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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ぼちぼち

2013-05-15 23:05:38 | 仕事

 1580 ぼちぼち、話が纏まってきている。現在まで見積もりを提出したうちの二社からPOが入った。これで、客先は三社になった。量的、金額的には、少ないが、とにかく、誠心誠意、対応してゆくつもりだ。歳でボケてきたんじゃないの、と言われないように。

 

昨日も、ある会社から呼ばれて行ってきた。製品は明らかにできないが、聞くところによると、数年前とは、製造品の種類が替ってきて、以前、全売り上げの50%以上だった製品が、今は20%くらいになっている。他の製品が増えたこともあるが、減った製品は中国や台湾企業の進出によって、価格で対抗できなくなっているから、政策として減らさざるを得ないという。彼らがまだできない製品を増やすしかないという。要するに今までやっていたものに固執していたら、ジリ貧になってしまうから、新しい物の生産に変えていかなければならない、それができなければ、生き残れない、ということでしょう。

日本ではとっくに厳しい、インドネシアの安い人件費?を使っても厳しくなっているのです。これからの若い担当者は、大変だなと思う。

 

その増産する製品に使う押出し品の現地調達を考えているが、今、押出し品を調達している地元会社ではそれを作ることができない。また、日系企業にも三社当たったができないと言われた。そのうちの一社から私の名前が出たとか。それで、私が呼ばれたのでした。

 

お会いして、今までの経歴を話し、最近、インドネシアで作った製品を見せた。なんとなく、反応が今一だったが、ローカルスタッフに私を紹介しておくということだった。

 

それが、今朝、その会社のローカルスタッフが電話をしてきて、今から直ぐに会いに行きたいが都合はどうかと言ってきた。何だか、急ぐ話の気配がしたので、予定があったが遅らせて待つことにした。時間通り、やってきた。サンプルを持ってきた。昨日、日本人が言っていた、インドネシアでは作るところが無いという製品だ。持ってきたのは中国製だとか、ぜひ、身近から調達したいので、やってほしい、昨日、持って行ったサンプルの中に似たような製品があった。

 

それがまた、超急ぐ話で、売り出しのスケジュールが決まっていて、それに従って、中国からの輸入のスケジュールを決めてある、その注文を出す前に、太田さんにサンプルを作ってしまってほしい、そうすれば、中国に注文しないで済む、という話。一か月半後には、マスプロに入りたいという。無茶苦茶な話である。しかし、彼らの熱意は伝わってくる、何とかしてやりたい。その日程で、何とかしてやることにした。今まで、結構、悠長にやってきたが、他の仕事を含めて、少し、スピードアップをしなければならなくなってしまった。パンガンダランで遊んできた余韻が消し飛んでしまった。

 

 今日でぼちぼちは終わりである。もう営業はしばらく慎む。

 そういえば、ブロックMに“ぼちぼち”という日本食レストランがある。入ったことはないが、元の創造日本食の“塩梅”アンバイには何回か入ったことがあった。

 

あるレストランの昼食、焼きそばオムレツ定食ときつねうどん定食、どちらも税込みで5万Rp,私にはどちらも量がちょっと多い。でも、日本食にしては安いと思う。

責任 納期 品質

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(^_-)-☆タンゲランへ

2013-04-18 22:28:37 | 仕事

 1553 まだ、夜は大雨、久しぶりにタンゲランの交通渋滞の中に突入して、会社訪問をした。外環高速道路を使わずにジャカルタ、グロゴールからの一般国道を使ってみた。行きも帰りもタマンアングレックの横を通過する道である。10年以上前には、田舎から出てきてジャカルタへ行ったことがまだなかった従業員を十人以上キジャンに乗せて、ジャカルタ見物に連れてゆき、タマンアングレックでアイススケートをしたものでした。

1996年に初めてジャカルタを訪れた時に、空港からの高速道路で一番先に目にはいったのが、タマンアッグレックでした。今はその近辺から向かい側にも高層ビルが立ち並んでいるが、当時はこの付近にはこの四棟唯一だった。私にとっては、ジャカルタを象徴する建物です。今でも、このあたりを通るとジャカルタへ来たなと思う。

 

 タンゲラン方面に南進する、バスウエーが出来ているが、ほとんど無視されている、スディルマンなどのように厳格ではないらしい、バイクも車も普通に走っている。そして、トランスジャカルタバスの数は少ない。ほとんど、見かけなかった。フライ オヴァーの道が現れる、下道は信号が多いし、踏切があるので、上を通れば、時間が短縮できる。間もなく、左側に川が現れる。例の洪水の主原因になる川だ。川の名前は知らない。川には沢山の橋が掛かっていて、その向こうに工場がある、日系の工場も多い。しばらく行くと、高速道路の下をくぐる、外環高速道路だ、東へ向かえば、ジャゴラウィ方面、ビンタローやポンドックインダーの方向だと思う。そこを過ぎると、スカルノハッタ空港へ向かう道が右に現れる。距離的には直ぐそばだが、道は狭く、曲がりくねっていて、雨季には常時冠水する地帯なので、時間的には相当遠い印象になる道だ。

 

 またしばらく行くと、左に在った川を渡る橋になる、川が右になる。その手まえを右斜め前方に入ると、30年くらい前からインドネシアに進出しているいくつかの日系企業がある。ダンボール屋さんとかテキスタイルとか車の部品屋さんなどだが、この地の工場が手狭になって、別工場が必要になり、ほとんどの会社はジャカルタ、チカンペック高速道路沿いに第二工場、第三工場を持っている。

