この頃、頭の中がいつも何かを思い、
過去の出来事をつかんで次へ展開していたり、
一つの事に執着しています。
そんな騒がしい頭の中をどうにかしたいと感じるようになりました。
心は、いつも何か摑んでいなければ不安なのでしょうか。
そして、それを摑んでいることであたかも真剣に生きているような気分なり、
満足しているのでしょう。
心は静かがいいと思っているのに心は何かを摑もうとする。
思うようにならない心を皆さんも持っていると思います。
子育て中のお母さん、児のことを思い語りお世話をしていますよね。
でも、お世話はお母さんの心が今までに経験してきた事柄を通して児を見ていませんか。
それは、児の思い(感受性)と違うから不安が生じるのでしょう。
実は
児とお母さんの感じる事柄は全然違うのですから
お母さんの思うようにはなりませんし、それは当たり前なのです。
だって、違う思い(感受性)を持っているのですから。
一緒にいる一瞬(時)
ハートとハートを重ねて、1秒でもいいですから
中心に向かって集中して見てください。
お母さんと児の思いは違うけれど、
真の自己は同じことが理解できるようになります。
児の理解は、書物や経験豊かな先輩からの助言から得られることではなく、
お母さん自らが中心に集中することから得られるのです。
おっぱいを飲ませているときもハートとハートは重なりやすい状態です。
あれこれ悩みに振り回されることがないように実践してみてください。
私もまだまだ心は騒がしいですが、日々実践していきます。
過去の出来事をつかんで次へ展開していたり、
一つの事に執着しています。
そんな騒がしい頭の中をどうにかしたいと感じるようになりました。
心は、いつも何か摑んでいなければ不安なのでしょうか。
そして、それを摑んでいることであたかも真剣に生きているような気分なり、
満足しているのでしょう。
心は静かがいいと思っているのに心は何かを摑もうとする。
思うようにならない心を皆さんも持っていると思います。
子育て中のお母さん、児のことを思い語りお世話をしていますよね。
でも、お世話はお母さんの心が今までに経験してきた事柄を通して児を見ていませんか。
それは、児の思い(感受性)と違うから不安が生じるのでしょう。
実は
児とお母さんの感じる事柄は全然違うのですから
お母さんの思うようにはなりませんし、それは当たり前なのです。
だって、違う思い(感受性)を持っているのですから。
一緒にいる一瞬(時)
ハートとハートを重ねて、1秒でもいいですから
中心に向かって集中して見てください。
お母さんと児の思いは違うけれど、
真の自己は同じことが理解できるようになります。
児の理解は、書物や経験豊かな先輩からの助言から得られることではなく、
お母さん自らが中心に集中することから得られるのです。
おっぱいを飲ませているときもハートとハートは重なりやすい状態です。
あれこれ悩みに振り回されることがないように実践してみてください。
私もまだまだ心は騒がしいですが、日々実践していきます。