おれおれ日記

平成の快楽主義者な管理者による酒の話、現代美術の話、音楽の話、世間話をただただ垂れ流す日記。

「音楽を聴く、ということ。音楽を聴かないということ。を考えてみてください」

2006-05-12 08:28:27 | Weblog
大学の「音楽」という授業で教授から言われたことをときどき思い出す。
何度も言っているが、フルクサスの音楽家やダムタイプの人と仲がいい教授で、ほんとにぶっ飛んだ授業だった。

さて、「音楽を聴かないということ」。
こうも情報が氾濫、錯綜、混沌としている世界だと、意識していないと「~する」という能動的な行為は”成し得ない”。
自分達の行為は全て管理され、「~させられる」という行為にすりかわってしまう(が、自分達はそれには気づき得ない・・・)。
例えば、酒を飲む、という行為にしてもそう。「飲まされる」(ex.ビールのCM、焼酎ブーム、地酒ブーム、冠婚葬祭、コンパ)機会があり、「飲まされる場所」(ex.大手チェーン居酒屋)が生活導線上に”作られている”!!!
こうしてわれわれの欲望は喚起され、この高度資本主義という世界は成り立っている(そして喚起されていることは気づき得ない!)。

さて、この打開。こうしたチェーンの断ち切りが必要だと痛感する者は(痛感しない人は別)、さて、どうするべきか。
そこに、「~しない」という一見非能動的行為が有効になるのではないかと思う。
「~しない」ということで「~させられている」ことを客体視し、それを「~する」という真に能動的な行為に意識的に変えることができるのではないか・・・。

さて、あまりにもあたりまえなことだけど、改めて整理してみると脳がすっきりする。
氾濫している音楽情報の中から真に自分に必要なものだけを抽出する(真に能動的に!)必要がある(音楽だけに限らないけれども)と痛感する。
人生は短いものだから!
そうでもしないと「使われて」終わってしまう。