 

 その橋を渡るとタンゲランの町へ入ったという印象になる。勿論、ここまで来るのに、タマンアングレックに東側からムラックに向かう高速道路に乗れば、タンゲランの町の東側を通るし、リッポカラワチもタンゲランの中だ。このあたりには20年以上前からの工業団地がいくつかあり、日系企業と地元企業が混在している。道が狭くて、塀が高いのが印象的、やはり、車やバイクの部品屋が多い。私はその中の二社を訪問した。

 帰ってくるまでほとんど一日掛かってしまったが、久々にごった返したタンゲランを再び体験できてなんとなくホッとした。帰り道は大雨だった。

 

 チカラン方面からタンゲランへ行くには三つのルートがある。今日私が通った道、タンゲランの北側から入る。タマンアングレックの南側からムラックへ向かい高速道路を使う、タンゲランの東沿いに三つのインターがある。目的地に依って出口を間違わないようにしなければならない。もうひとつは、ブカシバラットを過ぎたところから外環高速に入ってボゴール方面だが、直ぐにポンドックインダー方面にむかい、ムラックへ向かい高速道路に入るルートです。タンゲランと言っても広いので、目的地によって、ルートを選択した方がいい。

 紹介 懐かし 面白い

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(^_-)-☆興味深い

2013-04-06 22:30:24 | 仕事

 1541 二年ほど前に工場建設を始め、操業を始めて一年くらい経過した会社を訪問した。ここも、どちらかと言うと、新興工業団地の中で、スルヤチプタの西隣。ミトゥラ カラワンという。某大手車の組み立て工場が操業を開始して間もない。その関連会社が同時かちょっと遅れて移転や新たに進出してきている。ここも、スルヤチプタの面積に匹敵するのかそれ以上なのか、奥行きは、どこまで行くのという感じ、約束の時間より10分ほど早く工業団地に入ったので、行く先を確認した後、奥の方へ走ってみた。5分ほど真っ直ぐ伸びている広い道路を行ってみたが、果てに達することなく、引き返した。

 

訪問先は、入口から近いところにあって、ま新しい赤で会社の名前が書いてあったのでわかりやすかった。早速、自己紹介から始まって、仕事の話、相手をしていただいた方の名前が、ユニークで縁起のよう方に会ったという印象。

多くの部品や原材料は日本本社に依存している。できるものから、現地調達に切り替えるつもりでいるらしいが、始まったばかりで、ほとんど、そこまで、手が回らないとか。依頼いただいたのは、今まで16年間、インドネシアでは一度も頼まれなかった原料を使う製品でした。原料を扱い商社の連中でも、それなに?と思ってしまう原料でしょう。半年ほど前にローカルの原料商社(その会社はインドネシアの資本会社と合弁なので、その縁だと思う)に見積もりを依頼したところ。一般的な原料を使う製品の価格は日本価格の三分の二くらいで出てきたのに。これだけ、日本から輸入している値段の10倍の価格が提示されたとか。信じられない話である。分けが分からないので、いい加減な回答をしてきたのでしょうねと話しておいた。

 

ということで、図面とサンプルとターゲットプライスを受け取った。日本本社が購入している値段で、円で表示された。それと同じ価格なら、輸入コスト分が安くなるし、手間と在庫の心配をしなくていいので、OKだという。

 

そのターゲットプライスを見て、びっくりした。どんなことでびっくりしたかって?ターゲットプライスの意味をなさないからでした。高い!!図面に、消してあったが、他の似たような原料の再生70%と指定原料30%を混ぜた原料でもいいと、分けのわからないことを書いてあるし、寸法公差も最初±0.2だったのが、±0.3に直されている。この製品を作っている日本の会社、技術程度がよっぽど低いのでしょう、収率が悪いのでしょうね。

 

この近代的な工業団地への行き帰りにカリマラン川沿いの道を通る、どうですか、こういう生活がインドネシアの実態です。カマールマンディが並んでいる。

 特殊 大丈夫 輸入

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(^_-)-☆初出荷

2013-01-21 22:31:19 | 仕事

 1467 ようやく、始まりが始まった気がする。この会社から初めての出荷をした。時間がかかる、話があってから約三カ月である。私が手掛ける仕事は、話があってから最低出荷まで三カ月くらいかかるのが普通である。今回の仕事も昨年9月に見積もり依頼があったものだった。もうひとつ同じ時期に依頼がったものは、11月末にサンプルを提出してあるが、日本のOKを取らなければならないらしく、未だに返事がない。いつ評価が出るのか、こちらの人にも分からないという。待つしかない。或いは、そんなに急いでいないのかもしれない。そんなものだ。

12月中に二点、今月に入って三点、見積もりを提出してある。それらについても、いつ、見積もりについての返事はないし、金型製作依頼がいつ入るのかも全く分からない。それぞれの製品はインドネシアには生産している会社はない、すべてが、すでに書いたように、日本や中国やタイや台湾から輸入しているものである。中には、新しく、提案する製品の部品として組み込まれる予定の物もあって、採用されるかどうかも、分からないものもある。

