漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0969

2022-06-25 04:37:09 | 古今和歌集

いまぞしる くるしきものと ひとまたむ さとをばかれず とふべかりけり

今ぞ知る 苦しきものと 人待たむ 里をば離れず とふべかりけり

 

在原業平

 

 今になってようやくわかりました。人を待つのは苦しいことだと。自分を待っていてくれる女性の里に、途絶えることなく通うべきだったのですね。

 詞書には「紀利貞が阿波介にまかりける時に、馬の餞せむとて、今日と言ひ送れる時に、ここかしこにまかりありきて、夜ふくるまで見えざりければ、つかはしける」とあります。「馬の餞」は送別の宴。そこに来るはずの紀利貞が夜更けになっても来ないので詠んで遣わした歌ということですが、やって来ない自分を待っている女性のつらい気持ちがようやくわかったと、自身の「反省」を詠んでいるところが面白いですね。伊勢物語では第48段収録です。


古今和歌集 0968

2022-06-24 06:01:49 | 古今和歌集

ひさかたの なかにおひたる さとなれば ひかりをのみぞ たのむべらなる

ひさかたの なかに生ひたる 里なれば 光をのみぞ たのむべらなる

 

伊勢

 

 月の中に生育する桂の名を持つ桂の里に住んでおりますので、月の光のような中宮様のご威光だけを頼りにしているのです。

 詞書には「桂にはべりける時に、七条の中宮とはせたまへりける御返事にたてまつれりける」とあります。月には桂が生えているという中国伝来の故事を踏まえての詠歌で、01940463 も同様ですね。「七条の中宮」は第58代宇多天皇の中宮温子のこと。初句の「ひさかたの」は月にかかる枕詞ですが、ここではこれ自体が月を指します。

 


古今和歌集 0967

2022-06-23 05:53:31 | 古今和歌集

ひかりなき たににははるも よそなれば さきてとくちる ものおもひなし

光なき 谷には春も よそなれば 咲きてとく散る もの思ひもなし

 

清原深養父

 

 光のささない谷には春も無縁のものなので、花が咲いてすぐに散るのを心配するような思いをすることもない。

 詞書には「時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、みづからの、嘆きもなくよろこびもなきことを思ひてよめる」とあります。「時なりける」は栄華栄達のことで、それを失って嘆いている人を見て、そのような嘆きもそもそも栄達の喜びもない自身を顧みての詠歌ですね。


古今和歌集 0966

2022-06-22 05:14:52 | 古今和歌集

つくばねの このもとごとに たちぞよる はるのみやまの かげをこひつつ

筑波嶺の 木のもとごとに 立ちぞよる 春のみ山の かげをこひつつ

 

宮道潔興

 

 筑波山の木ひとつひとつに立ち寄っています。春の山の蔭を恋しく思うように、東宮のご加護を願いながら。

 詞書には「親王の宮の帯刀にはべりけるを、宮仕へつかうまつらずとて、解けてはべりける時によめる」とあります。「親王の宮の帯刀(たちはき)」は親王の身辺の警護にあたる役職、「春のみ山」は「春の宮」、すなわち東宮(皇太子)を指しており、その「かげ」=「加護」ですね。怠慢により役職を解任されたときに詠んだということで、反省して主の許しを願う歌というところでしょうか。
 作者の 宮道潔興(みやじ の きよき)は詳細不明ですが平安時代前期の官人。勅撰集への入集は古今集のこの一首のみです。


古今和歌集 0965

2022-06-21 06:56:17 | 古今和歌集

ありはてぬ いのちまつまの ほどばかり うきことしげく おもはずもがな

ありはてぬ 命待つ間の ほどばかり うきことしげく 思はずもがな

 

平貞文

 

 いつまでも生きていることができず、命の終わるのを待つ間くらいは、あれこれといやなことを考えずにいたいものだ。

 0964 に続いて、職を解任されたことに伴う歌のようです。なので「命待つ間」は、例えば病を得て具体的に余命いくばくもないということでは必ずしもなく、生は死にいたるまでのわずかなはかない時間との、当時の一般的な認識の表現と思われます。