よのなかを いとふやまべの くさきとや あなうのはなの いろにいでにけむ
世の中を いとふ山辺の 草木とや あなうの花の 色に出でにけむ
よみ人知らず
世の中を厭わしく思う山辺の草木にようになった私は、そこに卯の花が咲くように、ああいやだという気持ちが表に出てしまっているのであろうか。
第三句の「う」が、「あな憂」と「卯の花」の両義になっています。両者の関係が今一つ良くわかりませんが、「う(卯)」の花が咲いて表に出てくるように、「う(憂)」な思いが表に現れてしまう、というところでしょうか。