とにかく、来る時は纏めてきたりもするので、なかなか、見通しというか、予定というか、計画を立てることができにくい。

それでも、見積もりを出してある製品が、今のままでは装置的に対応できないものもあるので、来ても来なくても、できるように準備をしておかなければならない。来たときに、実はできませんでは、洒落にならない。また、キャパシィティについても同じこと、一杯でできませんでは話にならない。なお一層の増設も考えておかなければならない。新たな投資も視野に入れて準備をする。何だか、余計なことで、やらなくていいこともしそうな気がする。店じまいというか、終わりが見えなくなりそうだ。

 

ブンガ トランペットだと言っていた。なるほどと思うが、本当かどうかは知らない。

見通し 不安 これから

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(^_-)-☆出来るかなあ

2012-07-01 23:39:12 | 仕事

  1263 自由を謳歌し、エンジョイを続けているが、そろそろ、仕事の準備を本格化したいと思っている。と言えども、まだ、使いたい装置が無いので、製造は先になる。装置が入ったら直ぐ試作が出来るように、原料のこと、デザインのこと、後加工のこと、包装のこと、何より、店頭への置き方について、工夫をしなければならない。売れる、売れないはプロモーションというかデモンストレーションにかかっている。いくら、製品に自分が惚れても、他の誰もが出来ない製品であっても、売り方が重要なのは、今まで、色々な商社的仕事で成功してきた会社を見てきて、分かっている。その製品の好い特徴を知ってもらうにはどういう方法が良いのか、それぞれの商品の特徴による。先ず使ってもらわなければ、良いところを知ってもらうことはできない。

 

以前にも触れたことがあるが、私は営業の仕事をしたことが無い。根っからの技術者と思い込んでいる。人が出来ないことを出来るようになる、あちこち、出来るところを探しまくって、出来るところが見つからないお客さんが、私のところへ来て、できますか、と、聞いたときに、できます、と、答えるのが、私の趣味でした、快感でした。そして、実際作って、喜んでもらえるのが、なお一層の喜びでした。それが、営業をしないでも充分原料メーカーや原料商社から話が持ち込まれる理由でした。技術の信頼を得ることが利益の拡大に繋がったのです。ということですが、商品を売りたいのではなく、技術を売りたいのですから、営業のしようが無かったのです。

 

インドネシアでは、技術を伝えることが目的で来たのですから、お客さんが現れて、その製品を作ることによって、手本を見せて、技術を伝えてきたのです。当然、場所を借りている会社にはほどほどの利益を上げてもらっていました。その為の営業は一応しました。押出しの仕事をします。日本から輸入している押出し製品を使っていそうな会社へ伺って、私にやらせてくださいと。沢山あるわけではないが、どの会社も、私が現れる以前に、インドネシアで出来るところを探していたのです。だから、できるならぜひやってほしいという状態でした。それらを、ことごとく、作り上げて、インドネシア国内調達の比率を上げるお手伝いをしたのです。客先になりそうな会社を訪問したのは最初の一年だけでした。後は、日本での状態と同じで、こちらから仕事を求めることはしませんでした。

今でも、ぼちぼち、進出したばかりの会社から、作ってほしいという話はあります。

 

商品を売ることをいつかはやって思っていました。自分が、これはこの世の中の状態に合っていると思う商品です。その作戦を一人で練っているところです、インドネシアにはまだない商品ですから、売り方によっては爆発的にインドネシアに広がる可能性はあると思うが、さて、どうなることでしょうか。その準備をはじめ出したというところです。

 

今朝6時ころ日が昇ったばかり、土曜日だというのに、既に、ラッシュになりつつあった。

隠し写真です。何がどこに、いるかわかりますか。

一番うれしい人から、コメントが入った。

商売 商品 技術

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(^_-)-☆Pangandaranへの勧め

2012-04-24 22:32:59 | 仕事

1195 パンガンダラン付近の地図です。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage010.html

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage008.html

半島を中心に東西40kmくらい、合計80kmくらいの海岸沿いと山側(北側)20kmのエリアー内に見どころが沢山あるし、広大な稲作地帯やココナツヤシやゴムの木のプランテーションの様にインドネシアらしい風景を見ることもできる。滝の形態も様々です。海岸は幅広く、遠浅です。すべてがサーフィンスポットですし、観光スポットです。

 ジャボタベック(JABOTABEK)ジャカルタ、ボゴール、タンゲラン、ブカシやバンドゥン辺りに住んでいる日本人の方々へ、車で6~7時間(青の道)で行けます。ゴルフばかりやっていないで、また、プラウスリブ辺りに行っていないで、パンガンダランへ三泊四日くらいでぜひ行ってみていただき、インドネシアらしい雰囲気を楽しんで頂きたいと思います。ドライバーには一日10万Rp渡しておけば宿泊や食事代を含めて十分です。本人たちの費用はピンキリです。

 

カリマンタン ティムールへ行って、パンガンダランへ行って、日本へ行って、と、こんな感じで移動している。どこへ行くのも、すでに、ちょっと出かけるという感覚です。26日にインドネシアへ戻れば、すぐにまた、どこかへ出かける。おそらく、エアーチケットの予約は5月1日にはするでしょう。

 

今回作った水槽と自動スパイラルカッター付き引取機、自動ナイフカッター付き引取機、巻取り機。スパイラルカッターはメイドインインドネシアの1号機です。二号機を発注済みである。バキュームボックス付き水槽に至っては15台以上作っている。今回、自動ナイフカッター付き引取機も作ったが、こちらは、10号機である。そして、もう二台、発注済みです。それぞれの価格は日本の有名押出成形ラインの装置屋さんの価格の三分の一です。

