この国民にしてこの政治家あり

政治家の汚職や無策について批判的な報道を目にするたびに批判の矛先が違っていると感じている。「この国民にしてこの政治家あり」。投票した有権者あるいは投票しなかった有権者、すなわちすべての有権者が責めを負うべきだろう。投票した、あるいは投票しなかったせいで今の政治家が選出されているわけだから。ひどい政治家によってひどい政治がなされているのならば有権者にとっては自業自得。

私の中の鈴木宗男、私の中の亀井静香、私の中の菅直人、私の中の古賀誠。私の中の松岡利勝。いま気付いたけど、私の中のJR西日本や私の中の三菱自動車もいる。
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都合の悪いことには気づかない

アスベストの健康被害にせよ、血液製剤のエイズ禍にせよ、メーカーの人間はかなり早い段階で気づいていたはず。でもそれを言い出すと社内から外されて自分の生活が危うくなる。人類(国民)を救うか自分(の生活)を救うかをはかりにかけると自分(の生活)が優先するんだろうな。私を含めて誰だって似たようなものだろう。だから歴史の上で同じ過ちが繰り返される。

だいたいどんなものでも多少は危険性や副作用があるもの。特定の製品を「危ない」と声高に叫んでいる人は、偏った特定の主義主張が背景にあるように見える場合もある。本当に危なくて叫んでいるのか、叫んでいる人がおかしいのか、早い段階で見極めるのは非常に難しい。特に自分の生活や利害が絡んでくると正しい判断はできない。害悪がありそうだとうすうす気付いても、自分の生活を支えているのであれば、「いやぁ~そんなに悪い物じゃないよ、あいつは変な思想を持っているから変なこと言っているだけだ」と、自分に言い聞かせそうな気がする。
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