗚咽しました。
それはほんとうに一瞬の感情の爆発だった。そのとき先輩がやさしく背中をさすってくれた手のあたたかさが、それまでの数日間ためこんでいた苦痛を、いっきに解放してくれました。それ以来、わたしはなんとかだいじょうぶになれた。
被災地からとおくはなれた場所にいる人間だから、こうしてだいじょうぶになることができる。けれど、被災者にとっては、どうなのでしょう。
一ヵ月たっても、なかなか状態が改善しない場所がまだたくさんある。その被害は、さまざまな連鎖反応をもうんでしまっている。被害の規模が、あまりにも大きすぎ、どこからどうメドをつけていけばいいのかわからない状態です。原発の処理にかかりきりの政府は、はなからあてにならない。
いまでもときどき、ニュースや新聞を見るのがつらくなることがあります。被災者のひとりひとりがかかえる大きすぎる悲しみを、わたしみたいにちっぽけな人間にはとても共有しきれない、と、逃げ出したくなることもある。
われわれが映像で見ているのは、きっと被害のほんの一部、表面でしかない。避難所では多くの被災者がインタビューにこたえているけれど、カメラが映さないところで、インタビューを拒否するひとたちだっている。あるいは、カメラではとても映せないような想像を絶する苦悩も、あるでしょう。
「希望の光り」「改善のきざし」として報道される映像の影には、想像をはるかにこえた苦しみがある。せめて、その事実から逃げないこと。いま自分にできるのは、それくらいしかありません。
このブログでは、なるべく悲観的なことは書きたくないと思っています。不安の煽動者にだけは、なるつもりはないからです。だから、過剰な自粛もするべきじゃないと、最初から書いてきました。
ただ、自粛をしすぎないということと、震災をわすれることとは、ちがう。そんな気がしています。犠牲者への想いを、忘れずにいきたい。起きてしまった震災を、なかったことにはできません。うしろむきになるわけじゃなく、ただ、忘れないように。
悔しいけど、いますぐ自分になにかができるわけじゃない。こんなブログでほそぼそとつづる言葉なんかが、いったい何の役に立つだろう?
でも、これから数年、数十年と、この傷をかかえてすすんでゆく道のりのなかで、忘れずにさえいれば、自分にもいつか、どこかで、なにかができるかもしれない。自分自身の傷と、あのひとたちの傷が、いつかどこかでかさなりあう時がくるかもしれない・・・
いまは、そういうきもちです。そうかんがえてやっていく以外に、ない。
とんねるずのハンマーオークション、放送日はまだ決まらないようですね。
先週木曜日に収録がおわって、おそらくいまスタッフのみなさん総出で編集作業中でしょう。
がんばってください!
ここ数日、なぜかいろいろな場所で何度も耳にする、ベートーベンの交響曲第七番。
第二楽章を、すべての犠牲者の鎮魂に。
第四楽章を、被災者が力強く進んでゆくために。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/cf/ae798ff7cd73cf79096351674d152e2e.jpg)
(カルロス・クライバー指揮 ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団)
友人のお店で世間話をしていた所に地震が発生。
震度4との事でしたが時間にして2~3分。
それから数十分後津波3m。
夜、11時過ぎくらいにまた津波。
一晩中「高台へ逃げてください」とアナウンスが町に流れる。
幸い私の家は大丈夫でしたが、一部商業施設、飲食街のある区域が浸水。
今、こうして冷静に書き込める余裕があるのは有難いことです。
衝撃をあたえてしまうので直接表現は避けますが、
地震が起きて数日後に被災地に行って帰ってきた方の話によると、
信じられない光景が道端にあったそうです。
遺体の状況が。
その状況を聞くとTVだけでは伝わってこない(もちろんそんな光景報道できない)
悲惨さを感じ、よりいっそう重たい雰囲気になりました。
我々に出来る事。
自分の中では回答は見つからずモヤモヤした状態ですね。
「何か出来る事無いかな?」という気持ちを忘れずにということが漠然とあるだけです。
こればっかりは、実際に体験してみないとほんとうのこわさは実感としてわからないでしょうね。こうして直接お話を聞くだけでも、今後の支援への心構えが変わってくると思います。
映像でどこまで真実をつたえるべきか、というのはむずかしい問題ですね。少なくとも、報道される映像を見ただけで「すべて見た」と思いこんでしまわないことが、大事なのかも。
>自分の中では回答は見つからずモヤモヤした状態
わたしもです。
こないだ美輪明宏さんが「こういうときに必要なのは、泣いたりわめいたりすることじゃなく、冷静さと理知」だと言っていました。
また瀬戸内寂聴さんは「あの人たちをこれ以上不幸にしないで、と祈る念を強く持つだけでも、伝わる。誰かのことを強く思っていたら相手も自分を思っていた、ということは、よくあることだ」と話してました。