インドネシアでは私が指導したKI社(撤退)AF社、NA社で合計、水槽は15台、自動ナイフカッター付く引取機は12台、自動丸鋸カッターは7台、プロファイル成形溶融金型、冷却金型セットは20セット以上、PAやPC,POMなどのエンプラチューブ成形用の溶融金型、冷却金型セットは15組以上、PPやPEのどのオレフィンチューブ成形用の金型も10セット以上、それらの会社のために私のデザインで作ってある。それらの会社は、日本で押し出し成型をしているのですが、インドネシアで作っている製品は日本ではできない。日本のベテラン成形社員がインドネシアへ学びに来ている。私はベテランでなくて若者を勉強によこした方がいいじゃないかと提案していたのですが、いうことを聞かない。インドネシア人に教えてもらうには、素直に聞ける若者の方がよいに決まっているのに、それに、人件費も少なくて済むから、押し出し部門の経費が少なくて済む、利益を出しやすい。教えてもらう人の給料が教える人の給料の10倍以上取るのではインドネシア人はたまったものではない。せめて5倍ぐらいの給料の人をよこさないと、まずいんじゃないの?と、思う。だいたい、いずれの会社の時も、指導している私の給料が日本からくるできない日本人の五分の一以下なのだから、変でしょ?

それに、日本の装置は一ライン千五百万円もするのでは、海外企業に負けるに決まっている。私のような人が、海外で装置製造の指導もしているのですから。

 安価 インドネシア製 人件費

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(^_-)-☆命がけの往復

2011-12-23 22:09:01 | 仕事

1072 朝晩の車の中は毎日辛い。インドネシアでは車を運転して通勤もしているし、旅にも出かけている。何の苦痛も危険も感じることは無く、ただ、淡々と運転しているし、楽しい。気になったこと、苦になったことは一度も無い。しかし、日本で通勤を何十年ぶりに始めて、また、この寒い冬の通勤も何十年ぶりで、ただ、辛い、それも往復で3時間弱である。無駄な時間だし、危険だし、忍耐がかなり必要だし、良いことは何もない。

 朝、6:30頃まだ暗い中、そして寒い。暖房が効き始めるのが6:40過ぎてから、本当はまだ眠いのだが、その時までは震えているだけで眠くならない、暖房が効き始めると、眠気が起き出してくる。次第に眠くなる、ついには、時々目を閉じるようになる、それでも、運転し続ける。時々、前の車に急接近してはっとして急ブレーキを掛ける。時々車線を右往左往している。そのうち、渋滞にはまる。前の車が出ても、私は気がつかないでいる、はっとすると、前の車はずっと前へ行っている。インドネシアならとっくにクラクションを鳴らされているが、日本ではクラクションを鳴らされないので、そうなってしまう。慌てて、急発進し、前の車に近づく、また、うとうとしてしまう。目薬を刺す、ボトルの水で顔を洗う、それでも、眠気は収まらない。

 いつか書いたように、じぶんの靴下を脱いで、臭いを嗅げば眠気が飛ぶはずだが、これも私のその時の状態では効果が無い。ということで、一時間以上の運転の中で40分くらいは、居眠り運転をしている。なぜか、会社に近づいて、大井川の橋を渡るころ眠気が無くなる。

 会社から出る時には既に暗くなっている、帰りは会社から出たらすぐに渋滞にはまる。だから、その渋滞の中で、車の中は暖かくなる。眠気が襲ってくる。それから、一時間、居眠り運転である。時々、目をつむる。会社へ向かう時と同じことの繰り返しである。おまけに帰りの渋滞は家の近くでも起きる。一時間早く会社を出れば渋滞は全く無いが、時間通りに会社を出れば、出勤の時以上の渋滞になる。今日、はっとした回数は5回以上あった。危ないことは分かっているが、解決法は見つかっていない。明日、事故を起こさなければ良いと思うだけである。本当につらい。

 

 成田エックスプレスも新幹線も100Vの電源がシートの傍にあるので、便利になった。走る社内ではUSBモデムを使えないのが残念、しかし、新幹線内では、ケーブルを持っていればLANに接続できるようになっていた。

 ジャカルタ空港でガルーダ側のイミグレを通過して直ぐ右の土産物屋、レストランに220Vの刺し込み電源があるので、ここから、出発前の投稿をする。

 

運転 状態 別世界

 

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(^_-)-☆気持ちは忙しい

2011-10-02 22:13:35 | 仕事

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる。間違えていなければ、この頃は、こんな感じでしょうか。

今朝で三回目の点滴と肩への筋肉注射は済んだが、まだ、腫れは治まっていない。毎日の薬はまだ四日分残っているので、期待をするが、骨の出っ張りが見つかっているので、腫れというかコブは消えないのかもしれない。痛みも残るかもしれない。

 

まだ、装置が到着していないにもかかわらず、新しい、製品のトライの依頼が来たので、金型を作ることにした。日本で作れば80~100万円はかかるだろうがインドネシアなら、20万円そこそこでできそうだ。依頼した人は、私を信頼していてくれるので、できるだけあっさりと片づけたいと思う。ついでに、私が試作したい製品の金型も頼んでしまおうと思う。秘策がある。

