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歌え!だらリーマン

買った、使った、感想、評価

ローソンの仇をファミマで討つ

2007年06月19日 | 大人げない
ファミマカードの明細に「その他1100ポイント」が付いている。100ポイントは3月26日から5月31日までのキャンペーンで、ファミマカードを使って公共料金を2回以上支払ったらもれなくもらえたポイントだ。

あとの1000ポイントは記憶にない。過去のメールを調べたら

☆もれなく100ポイントプレゼント!
☆さらに抽選で100人に1人、1,000ポイントプレゼント!!

と書いてあった。100人に一人の抽選が当たったようだ。おーーラッキー。

去年の秋ぐらいまで、ローソンパスのポイントで抽選に応募すると、外れてもWチャンスといって、100ポイントがもらえていたのに近頃はWチャンスすら当たらなくなっていた。ローソンを恨めしく思っていたがその仇をファミマで討てた。

通信遍歴

2007年06月19日 | 雑談
草の根パソコン通信のころから現在に至るまで、私の通信環境のメモ。思い出しだし、適宜書き換えていくつもり。

1984~1985年ごろ、当時ボチボチ登場していた「草の根BBS」というものにアクセスしてみていた。音響カプラを使って通信速度は300bps。kbpsでもMbpsでもない素のbps。ホスト局側は人力応答。電話を掛けて相手が出たら「もしもし、通信お願いします」「はい」というやりとりがあって、その後お互いに音響カプラに受話器を突っこんで通信していた。そのため「夜8時から11時まで」などと通信できる時間帯が限られていた。そのころパソコン雑誌に音響カプラで自動応答する機械の製作記事が載ったりしていた。

このころPC-VANのテストサービスが始まった。サービス時間は朝から夜中の11時だか、1時だかとにかく深夜は止まるのである。今から思えば「なんだかな~」という感じもするが、当時の感覚だと企業のコンピューターサービスなら夕方の5時か6時に終了して当たり前、と思っていたのでそんな夜遅くまでやるってスゴイ、と感じた。

1985年アスキーネットに加入する。月刊アスキーのムックの申し込みページの一部を切り取ってはがきに貼ってIDを申請するのだったと記憶している。1985年の通信自由化にともなってモデムが出回りはじめた。それまでは電話回線には電電公社の工事した電話機しかつなぐことが許されなかった。だから最初は電話回線に直接機器をつなぐことはできず、音響カプラを使っていた。モデムを使い始めても回線速度は300bpsまたは1200bpsだが、1200bpsのモデムは10万円ぐらいしたように思う。

Niftyに入ったのは割と遅く、1989年らしい。2007年4月に「ご入会18周年ありがとうございます」というメールが届いた。

それからずーーーっとパソコン通信。固定電話の電話代がすごかった。パソコン通信をやっていると電話が使えなくなるのでこのころ電話を2回線引いた。途中、NTTのDDX-Pというサービスを利用したりもした。遠隔地からつなぐときに割安になるから。Tympasという通信サービスを使って、海外につないだり、逆に海外から日本のパソコン通信につないだりもしたことがある。世界中がほぼシームレスにつながるインターネットとは隔世の感がある。

1990年ごろLANのある部署に異動した。文字通りローカルエリアで、部内のファイルサーバーとプリントサーバーが使えるだけだった。それでもスゴイと思った。ファイルサーバーを読み書きするのはフロッピーよりも速いのである。今ならお笑い草の話だが当時は感激した。

パソコンにLANボードを追加する必要があって、LANボードの価格は10万円前後だった。しかも当時のLANボードは電力を大食らいするシロモノで、場合によっては別売のACアダプターが必要だった。

最初は10Base2と呼ばれる同軸ケーブルを使ったLANを使っていた。黄色いケーブルを使う10Base5よりは簡単だったが、今から思えばずいぶん不便な物を使っていた。サーバーOS、NetWareの値段が250ユーザー用で160万円ぐらいしたんじゃないかな。「1人当たりだと1万円以下ですよ」などという売りだったが、とにかく高かった。

確か1993年ごろ職場でインターネットにつなげられるようになった。しかしOSはWindows 3.1で、高価なTCP/IPのソフトを追加しないと使えなかった。なので自宅では引き続きパソコン通信。文字だけのパソコン通信なのでこのころまで1200bpsのモデムを使っていたように思う。もちろん世の中は9600bpsとか14.4kbpsとか28.8kbpsなどと高速化していたはずだ。

1995年頃、Windows 95になってから自宅でもインターネットをやりはじめた。しかしアナログモデムでは遅い。そこでISDNをひいた。Webページ自体、当時は画像も少なかったので64kbpsのISDNでもそこそこ使えた。

1997年か98年頃だったと記憶しているが、地元のCATVでインターネットにつなげられるというので契約した。初めてのブロードバンド。テレビの契約はしないでインターネットだけ契約していた。異端児である。速度は512kbps。今風にいえば0.5Mbpsである。「ISDNより8倍高速」というのが宣伝文句だった。月額料金は6000円ぐらいだったがつなぎ放題で「超安い!」と感動した。

CATVインターネットは、最初のころ、説明書には「つなげるのは1台だけですよ」と書いてはあるもののパソコンを複数台つなぐと全部使えた。しかもすべてのパソコンにグローバルIPが降ってくる。さすがにIPが足りなくなったらしく、技術的に1台しかつなげないような規制を始めた。

ルーターがあれば何台でもつなげるぞ、と思った。当時ISDNルーターはかなり安くなっていたのだが、ブロードバンドルーターを調べたら一番安い物でも12万円ぐらいだった。個人で買うような物ではなく、業務用の機器である。その後、子羊ルータという製品が5万円ほどで登場したが悩んだ末に買わなかった。Windows 98SEだったか、Windows 2000だったか記憶があいまいだが、LANボードを2枚刺しにすればパソコン自体をルーターとして使えるようになっていたためだ。

