以前、読書の対象は小説がほとんどだと言ったら、
「なんでそんな役に立たないものを読むの?」
と批判されたことがあった。
なーるほど。
確かに、「小説は飢えた子供の前では無力だし」(サルトル)、無用の長物と言える。
娯楽品だしね。
だが、なんでそんな無用品を俺は好きなのかな…。
では、逆に、小説というジャンルではないやつはどうなのか。
前述の批判をした友人は、いわゆる「ハウツー本」みたいなやつが好きで(「リーダー人格を得るには」とか「アジア株が熱い!」とかいうやつ)、貸してくれたりもしたんだが、はっきり言うと、そういったものが、俺はどーーーーーーーしても好きになれなかった。
無数の要素というものが絡み合って形成されているこの社会を、○+△=◇みたいな公式でもって分断する論調に、「んなわけねえじゃん」という感想しか持ち合わせ得なかった。
だから、小説でも、安吾先生の「堕落論」みたいな人に考えを押しつけるようなものは嫌いなのだ。
で、小説というものを振りかえってみると、大概のものにおいては、○+■+@+△+◇+◎=結局わからないよベイベー…みたいなことが書かれていて。これだ!と思えるわけなんであって。
世界の縮図というか、カオスたる世界をそのまま書き写したという、虚構とは言えど、そんな普通に正しいものが、小説なんだなと。だから好きなんだなと。
それにしても大江「治療塔」。
またまた激甚に面白い。なんでこんな小説を何本も書き得るのか。
不思議。
「なんでそんな役に立たないものを読むの?」
と批判されたことがあった。
なーるほど。
確かに、「小説は飢えた子供の前では無力だし」(サルトル)、無用の長物と言える。
娯楽品だしね。
だが、なんでそんな無用品を俺は好きなのかな…。
では、逆に、小説というジャンルではないやつはどうなのか。
前述の批判をした友人は、いわゆる「ハウツー本」みたいなやつが好きで(「リーダー人格を得るには」とか「アジア株が熱い!」とかいうやつ)、貸してくれたりもしたんだが、はっきり言うと、そういったものが、俺はどーーーーーーーしても好きになれなかった。
無数の要素というものが絡み合って形成されているこの社会を、○+△=◇みたいな公式でもって分断する論調に、「んなわけねえじゃん」という感想しか持ち合わせ得なかった。
だから、小説でも、安吾先生の「堕落論」みたいな人に考えを押しつけるようなものは嫌いなのだ。
で、小説というものを振りかえってみると、大概のものにおいては、○+■+@+△+◇+◎=結局わからないよベイベー…みたいなことが書かれていて。これだ!と思えるわけなんであって。
世界の縮図というか、カオスたる世界をそのまま書き写したという、虚構とは言えど、そんな普通に正しいものが、小説なんだなと。だから好きなんだなと。
それにしても大江「治療塔」。
またまた激甚に面白い。なんでこんな小説を何本も書き得るのか。
不思議。
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