11月から12月にかけて、やらなければならないことが集中してしまいそうで、ちょっと困ることになるかもしれない。今、三つのテーマを引き受けてしまっている。10月末に装置が入る予定なので、スケジュール的にぎりぎりである。

 

 7月1日に会社へ入って、装置の見積もりを受けて、稟議書を書いたのが8月の中旬、稟議、OKになったのが、9月10日、しかし、個人的にゴーを掛けたのが、稟議書を書いたと同時でした。それで、装置が完成したのは9月27日でした。ヒーターを注文したのが9月22日でした。ヒーターは9月27日に出来上がった。必要の内インドネシアデ作ったものは現在パッキング中だ。シッピングがいつになるかの返事をもらっっていないが、遅くても10月中旬より早いとみているので、末には到着していることを期待している。10月17日にはまたインドネシアへ行く予定になっているので、月末にハンドキャリーで金型を持ってこようと思う。その準備は来週中に終らせる。日本、インノネシアをまたにかけて、分刻みとまではいかないが日刻みのスケジュールになる。

 以上の他に日本からインドネシアへ運ぶ中古機械の手配もしなければならない。自分にプレーッシャーを掛ける。

 

 インドネシアの端っこだという碑。こんな端っこにも日本軍の陣地が有った。

 トライ スケジュール オーダー

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(^_-)-☆6時起きで出社

2011-09-21 22:11:05 | 仕事

 日本の会社への出勤が始まった。ブランクが有っても無くても、もともと、存在感は薄いので、一か月前の雰囲気と変化なし、静かで落ち着いている。やはり通勤事情は以前と同じで、渋滞が激しい、33kmの道のりだが、一時間15分掛ってしまった。往復で二時間半、全く、もったいない時間である。

 このままの雰囲気で約一か月過ごす予定である。驚いたことが一つだけあった。昨日の敬老の日、金曜日の秋分の日、両方とも出勤日だそうだ。多分、夏休みとの振り替え出勤だと思うが、夏休みも平日は三日間しかなかった。仕事熱心な会社である。日本会社はこういう会社が多いのでしょうか。その点、インドネシアは、祭日は勿論、政府から年休を一斉に取りましょうという指定日が有って、強制ではないが、どの会社もそれに従っている。年間出勤日はおおむね250日休日は115日、これが相場です。日本はどうなっているのでしょうか。

 

 彼岸花(まんじゅしゃげ)を何年振りかに見た。夏に日本に何日かいたことはあるが、9月10月11月に日本にいたことは16年前から無かった。秋分の日前後には、勿論、いたことが無いので彼岸花も見ることは無かった。道端のそこかしこに咲いている彼岸花を見て、日本を感じている。紫陽花やシャクナゲや菊の花など、インドネシアで、有るところには有る。だから、見たことはあるが、流石に、彼岸花を見たことは無い。

 

 認められるにしても、相当、将来の話だし、そのための申請とか、許可とか承認とか、インドネシア官庁顔負けの書類の多さとスローさに、耐えきれない。インドネシアへ送る装置の値下げを頼んできた。少しでも、安くして、使ってもらおうと思うが、私の心はなかなか通じない。走るしかない。行動に出るのみです。

 

 空気 眺め 秋の気配

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(^_-)-☆日本生活モード

2011-06-28 22:41:38 | 仕事

日本の生活スタイルに頭を転換しなければならないことは分かっているが、どうしたらいいかわからない。何をしたらいいかわからない。いつもなら、静岡の家に帰っても、バゲジ(旅行用トランク)は出したまま、何か、インドネシアへ持って帰るものを買った時に入れて行った。そして、出発前日に一杯にしていた。しかし、今回は、短くても一か月半は其のトランクを使う予定が無い。どこかへ仕舞っておかなければならないが、今までしまったことが無いのでどこへ片付けたらいいか分からない。其のまま広げてある。多分、妻が、どうするの?と聞いて来るまで置きっぱなしになるでしょう。

着るものが無い。パジャマや部屋着(くつろぎ着)がない。夏用の短パンが無い。梅雨時や夏の暑いときに日本に居たことが無いので、その時の通勤着がない。この蒸し暑さは一体何だ。

 

インドネシアでは、会社へ行くのにスニーカーとズボンとユニフォーム、ユニフォームの下は半そでの下着でしたが、日本ではどうしていいか分からない。聞いてから、準備するしかない。例えば、一般サラリーマンのように背広、ワイシャツ、ネクタイで通勤し、会社のローッカーでユニフォームに着替え、靴も安全靴に履き替える、などということになるとしたら、そういう規則があったとしたら、一般の日本人ならそれに従うだろうが、私は従わないだろう。若しかしたらGパンに作業服のまま会社で過ごすかもしれない。

 

 この歳になって、日本の普通の会社に勤める、それも、会社勤めは22~29才までの7年間だけ、40年ぶりに近い。そして、外国語を使わないで、日本語だけで、回りの人間が全部日本人、この環境は17年ぶりになる。そして、多分、周囲のほとんどの人は私の子供のような年齢層でしょう。これが、もし、機械や装置と話をするよりコンピューターと話をするのが好きな人種だったら、もう、私は空回りすることは間違いなし、空中に浮いた人間になること間違いなし。自分がいる意味、価値は3カ月もいればはっきりする。どうなるでしょうか、当たって砕けろ、ではあるが、私のスタイルが受け入れられるかどうか、かなり不安が多い。

