たぎつせも うきことあれや わがそでの なみだににつつ おつるしらたま
たぎつ瀬も 憂きことあれや わが袖の 涙に似つつ 落つる白玉
激しく流れる川の瀬にも憂鬱なことがあるのであろうか。私の袖を濡らす涙にも似た白玉が落ちて行くよ。
激流のしぶきを白玉に見立てての詠歌は 246 にもありましたね。
たぎつせも うきことあれや わがそでの なみだににつつ おつるしらたま
たぎつ瀬も 憂きことあれや わが袖の 涙に似つつ 落つる白玉
激しく流れる川の瀬にも憂鬱なことがあるのであろうか。私の袖を濡らす涙にも似た白玉が落ちて行くよ。
激流のしぶきを白玉に見立てての詠歌は 246 にもありましたね。
冬
おくしもの こころやわける きくのはな うつろふいろの おのがじしなる
おく霜の 心やわける 菊の花 うつろふ色の おのがじしなる
冬
置く霜が、菊の花をわけへだてするようなことがあろうか。すべて同じように置くにもかかわらず花の色褪せる様子がそれぞれなのは、菊の花一つ一つの思いによるのである。
第五句「おのがじし」は「己が為為」で「めいめいに」「それぞれに」の意。
やまざとに つくれるやどは ちかけれど くもゐとのみぞ なりぬべらなる
山里は つくれる宿は 近けれど 雲居とのみぞ なりぬべらなる
山里にこしらえた庵はさほど遠いというわけではないけれど、雲居のように遠ざかっていく感じばかりがすることよ。
山里の家が実際はそんなに遠いわけではないのに遠く感じる、ということですが、304 からここまでの歌に付された詞書が「恋」であることを考えると、そこはかなわぬ恋の相手の住む場所なのでしょうか。
あめふらむ よぞおもほゆる ひさかたの つきにだにこぬ ひとのこころを
雨降らむ 夜ぞ思ほゆる 久方の 月にだに来ぬ 人の心を
月夜にさえも訪れてくれない人の薄情さを思うと、雨の降る夜にはましてや、やって来てくれないのだろう。
ここまでの三首、独り月を眺めて訪れてくれない愛しい人を思う歌が並んでいます。おそらくは同じ一枚の屏風絵に付した歌なのでしょう。
こぬひとを つきになさばや むばたまの よごとにわれは かげをだにみむ
来ぬ人を 月になさばや むば玉の 夜ごとにわれは 影をだに見む
来てくれない人を月にしてしまいたいものだ。そうすれば夜が来るたびにせめてその姿だけでも見ることができるから。
第五句の「だに」は、近くに寄ったり会話したりできなくてもせめて姿だけでも、との思いでしょう。つれない相手に対する切ない心情ですね。
この歌は新勅撰和歌集(巻第十五「恋五」 第954番)に入集しています。