翻訳者魂

人間は関係を持ちたい。人間は知られたい。人間は参加したい。人間は貢献したい。人間は自分に価値があると思いたい。

安西徹雄の翻訳への想い

2008-06-08 16:48:01 | 翻訳
シェークスピアを原点に翻訳に熱い想いを抱き、若い翻訳者を鍛え、育ててきた安西徹雄氏が亡くなった。彼の文章には英語に対する愛、日本語に対する愛、翻訳に対する愛が溢れていた。今回は、ぼくがとても感銘を受けた部分を紹介することにする。


翻訳という仕事を愛すること。

翻訳というのは、決して楽な仕事ではない。今も言うように、英語についても並大抵ではない知識を必要とするし、日本語についてもまた、人並み以上の表現力がなければならない。けれども、皮肉なことに、英語がろくにわかっていない段階なら、逆に安易なところで満足もできるだろうが、英語がわかってくればくるほど、安易な翻訳ではとても満足できなくなるし、日本語の感覚が豊かになればなるほど、自分の文章の貧しさが腹立たしくなってくるものだ。「翻訳者は反逆者」などとよく言うけれども、経験をつみ、多少は事情がわかってくるほど、英語に対しても、日本語にたいしても、自分がどれほど大きな裏切りを犯しているか、痛切に思い知って、ひどく孤独な気分に落ち込んでしまったりもするのである。

それに、世間的な評価という点でも(そんなこと、どうでもいいといえばそれまでだが)、訳者は必ずしも正当な評価を与えられてはいない。ある意味では、創作をすることよりも大きな、多面的な能力や努力を必要とするというのに、翻訳者が原作者より褒められる - 少なくもと同等の評価を与えられることなど、まずない。というよりむしろ、それが翻訳というものの性質上、当然であるというべきかもしれない。原作より翻訳のほうが読者の注意を引いてしまっては、そもそも翻訳としては失敗かもしれぬからだ。

いずれにしても、世間的に、翻訳者はそれほど高い評価を与えれれてはいないし、自然、経済的な報酬の面でも、それほど恵まれていないのが一般と言っていいだろう。

それでもなお、大きな努力を払って翻訳の仕事を続けてゆくためには、結局、翻訳というもの自体にたいする熱い愛がなくてはならない。翻訳という仕事を愛すること - すべてはそこから始まり、そこに終わる。翻訳でもやってみようかとか、どうせ翻訳しかできないからといった安易な気持ちでは、それこそ、どうせつまらない翻訳しかできっこない。翻訳を愛すること - しかし、それは結局、もっと大きな愛に根ざしたものと言うべきかもしれない。言葉への愛である。言葉を愛することである。それがアルファでそれがオメガだ。

(出典: 翻訳英文法)


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