 パンガンダランのチャガールアラムではありません。我が家の庭の森です。間もなく、庭師が入って、すっきりさせる予定です。

迷い 霧中 体当たり

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(^_-)-☆現世浮世に戻ると

2011-06-08 22:34:03 | 仕事

斜めからインドネシアを見る 934

インドネシアで生きるのは二週間を残すのみ。しかし、たびたび仕事半分、リラックス半分でインドネシアへ来るので、別れに関する催しは何もない。7月のゴルフは申し込まないが、8月の後半は日本の夏休みとインドネシアのレバランが連続するので、かなりやると思う。あるいはパンガンダランへ行くかも知れない。

 帰国のチケットを手配したが、今月1日から大幅な値上げになったそうで、前回の倍近い金額の1200US$以上です。インドネシアへ戻るのは一応八月中旬としたが、変更が可能なチケットにした。

旅行記と写真集がまとまりました。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage123.html

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/yanto.html

 

焼き芋について、形は多分日本の市場では商品にならないでしょうが、味は日本の薩摩芋より甘い、おいしい。生のままの芋を売っている店で焼き芋を買うのだから、matangという必要がある。云わなければ、聞かれる。Ubi bakar(焼き芋)Ubi matang(生では無くて、焼くか煮るかオーブンで温めて柔らかくした薩摩芋)をよく買って食べる。はずれはない。マタンの意味は、本来、果物などが食べ頃に熟した状態をいう。料理の煮え具合や焼き具合にも使う。例として、肉や卵の焼き具合でSetengah matangなどと使う。

 

八日ぶりにタンゲランのカワサン インダストゥリー ムティアラにあるインジェクションの会社で、手続きの為に使った記録をファイリングしてきた。事務関係担当の日本人がいるが、これが、何もできない。説明しても分かったのか、分からないのか分からない。書類や記録も参考になるとは思えないが、いつまでも係わるわけにいかないので、終了まじかです。日本には、事情を書き送ってあるが、まともに受ける気配が無い。今まで手伝った会社は、そういうたぐいの会社が多い。結局、仕事が出来ない日本人から、私は殆ど成果を上げなかったと報告されるはずである。彼らの三分に一の報酬も貰っていない私が、言い聞かせているし、率先してやっているのに、これらは皆、彼らがやったことになるのが一般的です。そういうものです。可哀そうになります。

 

 カリマンタンの何頭の海で客船が高波の為に沈没した。105人乗っていて27人犠牲になって見つかった。その他は行方不明で捜索中。よくある話です。フェーリーが沈没することも多い。

 通勤列車の屋根に乗って通勤する乗客が多い。一種の自己主張なのでしょう。通勤列車は満員で閉じない昇降口からはみ出ている人もおい。これも、ささやかな自己主張。子供の時からトラックの屋根に乗ったり、ミニバスの中が空いているのに入口に乗って外に体を投げ出していたり、後ろのバンパーに乗ったり、勿論屋根に乗ったりすることが、自己主張になっている。子供の子らからのモラル無しの社会、教育者も容認している。バイクの無免許通学も見ないふりをしている。

 鉄道会社は、色つきの放水をしたり、電気を通した邪魔者を取りつけたりしているが、対策らしきものをすればするほど、屋根乗りに燃えるらしい。対策前より、堂々と当り前のように屋根の上に直行です。

 

 牛の放牧は普通、牧草地です。インドネシアの牛はゴミ処理場に街全体から集められた廃棄物の上に話されている。放牧とは言えないでしょう。生ゴミも産業廃棄物も分別が無いインドネシアです。多くの産廃の中から牛たちは生ごみを明後日いる。イスラムはきたないものを何でも食べて不潔な豚は食べてはならないと、聞いている。そう答える人が多い。実際の理由は知らない。それならここの牛たちはブラより汚くて不潔の上に重金属など蓄積すれば体に障害を起こしたり癌のもとになったりするものも食べている可能性が高い。それでも、ここの牛は食用として普通に売られてゆくという。保健所も毒では無いと保証している、そういう検査表見たいなものを発表している。ゴミ処理場も何かの利益があるのでしょうか。追い出すようなことはしない。その横でシャベルカーがゴミの山を慣らしている。

 

 ドイツ、ハンブルグ辺りから広がり始めたO104大腸菌の関係でロシアはヨーロッパ諸国からの野菜の輸入の禁止措置を取った。スペイン発のキューリが原因とコッホ研究所が発表した、今は取り消されているが風評被害が200億ユーロを超えているそうです。通貨ユーロの価値が下がる原因になりそう。風評でも何でも、日本の場合は円高になってしまっているが、ユーロはどうでしょうか。

朝ごはん、回りのカンクン、テンペ、アヤムゴレン(鳥から揚げ)、タフゴレン(油揚げ)、テロン(なす)が乗っている。ナスは大変おいしい。

 現世 人並み 危ない

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(^_-)-☆雨季真っ盛り

2011-02-02 23:24:22 | 仕事

   今日という日を忘れては、昨日の写真の人にしかられる。もう何年になるでしょうか。結婚記念日です。この一番寒い時を選んだのは、妻の学校の勤務の関係でした。横浜市の学校から静岡県の学校に移動するのに一番都合がよい時期でした。

 

