今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

退院日が1日早かった。(加筆版)

2018年07月13日 | 飲食業
1002記事目(PC画面で左上の全メニュー(←クリック)に載せてはいないシークレット記事があり、本当は1000記事目の予定だったので

その記念すべき(?)1000記事目がこれでいいのか?って。

実は、退院してきました。
本当は、明日病院を出る予定だったけれど、どうも1日早くなってしまって
(自分も入院していても忙し過ぎて、曜日が解らなくなっていた、術後なのにあまりにいろいろ有り過ぎて、1日ぐらいは空を観てゆっくりしたかったなーって)

恐らく、もう今までみたいに料理は作れない、いや作る事は作れるけれど・・・、
こだわりなく様々なモノを作って、
あらゆる方向からアプローチをしてきたけれど、
もう、こだわって好きな物で、無理しない程度で良いのかな?って。

昔、重い病気(疑い)、怪我だったか、両親が交互に癌で店を1人で仕切り切った時だったかな?があった時、
昔の職場で憧れていた超カッコイイ職場の先輩が、
「きっと神様が休めってことですよ」
と、この言葉を、
送って下さった事があって、
そういうことなのかなーって。

 ※創作料理だけなら千でも万でも出せるが、伝統料理を組み込んだり応用していったりすると、今更になって心身に入れていく作業は結構大変だった(現代の火力や現代の素材・日本の素材に変換してよい部分と、してはいけない部分とがあったから、やはり本質からズレるとその後、ずっとズレてしまう)。

一生、勉強だし、知識なんて無限に出てくるし、
1つやれば1つ又、課題が表れる。
そんな中で、急ぎ過ぎているなぁとは感じていたんだ。

壁を必死で超えた所で、見えた事、深く掘り下げる事が出来た事も多々あるが・・・
これじゃあ「亢竜悔いあり」だなーって。
若い人達にはこうなって欲しくないし、
共に皿洗いをして下さる人々や、同じ職場で共に汗を流して下さる人々を、人間をこうなるまで壊して欲しくはない。

企業ならパワハラより解りヅライ、「ジタハラ」とか。

「テメッ、コノヤロー」とか言われている分には、嘘は吐かれない(というか吐けない)、
でも仕事でイタズラや嘘を吐かれると、
小さな嘘が波及して、現場や末端の人々に届く頃には、大災害を引き起こす事が非常に多い事を、国と民間の下の両方から観てきて、
(出版社の社長はそれを「複眼を持て」と言い。優秀な希望に燃えた同期達は「組織は(倫理的に)何か間違っていないか?常に反対から見なければならない」と私に教えて頂いたりくれたりした)

小さなイタズラや嘘が、大災害に繋がっていく過程のスピードが末端に居ながら肌で解るまでになっていた。
(敢えて現場に近い末端で観ているから解る事なのかもしれないが)

他人事の人は、誰かが怪我をしても「想定外」で済ましてしまうけれど、
事故の原因って必ず、その前の段階から、なんとなく観えるモノなんだ。
自分の事は見えなくても(笑)

今後出す記事も、以前作っておいた、下書きの記事を予約投稿で出稿するだけで、今実際に食べているモノではありません。

なので、今後は、メディアとしての公平性・公正性を欠くことになるから、様々なアプローチはもう恐らく終わりです。

1度ぐらいはユックリしたい。
本当に先輩が言うように「ゆっくり休め」と言われている気がします。
新しい生活・新しい人生・新しい目標・新しい使命感みたいなもの(←休んでねー)に頑張って慣れていかないと。

 ☆なんにも画像が無いのではクリックして下さった人に失礼なので、種子島にH-ⅡA19号機を撮影に行った時の画像。
カメラとかマジでよく解らないけれど、知識ゼロから必死に詰め込んで、
7kmの距離を安いコンパクト・デジタルカメラと3000円(1500円だったかな?)の三脚で撮影に成功した時の写真を載せておこう、かな?、、、


(プロの写真家と近くに居た大学生の写真倶楽部の人に「この機材で・・・、マジかよ?」って誉めてもらえたが、どうもカメラは苦手で一過性で終ってしまった、やっぱり取材をしたり文を書く方が楽しいや、そういう意味では記者は天職だった気がするが、メディアリテラシーを知らないまま記者をやるとお金の為に取材をし記事を出してしまうようになるので、頂けない営業はほぼ無かったからあのまま続けていたら世の中を滅茶苦茶にしていたかもしれないから、あの時は編集長一歩手前で身体を壊した疑惑で1歩退いていて良かったのかもしれないって後で実施の仕事に照らし合わせてジャーナリズムを勉強し直してからゾッとした、あのまま続けていたら組織の仲間や若い後輩達は守れても、世の中を無駄にかき回していたかもって、大きいメディアの記者さんが「これからは良い物と悪い物がハッキリ分かれて淘汰されていく」なんて教えて下さった時に、「そうかメディアは未来を推し進めるチカラがあるのか、それは悪い事にも良い事にも使えてしまう」と気付いた時から記者としての動き方が変わっていった気がする)

この写真撮影に成功した理由は多分、
発射までのカウントダウンのシーケンサー音から、→点火→リフトオフ→発射までの時間が体内に染み付いていたからだと思う。

なーんてね。

H-ⅡAロケット取材記←クリック)

まいったなぁ~、これからは何かアートに凝ってみるかなぁ・・・
画とかカメラとか苦手なんだよ。
だから逆にデザイナーと仲が良いし、良い仕事が出来る(と思う)。



1日経って、いや、うん違うな。
感性の良い人達と良い仕事をする為に、何かで着飾ったり、知識で武装したりしないで、
敢えてセンスの良いモノと距離を取ってきたんだ。

カッサンドルやブルーナさんの様なグッと目に入るようなデザインは、
出版で使うかなと思って、少し興味を持ったけれど。
基本はナチュラルに物事を観たかったの。
(あまりマニアックになり過ぎずに)

先ずは、傷を治して、世話になってきた人達の為にも、応援してくれていた人達の為にも、
頑張って、リハビリと投薬・自己管理・その他etc・・・、いろいろあるけれど復活しないと(したいなと)。

といいつつ飛行機写真にハマってしまった。
(別に機材とかまだこだわるワケじゃないから上記H-ⅡA19号機を撮影した時と同じ、もう生産されていないコンデジなんだけれど・・・)


取材以外はワリとインドアな自分が唯一カメラって楽しいなって思えるようになったのが航空機撮影だった。
最初は良い写真を撮らないとって無理して何枚も撮っていて疲れたけれど、
ふと、もっと撮影する事自体を愉しめないかな?って(万事が万事なのかもしれないが)考え方を切り替えたら、
凄いラクになって、海風も感じられたし、楽しんだ方が良い写真を撮れる事に気付いてからハマった。

写真が好きな人とか撮影をする人達はこういう気持ちだったんだなぁ~
自らの足で観て・触って・感じて営業を稼ぐ、文字で表現する人には、対極的なものに感じていたけれど。
(対極的なスタンスだったから距離を保ててモノを観る事が出来ていたんだし、組織に入った時に優秀な同期が「組織は常に何か間違っていないか?反対か観る物だ」と俺に教えてくれた事は実践で間違っていなかったと思うんだ。
学校出たてでこれが自分の中から湧き出てくるって事の凄さを俺は感じたが、悪い事ばかりする理事は人間達の事を「今年は不作だ」と言ったが、俺はそうは感じなかったし、面接をした人事の人が優秀だったのだろう

実際、実社会で反対から観た方が追わなくても自然に結果が付いてきたし)

スタンスは取りながらも、少しは視野が拡がればいいなあー。


コメント
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