南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

友、去る

2010-03-19 19:29:43 | インドネシア
一つ、不思議なことは、また、納得できないことは、綺麗ではない工場では碌な製品ができない、という考え方です。ひらめきで、今までできなかったものができるようになった。チェック方法を思い付かずに、NG品を取り除くことができなかったのが、底工場では他にないチェック方法で、不良品を取り除くことができるようになった。ということと、工場が綺麗ということと。全く、別物だと思う。綺麗にするなら、お金をかけて、人を掛けて、きれいにすればいいのです。そこで、素晴らしい、他の会社ができない製品が、できる、出来ないは、人が違うし、綺麗とは全く関係が無いことだと思う。製品ができてから、綺麗にするなら、他の綺麗にする専門の人が来て、綺麗にすればいいことです。

 こういうことがある。原料を至急取りに行くためにトラックを借りて、早朝、出発させた。そのトラックが先方に到着する寸前に、会社のある事務の人が、そのトラックのレンタル料金が高いと言って、その人の許可なないと言って、キャンセルさせた。トラックは呼び戻され、安いレンタル料のトラックを借りて出直させることにした。
キャンセルしたトラックとこれから行くトラックが昼過ぎの会社へ到着した。しかし、相手先の倉庫は15:00に閉まってしまう。13:00ごろ出発しても15:00前には到着しない。だから、今日中に原料を手に入れることはできなくなった。今晩からの生産は原料が無くなってしまって、出来なくなる。早くいて明日の昼過ぎ再開になる。
手配が、遅れたことは、生産量の変化や注文の遅れであることだが極力、余裕を持って手配しておかなければならないことは承知の上で、今回は緊急だった。そのつもりで、手配したのに、

事情を知らない人がキャンセルしてしまった。私のサインは何だったのでしょうか。キャンセルしないで、今回は、そのまま、使って、次回からはその安い車を借りるようにすれば何事も起きなかった。だれも、不満が無かった。
ところが、キャンセルさせた本人は、荷物を載せる直前だったという話は、聞いていなかったという。インドネシア人のそこにいた人すべてが、目的地についていることを言い、そこから、キャンセルするのかと確認したと言っている。完全に、話が違っている。私はその人のインドネシア語は殆ど駄目だと思っているので、インドネシア人を信じる。

 PT,P社で、大活躍をした現会長の坂本氏と工場長で中を指揮った細野さんが今月いっぱいでインドネシアから去ることとなり、その、お別れ会がジャカルタのグランメリアで行われた。長きにわたって活躍されたので、知り合いの方も多く、たいへん盛大に行われた。まだまだ、会長は引退には早すぎるので、また、インドネシアへもどられるのではないかと予想します。
 ジャカルタ、ガトゥットゥスブロトの3イン1の手前の使われていないバスレーンを通って、ホテルに向かう。坂本会長を囲んで。
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