バリからブロモやボロブドゥール、サンギラン(ジャワ原人が発見された場所)へオプショナルツアーを計画している人は、現地の情報をバリでチェックしてください。チャンディプランバナン、ブンガワンソロ、ラトゥボコ、チャンディスクーは泥流の心配はありませんが、ムラピ山噴火の様子に依ってはジョクジャカルタ空港自体が閉鎖されることも考えられます。こちらは、万が一です。

 

仕事の事を書いておきます。ボランティアの会社立ち上げのアドバイスだけでは、客先に申し訳ないし、新任営業担当の手伝いもそろそろ始めないと、彼のストレスが溜まってしまう。そこで、以前から、私個人的に約束をしていた仕事の立ち上げを、その営業の人を連れて行って、再度公約をしてきた。

 早速、二種類の製品の金型の図面を清書してもらい、今日、金型の製作を依頼してきた。二月の15日頃には出来上がってくる予定だ。ついでに、なにもかも一遍にと思い、インサートする鉄板の穴開け加工についても、装置と材料の手配をした。客先はPT.Tさんである。硬質塩ビのプロファイルを先ず二月末までにOK品を作ることにする。もう一つの、軟質ポリエチで鉄板をコーティングする製品は平行して試作をし、三月中旬以前にサンプルをだす。いずれも、インドネシアでは私にしかできない仕事で、それも私の個人的都合で三月二十日前から日本に最低の二週間は滞在しなければならないので、その前に客先のOKを貰わなければならない。二種類が完成すれば、その他にも類似や関連のプロファイル品が次々と追加になるはずである。現在日本や中国で作っている物をインドネシア製にしてこちらから逆に日本や中国へ輸出するシナリオも現実味を帯びてくるでしょう。

 

継続は宝なり、一つの仕事を継続する、三日坊主ではく、始めたことを続ける、これは個人に取って善だし宝です。しかし、支配に限っては、継続は悪になる、必ず、悪になる。その点、日本の足利政権や徳川政権は特殊だが、これは、世界に例が無いほど長期だった。外部からの情報やちょっかいが無かったことと、抑圧的では無かったことが長期に続いた要因である。

長期独裁、独占は必ず破綻する、それも長ければ長いほど、破綻した時の独裁者はみじめな終わり方をする。永遠に現状にまま、はない。エジプト、ムバラクでさえ、こういうことになってしまって、世界中が戸惑っている。

いずれも独裁政権の中国や北朝鮮は、このことから何を学ぶでしょうか。独占を止める方向には行かないでしょう、今も自由度が少ないがもっと自由度を少なくする方向で引き締めを図るでしょう。しかし、あと、20年は持たない様な気がする。必ず、両方とも政治がひっくり返る事態になるはずである。

インドネシアでは非常に珍しいカーブミラー。取りつけられて半月ほど経過、いつまで割られないでいるか楽しみです。アクリルの四角棒、こんな物でも、インドネシアでは対応できる会社が無い。

独裁 反動 動き

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暗黙の知らぬふり

2010-04-23 21:22:03 | 仕事
 規模の大小にかかわらず、全ての産業で、暗黙の了解がなされている、原材料、部品の調達ルートが存在する。ローカル企業は最初だけ、日系企業から指定された材料を日系企業から購入し、材料のスペックと安全に関する書類を受け取り、それを、製品納入先に示す。日系の納入先は、それ以降、使用材料についての確認はしないのが決まり。ローカル企業は次から使う材料についてはできるだけ安い原料を使うことになる。
 ISOなどの品質管理や環境管理のシステム導入などは全く問わない。仕入価格が超安値だから、何も言えない。まともでは、そんな安い価格が出るわけがないと自覚しているからです。
 日系企業は其のローカル企業から部品を購入していることを公表しないのが原則です。
それでは、どうするかというと、日系企業からスペック通りに指定した材料から作られているであろう部品を購入し、最終納入先にはそれを公表し、内はこの会社からこういう材料を使って製品を部品として購入しています、と、届けるのです。

ですから、二社以上から購買し、一社は必ず日系企業にするのです。そして、其の、日系企業にはローカルからの仕入れ値を伝え、値下げ圧力を掛けるのです。圧力をかけられた日系企業は、ローカル企業ほどではないが、安い材料を混ぜるのです。それも、発注元は了解済みです。
そういうカラクリについて行けない日本人が、どこの会社にもいるものです。許せないという人です。なにか、問題が発生した時に自分のサラリーマン人生を台無しにしてしまうという恐怖感を持っている人です。そういう人が、交代してくると、ひと騒動が起きます。使ってはいけない原料を使って生産している状態を痛烈に批判して、直ちに証人材料に戻させます。前任者はこっぴどく批判されます。それから、売り値をチェックします。それを、見て、交代してきた人は、余りの価格の安さで、大赤字になることを知り、また、怒ります。何故、こんな安い価格で引受けたのかと。その次の行動は、客先に価格の引き上げの交渉を持ちかけます。客先は、そうですかと言って、その後、注文を、よこさなくなります。
客先は、ローカル企業から大部分を買っているのですから、其の値上げ交渉にまともに応対する気は全くなしで、他の、日系企業を探すでしょう。
暗黙の知らぬふりからはみ出る人は、融通が利かない人は、そこまで行って、初めて、状態を知るのです。しかし、もう遅いし、損をし続けなければならなくなるのです。

