漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0783

2021-12-21 19:20:23 | 古今和歌集

ひとをおもふ こころこのはに あらばこそ かぜのまにまに ちりもみだれめ

人を思ふ 心は木の葉に あらばこそ 風のまにまに 散りも乱れめ

 

小野貞樹

 

 あなたを思うこの心が木の葉であったなら、風に吹かれるま散り乱れることもあるでしょうけれど、実際は木の葉などではないので、ずっとあなたを思い続けているのです。

 ひとつ前の小町歌(0782)に対する返し。現代語の感覚では少しわかりづらいですが、第三句の「あらばこそ」は、「未然形+ばこそ」で順接の仮定条件を表す表現。「もし~であればきっと、」といった感じです。これがもし「あればこそ(已然形+ばこそ)」であれば順接の確定条件の表現(「~であるからこそ」)となって、こちらは現代語のニュアンスに近いですね。
 作者の小野貞樹(おの の さだき)は平安時代初期から前期にかけての貴族にして歌人。小野姓であり、小町とのこのやりとりから見ても小町の夫とも考えられますが、そもそもの出自はよくわかっていません。古今和歌集にはこのあと 0937 にも登場します。


古今和歌集 0782

2021-12-20 19:34:28 | 古今和歌集

いまはとて わがみしぐれに ふりぬれば ことのはさへに うつろひにけり

今はとて わが身時雨に ふりぬれば 言の葉さへに うつろひにけり

 

小野小町

 

 もうお別れということ。私の身はあなたにとって古びたものになってしまったのでしょう。時雨が降って木の葉の色がうつろうように、あなたの言葉も色あせてしまいました。

 「ふり」は「古り」と「降り」の掛詞。小野小町はこの語法が好きだったのかもしれませんね。この一語によって、「時雨が降ったので木の葉が色あせる」情景と「相手にとって古びてしまった自分なので相手の言葉が色あせる」という自身の境遇とが、見事に重ね合わされています。この次の 0783 に返しの歌があることから、この歌で思いが向けられている相手は小野貞樹(おの の さだき)であることがわかります。二人を夫婦と見る向きもありますが、良くはわかっていません。

 

 


古今和歌集 0781

2021-12-19 19:25:51 | 古今和歌集

ふきまよふ のかぜをさむみ あきはぎの うつりもゆくか ひとのこころの

吹きまよふ 野風を寒み 秋萩の うつりもゆくか 人の心の

 

雲林院親王

 

 吹き乱れる野風が寒いので、秋萩の色が褪せていく。それと同じように人の心も移ろっていくのでしょうか。

 第三句「秋萩の」と第五句「人の心の」の双方が第四句「うつりもゆくか」の主語になっているという表現法。三十一文字という厳しい制限が多用な表現技法を生んでいることを実感させてくれますね。
 作者の雲林院親王(うんりんゐんのみこ)は、第54代仁明天皇の第七皇子常康親王のこと。寵愛を受けた天皇の没後、出家して雲林院(京都市北区に今も残る臨済宗の寺院)に隠棲したことから、雲林院と号しました。古今集への入集はこの一首のみです。


古今和歌集 0780

2021-12-18 19:36:58 | 古今和歌集

みわのやま いかにまちみむ としふとも たづぬるひとも あらじとおもへば

三輪の山 いかに待ち見む 年経とも たずぬる人も あらじと思へば

 

伊勢

 

 三輪の山で、どのようにしてあなたを待ちましょうか。何年経っても、訪ねてくる人などいないと思いますけれども。

 詞書には、「親しい間柄であった藤原仲平との関係が冷めてしまったので、父が大和守をしている場所に行くとして詠んで贈った」とあります。「三輪の山」は大和国、今の奈良県にある山ですね。単に、これから行く行き先にあるというだけでなく、「訪ねて来る人を待つ場所」として詠まれた 0982 の歌を踏まえているとされています。

 

わがいほは みわのやまもと こひしくは とぶらひきませ すぎたてるかど

わが庵は 三輪の山もと 恋ひしくは とぶらひ来ませ 杉立てる門

 

よみ人知らず


古事記と日本書紀

2021-12-18 06:21:40 | 古今和歌集

 古今和歌集 0777 の記事に、コメントで古事記と日本書紀についてのご質問をいただきましたので、記事にさせていただこうと思います。どちらも神話時代から初期の天皇の時代までを記述した歴史書であり、したがって共通点も多いですが、異なる部分を中心にできるだけ簡易に書いてみたいと思います。

 

古事記

 現存する最古の歴史書で、成立は712年。「現存する最古」なので、現存していないもっと古い歴史書として、古事記のもととなった「帝紀」「旧辞」などがあったとされています。また、古事記は現存していると言っても原本が残っているわけではなく、いくつかの写本が伝わっているにすぎません(この点は日本書紀も同じです)。
 日本書紀との違いの一番大きな点は、日本書紀が天皇の勅命によって編纂された「正史」であるのに対し、古事記は「野史」であることでしょう。とは言っても、古事記の序文には天武天皇が「帝紀を撰録し、旧辞を討覈(とうかく)して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ」と詔したとの記載がありますので、古事記の編纂にも時の天皇の意思が働いてはいたのでしょう。
 記述されている期間は神代~第33代推古天皇の時代まで。ちなみに、和歌の始まりとされるスサノオノミコトの歌

八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

が記載されているのも古事記です。

 

 

日本書紀

 720年成立の日本最古の正史。神代から第41代持統天皇の時代までを記述した全30巻の歴史書です。この日本書紀を端緒として、平安時代初期にかけて6つの一連の正史(「六国史」と総称されます)が編纂されたことでも、時代を画する史書であったことがわかります。ちなみに、六国史の2番目の書名が「続日本紀」であることから、「日本書紀」の書名はもともと「日本紀」であったとの説もあります。また、日本書紀には序文などがなく、それ自体からは成立年はわからないのですが、「続日本紀」に歴史的事実としての日本書紀編纂の記述があり、それを根拠に720年成立が通説となっています。

 

 とりあえずこんなところでしょうか。なお、ご質問にあったイザナギとイザナミは古事記と日本書紀、どちらにも記述があります。これ以外にも、どうして「古事記」は「記」で「日本書紀」は「紀」なのか、などは調べるとなかなか面白いですが、長くなりますのでそれはまたの機会とさせていだきましょう。(最後の点は、「古事記と日本書紀の「記」と「紀」は何が違う?」と題した、ある学習塾のサイトの記載がわかりやすくて面白いです。ご参考まで。)