その後CATV会社がルーター狩りを行った。「ルーターは禁止、ルーターがあれば買い取る」というお触れが出た。買い取ってくれるとはいうものの、減価償却の計算をするというのだから二束三文である。

パソコンを複数台つなぐのなら追加料金を支払えという。1契約に500kbpsという制限を加えていながらパソコンの台数によって追加料金が発生するという制度は承服しがたい。複数のパソコン切り替えながら同時に使うのは1台だけ、ということもできないのである。たぶん、今はそんな制度は撤廃しているだろうと思うがテレビ屋さんの発想である。セットトップボックスの数だけ課金するということなのだろう。インターネット屋さんの発想がないのではCATVインターネットの将来はダメだと思うようになった。

2001年にソフトバンクがヤフーBBの8Mbps、月額3000円弱というサービスを始めた。ソフトバンクは当時から信用できない会社だと思っていたが、とりあえずCATVインターネットより安くなるし、高速化されるかもしれないと思って契約してみた。確かCATVインターネットも料金値下げをしたように記憶しているが、新しいサービスを使ってみたかった。

案の定ヤフーBBはトラブル続きだった。つながることもあればつながらないこともある。ADSLのリンクは確立していてもIPアドレスが降ってこない、なんてことがよくあった。でもその辺は、一度降ってきたアドレスをメモしておいて、DHCPに頼らずにIPアドレスを振るという(やってはいけない)ウラワザを使って回避してとりあえず使った。

でも不具合は不具合なのでクレームを付けていた。結局、完全に回復するまで半年以上かかって、その間料金を請求されなかったように記憶している。通信速度は4.7Mbpsぐらいだったかな。機嫌の良いときは5Mbps近い速度が出て、CATVから乗り換えてよかったと思った。

ヤフーBBはサポートがあまりにもタコなことを除けば、かなり長い間無料で使えたこともあってよかった。うまくつながっていれば何も問題はない。しかしソフトバンクはソフトバンクである。できれば避けたい。ほかの事業者がADSLをやっているなら乗り換えようとずっと思っていた。

2004年の末ごろ、ADSLで50Mbpsのサービスが始めるというのでイーアクセスに乗り換えることにした。IP電話込みで月額4000円弱。ヤフーBBよりは高くなるが少しは高速化するだろうと契約した。その結果約6Mbpsになった。50Mbpsにはほど遠いが一応高速化した。

2007年になって、そろそろ光に乗り換えようかと検討していたら、12MbpsのADSLなら月額2100円だというので乗り換えることにした。50Mbpsからのスピードダウンである。でも実効速度は低下せず乗り換えてラッキーだった。

借金返すぞ

2007年06月19日 | 雑談
残っている住宅ローンを一括返済しようと思いはじめた。前回2005年5月に一括返済したのは信託銀行の長プラ準拠のローン。それとは別のローンが残っている。2002年2月に住宅金融公庫の35年固定金利からに短プラ準拠の変動金利に借り換えたものだ。借り換え当初は金利1.5%ほどだったが、ゼロ金利政策解除以降、金利が上がりはじめ、今では2%にも達している。

2%となれば元本100万円につき利息は毎月1667円、元本1000万円なら1万6667円。毎月ニンテンドーDSが買えるのである。1億円なら毎月ハイビジョンテレビが買えるほどの利息を支払っているのである…そんなに借金はないけど。

やれポイントだ、マイルだ、などとチマチマ稼いだところで住宅ローンの利息の方がずーーっと大きい。しかし手続きをするのがメンドクサイ。返す金が足りているのかどうかを計算するのがメンドクサイ。でもここに書いてしまえば手続きを始めるような気がする。

修行……ですか?

2007年06月19日 | ツッコミ
読めば読むほど、行間に記者の「航空オタク蔑視感情」が満ちあふれている。航空機内で酔っぱらって暴言を吐いた男が書類送検された事件を取り上げた記事。乗務員や乗客にとっては迷惑きわまりない事件に違いはないが、男は逮捕されてもいなようなので、まぁある意味微罪だ。
酔っぱらい防止法:機内で暴言の男を書類送検 警視庁
 飛行機の中で酒に酔って暴言を吐いたとして警視庁東京空港署は19日、大阪府豊中市の元会社員の男(40)を酔っぱらい防止法違反容疑で書類送検した。機内での同法適用は極めて異例。「本当にすまないことをした」と反省しているという。

 調べでは、男は5月13日午後、鹿児島発羽田行き日航機内で、客室乗務員に「いつもおれが乗るときは隣の席を空けておけと言っただろう」などと大声を出し、顔をのぞき込んだ男性客(41)に「何だこの野郎」と怒鳴るなどした疑い。

 男は飛行機に乗るのが好きだといい、この日は伊丹-鹿児島-羽田-伊丹の1日旅行の途中、鹿児島空港内で足湯につかり、ビールをコップに1杯半程度飲んだという。【鈴木泰広】

毎日新聞 2007年6月19日 13時13分
読売新聞にも同じ事件が取り上げられている

しかし、毎日新聞記者の指摘は鋭い。「男は飛行機に乗るのが好き」「伊丹-鹿児島-羽田-伊丹の1日旅行」「ビールをコップに1杯半程度」などと、読売新聞にはない情報が盛り込まれている。行間は「オタク修行僧*がわずかのビールで情けない」と読める。しかも「会社員」と書いてあるのは毎日新聞。「この事件でクビになったんだな、ザマー見ろ」というのは行間に書いてあったのか、私の偏見か。

*修行僧:航空会社の上級会員になりたい、などの理由で1日に何往復も航空機に乗る人のこと。私もやってみたい。