 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
インドネシアの山岳地帯なら、どこでも見られる水田、実りの秋?は年三回。パンガンダランの半島の西海岸、逆光のパンタイパシールプティー(白砂ビーチ)
どこも 大企業 先頭 
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ブロックM

2010-03-11 18:58:29 | 仕事
タンゲランまで遊びに行ってきた。インドネシア人スタッフにまず挨拶をして状況を確認してから、日本人に接触するという方法もとる。この会社については、どんなものがインドネシア内から調達されているのか、どんな製品が未だに日本から輸入しているのか知っているので、特に日本人に様子をうかがう必要が無い。詳しい話はインドネシア人と話をして敬意を払うことが彼らたちをプライドを満足させる方法だと思う。
 そこで、彼ら方頼まれたのは、自分たちに会社内で作っているチューブの検査ジグであった。その検査ジグを入手するのがインドネシアでは難しいことは分かっている。そこで、私は自分で加工屋に特注している。それを作って欲しいというのです。それは、出来ない。現在、他の会社に一部の生産を任せている。其の会社にそのジグを渡されては、その会社の問題点を解消してやるお手伝いになってしまう。私は、其の会社へ注文しているものも含めて日本から輸入しているもの全てを生産したいのですから。丁重にお断りして、PT,NANBUから見積もりを出すことにした。

今、ジャカルタから戻ったばかりです。23:00、ブロックMの丸福という日本料理レストランで、射出成型の関係会社の食事会が行われた。元気会といいます。三カ月に一回の割で、集まります。いつも、同じようなメンバーで、変わり映えはしないが、今回は、PT.NANBUの紹介ということで、皆さんから注目されていた。かなりの商売の機械になると、皆さん期待しているようです。メンテナンス、周辺機器の会社が特に興味を示しているようで、一度、挨拶に行きたいと言っていた。PT,NANBUの進出についてはかなりの期待を持っているようでした。

インドネシア以外にいる日本人にはどうでもいい場所で、知っている人はいないと思うが、インドネシアにいる日本人にとっては超有名な場所です。毎晩通う人もいるようです。かなりの金額を注ぎ込む人もいるようです。ブロックMは久しぶり、一年以上前だと思う、いつかは記憶が無いくらいだ。様子が変わった。新しい、カラオケやレストランがあり一番変わったのは、パサラヤ側の何というショッピングモールでしょうか、以前、カップやトロフィーを買った店が、全部その中に吸収されて、なおかつ,高層になっていた。駐車スペースが変わっていたことと、たこ焼き屋が路上に屋台だったのが、店の奥の方に入ってしまっていて、外からは見えなくなっていた。その、店の奥へはいって行ってたこ焼きを買った。一パック、二万五千Rp10個だった。
22:00丁度にレストランからそこに出たが、駐車しているこる車は一杯だった。客は少なくなったと聞いていたが、それほどではないようだ、やはり、皆さん好きなのでしょうね。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。ビザの入手が各種手続きの始まりということが分かります。
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半月後の予定

2010-02-17 17:35:47 | 仕事
 近い予定だが、予定は未定にして決定に非ず、です。
3月1日から、PT,NANBU PLASTICS INDONESIA(NPI)エヌペーイーの人間になる。インドネシアで四番目の会社になる。解散したPT,KITAGAWAの私の子供たちのうち約30人をこの日から従業員として迎えるというより、一緒に同じ会社の社員になる。KITAGAWAから、早めに出された人たちですが、私が評価すれば、契約社員として、残っている人より能力が高い。人事、総務、経理、入出荷、QCなどは、トップに全員キタガワからの人たちを使うことになった。射出が行動を始めれば、金型のメンテナンスや設計(3D図面の製図ができる)人間も私の人脈から選出して来て貰うことになって、彼らとは、いつから、報酬はいくらで等の契約を交わして、他へ行かないように約束してある。私を知っているインドネシア人は全員、私と一緒に仕事をしたいと思っている。
 これからも、私を信頼して、多くの仲間が来てくれることでしょう。

今月中に、出来れば、現在のお客さんとは売買契約をPT,MAKUTAから切り替えていただくことになります。三月一日からPT、NANNBUが納品を始めます。

客先への営業もスタートする。現在、他社から、高い価格で購入していている会社回りを優先します。それらの会社には現在の価格の0.8掛けを話のスタートとさせていただく事になります。対象の会社は六社です。

 ISOは直ちに申請します。見積もりも取って、エージェントも決まっています。ISOの収得を二回経験している担当者がいるし、私も其の都度かかわってきましたので、やることは分かっているので、書類的にはほぼ準備が終わっているので、エージェントも仕事は簡単になるはずです。三か月で二種類まとめて取ってしまうつもりでいます。

 EPTEに関しては、同じく、PT,K社時代の担当者だった人に入ってもらうことに決まったので、彼女に任せれば、これも三カ月以内に資格を取れることを目標にします。ハード面で、垣根というか囲いの高さを2mにすることと、税関職員の詰め所を正門付近に作ることも直ちに始めます。

 売り値を20%下げて提案すれば、EPTE以外の会社から買っているお客さんは実質的に30%の支払いを減らすことができます。その上、品質に関しても、ISOを収得していないところから買うよりも保証度が高く、安心度が増します。

PT.NANBUとして、お客さんに対し、自信を持って技術と安心と満足価価を売り物にして営業ができる体制に早くすることを最優先とします。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page123.html
始まる会社と閉じる会社。1995年からインドネシアで関わっている。
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